後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ロシアによるウクライナ侵略とフィンランド」

2024年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム
以下は元駐フィンランド大使 篠田研次の投稿の抜粋です。

 2022年2月24日、ロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻した。それは、如何なる国際法規をもってしても正当化されない、何らの大義も正統性もない、あからさまな侵略行為であった。その日、1300km余りの陸上国境を挟んでロシアと接している隣国フィンランドの多くの人々は身震いし、そして、ウクライナの惨状を、80年余り前の1939年11月30日、突如ソ連軍がカレリア地峡の国境線を越えて侵攻してきた「冬戦争」の勃発というかつて自国に降りかかった惨禍と重ね合わせて見たのではないか。ロシアがまた、隣国に対し自らの意思を通すために武力に訴えるという挙に出ることもあるかもしれないと薄々予想しつつも決して見たくないと思っていた事態が現実のものとなってしまった。フィンランドの人々にとってはそのような既視感の入り交じった衝撃的な出来事であったのではないかと思われる。

ソ連との二つの戦争:冬戦争と継続戦争

 1939年11月30日の朝、ソ連はレニングラード北方30km余りのカレリア地峡を走る国境線を越えて突如軍事侵攻する。第一次フィン・ソ戦争、即ち、「冬戦争」の勃発である。翌12月1日、ソ連は侵攻と同時に占領したカレリア地方の国境の町テリヨキに「フィンランド人民政府」と称する傀儡政権を誕生させ、この政権が率いる「フィンランド民主共和国」との間で直ちに相互援助条約を締結した。今日、フィンランドの人々は、このようなソ連の手法と、ロシアが軍事侵攻の序曲としてウクライナで見せた「ルハンスク人民共和国」や「ドネツク人民共和国」の「承認」と「友好協力相互支援協定の締結」という事の運び方とを重ね合わせて見ているのではなかろうか。

詳細は下記をご覧ください。
https://www.kasumigasekikai.or.jp/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%A8%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/

写真はロシア国境に近いウクライナの湖沼地です。

「青春の冒険、遥かなノルウエイとフィンランドへの独り旅」

2024年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は1974年に旅したノルウエイとフィンランドへの旅の思い出を書きたいと思います。私がエケトルプ教授の招待でスウェーデンに滞在している間にノルウエイとフィンランドへも行ったのです。独り旅でした。
スエーデンは北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島にある国で、首都はストックホルムです。西にノルウェー、東がフィンランド、南はデンマークと国境を接しております。
人口は1045万人で北欧諸国では最大の人口です。住民の大半は北方ゲルマン系のスウェーデン人ですが北部には少数のサーミ人とフィン人が暮らしています。
ストックホルムに住んでいる間に私はノルウエイやフィンランドなどの北欧の国々を独りで訪問しました。夏の終わりでしたが人影が無く冬のような冷たい風が吹いていました。それは孤独な淋しい旅でした。
しかし訪問先の人々は非常に暖かく迎い入れてくれました。私の冷え切った心を癒してくれました。夏でも淋しいノルウエイの写真を示します。

1番目の写真はノルウエイのフィヨルドの風景です。写真の出典は、http://www.libertyhill.co.jp/blog/gym/post-59.php です。実際に見てみると壮大な風景に圧倒されます。
2番目の写真はノルウェーのトロンハイムの町の風景です。
さてフィンランドの首都のヘルシンキへも行きました。ヘルシンキ工科大学のハイケンハイモ教授が招待してくれたのです。
その折に見たヘルシンキの美しい風景の写真をお送り致します。
夏の快晴の風景です。美しい街ですね。写真はインターンットからお借りしました。

今日はノルウエイとフィンランドへの独り旅の思い出を書きました。茫々50年。北欧ははるかに遠くなりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)