今日の東京は本当に暑いです。本格的な夏が来たようです。
夏の風物詩と言えば花火、浴衣、かき氷、蝉、風鈴などです。
夏の風物詩の写真をお送り致します。(https://www.studyjapan.jp/topics/culture/symbols-of-summer.html)
茫々64年前の夏に私オハイオ州立大学に留学しました。22歳の暑い夏でした。
懐かしいのでオハイオの夏の写真をお送り致します。
写真はインターンットからお借りしました。1番目の写真はオハイオ州立大学の建物です。残りの写真はオハイオの夏の風景です。
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明治の文明開化以来、日本人は西洋文化をこの国に取り込むことに努力して来ました。明治政府は優れた西洋人も雇い、日本の学問や文化を西洋風に発展させました。日本からも各分野の優秀な人材を西洋に派遣し留学させました。森鴎外や夏目漱石も留学しました。
東洋と西洋の文化を比較しながら楽しむのが私の趣味です。ですから函館、横浜、神戸、長崎などに興味があり何度も訪れました。
そして明治期に西洋人が避暑地として開いた八ヶ岳の清里、上高地等や軽井沢にも強く惹かれます。
今日は軽井沢を選びご紹介したいと思います。
軽井沢は中山道の宿場町でしたが明治19年に宣教師のショーが別荘を作ってからいろいろな外人宣教師が避暑に訪れ有名な別荘地となりました。そのような経緯があるので軽井沢には西洋文化の香りが現在でもそこはかとなく漂っています。
私は軽井沢は何度か訪れ散策しています。特にはっきりした目的があるわけでなく、そんな異国情緒と周囲の山々の緑を楽しむため訪れるのです。
そこを散策していると、軽井沢の近くの信濃追分に住んでいた堀辰雄の「風立ちぬ」を思い出します。私どもはそんなことを思い出しながら軽井沢に行きました。
以前に家内が撮った写真に従いながら夏の軽井沢の魅力を示したいと思います。
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1番目の写真は旧三笠ホテルです。営業はしていませんが明治期のホテル建造物として公開しています。駐車場が少し離れているのが残念です。
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2番目の写真は万平ホテルです。何度か泊りました。明治時代のクラシック・ホテルの雰囲気が漂っています。
ホテルのメイン・ダイニングルームの前の廊下にあるステンドグラスが古風なヨーロッパ文化を彷彿とさせます。館内は伝統的な古いヨーロッパのホテルの内装になっていて落ち着いた雰囲気です。食事も古風なフランス料理で、サービスも行き届いています。
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3番目の写真はは聖パウロ・カトリック教会です。すべてのカトリック教会は門扉が開けてあり、訪れる人を歓迎します。勿論入場料など不要です。裏に広い駐車場もあります。信者でなくても出入り自由です。少しだけお祈りをして来ました。
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4番目の写真は聖パウロ・カトリック教会の内部の様子です。太い丸太を使った木造です。
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5番目の写真は文明化開化で導入されたソーセージやハムを売っている腸詰屋の写真です。当時の作り方と味を守っている店です。余分な添加物が入っていないので素朴な美味しさです。
その他、軽井沢にはジャムの沢屋など昔風の美味しいものを売っている店があります。
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6番目の写真は旧軽井沢銀座という商店街です。ここはは若い人々に人気があり、何時行っても多くの人で賑わっています。
そして実はこの旧軽井沢銀座は昔の中山道なのです。この商店街を抜け、真っ直ぐ山に登ると旧碓氷峠に出るのです。車で登ると10分位で峠に行けるのです。峠には茶店や神社がありましたが店は閉まっていました。峠まで来る観光客は少ないのでしょう。
そして軽井沢の良いところは別荘地の中の小道を歩くことです。そこには西洋風の別荘地が静かに広がっているのです。
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7番目の写真は別荘地の風景です。
別荘の一軒、一軒の敷地が広く、庭には巨木が茂っているのです。緑の日影の中を少し散歩し、ああこれが軽井沢なのだと故も無く感動します。
なおJR軽井沢駅の南口には大きなアウトレットもありますが行かない事にしています。
ところで軽井沢にある西洋文化とは何でしょう?
それは明治期に建てられた建物が、その雰囲気を残して現在も存在していることです。
旧三笠ホテル、万平ホテル、古いたたずまいの別荘建築、そして教会の建物などです。
建物だけではありません、腸詰屋のように昔のヨーロッパのソーセージの味を守っている店もあるのです。軽井沢に行くとヨーロッパ文化の魅力が感じるのです。
示した写真をご覧になりながら高原の軽井沢を散策しているような気分になって頂けたら嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料============
軽井沢の歴史:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BA%95%E6%B2%A2
江戸時代には、五街道のひとつ中山道が通る宿場町であり、中山道の難所のひとつとして知られる碓氷峠の西側の宿場町として栄えていた。
軽井沢付近には軽井沢宿の他、沓掛宿と追分宿が置かれていて、この3宿をまとめて「浅間三宿」と言ったのです。浅間三宿は浅間山を望む景勝地としても有名でした。
江戸時代が終わり明治時代に入ると、一旦は宿場町としての機能を失って没落します。しかしその後、1886年(明治19年)にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーがたまたま訪問し、7月から8月まで滞在し、故郷のトロントと非常に似ていると感じたのです。
1888年(明治21年)にショーは「つるや」(現在のつるや旅館)の主人の佐藤仲右衛門のあっせんによって大塚山に別荘を作り、避暑地としての軽井沢の歴史を切り開きます。別荘は後に移築され、ショーハウス記念館としてショー記念礼拝堂の裏に現存しています。・・・以下省略します。