後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「夏になると妻が思い出す群馬県の下仁田小学校」

2024年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
夏になると妻が思い出すのは群馬県の下仁田小学校のことです。それは小さい、小さい昭和の歴史の一駒です。
昭和20年7月頃、当時海軍の文官だった家内の父は、鎌倉の海水浴場にアメリカの上陸用舟艇が砂浜につき海兵隊が襲って来ると予想したそうです。
当時、家内の一家は鎌倉に住んでいました。まだ少女だった妻は鎌倉の御成小学校に行っていました。
そして1945年の夏に妻の一家は、群馬県の山の中のネギで有名な下仁田町に疎開しました。終戦後も進駐軍の横暴を恐れて昭和22年夏まで山国にひそんでいました。
下仁田国民学校に転校した家内は海浜の生活から山里の生活に変わり、毎日が新鮮で楽しかったそうです。
しかしそこは米が一切採れず、麦と芋と野菜しか採れない山里でした。
ある地主の家に疎開したのですが、その家の毎日の主食はオキリコミでした。小麦粉を練って薄く伸ばし、それを味噌汁に入れて食べるのです。苦しい生活でしたが子供だった妻は頓着せず、学校の同級生とともに野山を駆けて遊び回っていたそうです。
特に学校の傍を流れれる鏑川(カブラ川)は格好の川遊びの場所で、家内は流され溺れかかったことがあったそうです。
その下仁田小学校の同級会が数年前にありました。家内を関越道路と信濃道路を経由して車で送って行ったのです。そんな様子を写真に従ってご説明いたします。
1番目の写真は昭和22年(1947年)に撮った下仁田小学校4年2組の家内の同級生達の集合写真です。小さくてよく見えませんが、当時の小学生は貧し気な身なりながら希望に溢れた活き活きした表情をしていたことに驚きます。この集合写真に写っている幾人かがの数年前の同級会に集まったのです。茫々、79年後の同級会です。
2番目の写真は現在も同じ場所にある下仁田小学校の校門と校舎の写真です。裏の方へ回ってみると清潔そうな給食センターが建っています。毎日栄養士が考え、美味しい給食を子供達が食べているのです。終戦前後は小麦粉か芋が主食でした。
3番目の写真は家内が溺れかかった鏑川の深みです。この上流の浅瀬で遊んでいましたお転婆の家内が遊びに夢中になり過ぎて流されたようです。3歳上の姉がこの岩の上から跳びこんで助けてくれました。ここは現在、青岩公園になっています。
4番目の写真は家内の一家が疎開していた家の隣の清泉寺です。このお寺の境内は家内の遊び場でした。当時は神社やお寺の境内は子供達が走り回る遊び場でした。
5番目の写真は下仁田町にある妙義山の写真です。
同級会をしている間、私自身は暇です。そこで下仁田町ジオパークを見物して時を過ごしました。古代の地層が露出し興味深い地形になっています。風穴などもありました。
 
下仁田町は山に囲まれた静かな町です。特産品は美味しい下仁田ネギとコンニャクです。それから奥の神津牧場のジャージー種の牛の乳製品です。
 
このように79年経過しても家内を暖かく迎えてくれる下仁田の人々に感謝しています。下仁田を私の故郷のように想うこともあります。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏になると感動する冷蔵庫と冷凍技術の進歩」

2024年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年、夏になると感動することがあります。冷蔵庫と冷凍技術の進歩です。戦後の日本の技術革新の成果です。おかげで私どもの暮らし方が随分と変わりました。
戦前に家庭の冷蔵庫と言えば断熱材の木で出来た箱で中の上の段に大きな氷を入れ下の段に食品を入れておきました。しかし戦後、冷凍技術が次第に進歩して安価な冷蔵庫が出来るようになったのです。
気体を圧縮して急に膨張させると温度が下がる原理を利用したのです。しかし気体を圧縮すれば温度が上がります。温度が上がった部分を外気で冷やし、温度が下がった部分を冷蔵に利用するのです。文章で書けば簡単そうですが、温度が上がった部分と下がった部分を分離するのが技術的に難しいのです。この困難を克服したのが現在の家庭用の冷蔵庫です。
中の上の段は氷が出来る氷室なっていて下が食品を冷蔵するスペースになっています。
上の段の氷が出来る氷室を大きく作り車に積んだものが冷凍車です。列車に積んだものが冷凍貨物列車です。
従って野菜や魚肉を新鮮なまま遠方から近所のスーパーや商店まで届けることが出来るのです。
一例として近所のある鮮魚店に並んでいる活きの良い魚の写真を示します。写真は小金井の駅前の魚屋で自分で撮ったものです。
このような写真を撮りなが私が愕然としました。ひどく驚いたのです。終戦後の魚屋は大変臭かったのです。魚の腐った臭いがフンプンとしていました。それが驚いたことにまったく無臭なのです。無臭なので隣には肉や野菜が何事も無かったように静かに並んでいます。感動します。
こんな事情なので私の趣味は魚屋で活きの良い魚の姿を眺めることになりました。活きの良い魚の姿を見ると何故か幸せな気分になるのです。
戦前、戦後に塩釜漁港に近い仙台で育ったせいでイワシやニシンを毎日のように食べたせいです。イワシやニシンは塩着けで活きが悪いものでした。氷が無くて塩着けしか出来なかったのです。当時は肉が貴重で魚しか食べれなかったのです。
ですからこそ活きの良いいろいろな魚の姿を眺めると感動してしまうのです。

この私の趣味は幼い頃に魚をあまり食べなかった家内には理解しにくい趣味です。家内は利尻コンブや三陸のワカメを買って喜んでいます。
趣味ですから外国に行っても魚屋を見に行きます。圧巻はバンクーバーやシアトルの魚市場、フィッシャーマンズ・ワーフでした。売り場の規模が大きくて種々の魚が無造作に並んでいるのです。感動ものです。
アメリカではキャット・フィッシュというナマズを何度も食べました。白身で上品な味です。キングサーモンもよく食べました。
ドイツに住んでいた頃は、淡水のマスやドイツ鯉やウナギもよく食べました。水桶に生きたまま売っているのです。ニシンやキングサーモンも美味しかったです。
 
それにしても日本で売っている魚の全てが活きが良いのです。冷凍運送技術の驚異的進歩が活の良さを保っているのです。技術の進歩に感慨無量です。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「元気が出る富士見高原花の里の写真」

2024年07月20日 | 写真
暑いと何となく体を動かすのがおっくうになります。今日も朝から太陽が照りつけて暑い日になりそうです。
そこで元気が出る花園の写真をお送りいたします。標高1250mの富士見高原花の里です。

ここに示した写真は「富士見高原花の里の写真」を検索してインターネットにある多くの写真から選びました。
富士見高原花の里の住所です。
〒399-0101長野県諏訪郡富士見町境12067
中央道・諏訪南I.C から約15分
中央道・小淵沢I.C から約8分