後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ドイツには数多くの温泉がある」

2024年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
ドイツは、日本などとも並ぶ温泉大国の一つです。天然温泉が噴出する温泉地では保養文化が根付いているのに加え、ドイツ独自のサウナや飲泉の文化など、さまざまな形で温泉を楽しむことができます。
私も以前ドイツに住んでいた時はバーデンバーデンの温泉に何回か入浴しました。

詳細は、http://www.newsdigest.de/newsde/features/13438-therme/ をご覧ください。

写真はニーダーザクセン州のバート・べーフェンセンの温泉です。
バート・べーフェンセンの温泉の泉質は、日本の温泉に多い塩化物泉です。これはリュウマチや関節痛、筋肉痛などの症状を和らげる効果があります。

「秘湯の酸ヶ湯温泉、峩々温泉、作並温泉、鳴子温泉の紅葉」

2024年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
私は幼少の頃からいろいろな温泉に行きました。仙台を中心にして作並温泉、秋保温泉、鳴子温泉、青根温泉、峩々温泉、遠刈田温泉、飯坂温泉、山形県の高湯温泉、上山温泉などに何度も行きました。戦前、戦後の温泉宿は質素でした。ただし湯舟には各地独特の泉質の湯が溢れ流れてました。そんな昔の温泉の光景が懐かしいです。そこでインターネットでいろいろ調べましたら昔の侘しい温泉の写真を見つけました。それは「日本秘湯を守る会」のHP(https://www.hitou.or.jp/ )です。
今日は秘湯の酸ヶ湯温泉の紅葉の写真をお送り致します。酸ヶ湯温泉は懐かしい曾遊の地です。東北の山奥にある実にひなびた温泉場です。近所の農民が湯治に来る素朴な宿があるだけです写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25053017647&GroupCD=0&no=&rtm=likeimage です。
1番目の写真は酸ヶ湯温泉です。
仙台の近くの蔵王の山の中の峩々(がが)温泉にはよく行ったものでした。当時は本当に粗末な宿でした。しかし大きな千人風呂がありました。宿は一軒だけです。その後、宿の建物が改築され大きくなりました。しかしやはり一軒宿の秘湯です。そんな峩々温泉の紅葉に囲まれた写真をお送り致します。

2番目の写真は峩々温泉です。
次に作並温泉の紅葉の風景写真をお送り致します。

3番目の写真は作並温泉です。
仙台から車で40分ほどの宮城県と山形県との県境に「作並温泉」があります。寛政8(1796)年の開湯以来、仙台の人々に親しまれてきました。広瀬川が流れる自然豊かな土地で秋には鮮やかに色づいた錦秋の山々を眺めることができます。そして昔よく行った鳴子温泉の隣には紅葉の名所の鳴子峡がありました。 懐かしい鳴子峡の紅葉の風景の写真をお送り致します。

4番目の写真は鳴子峡の紅葉です。写真の出典は、https://koyo.walkerplus.com/.../ar0204e12863/image3.html... です。

5場目の写真は奥州の3名湯の鳴子温泉の吉祥の湯です。

今日は東北地方の秘湯の酸ヶ湯温泉、峩々温泉、作並温泉、鳴子温泉の紅葉を写真でご紹介しました。

茫々70年、懐かしい温泉です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「源平合戦の平家の落人集落、定義温泉と湯西川温泉」

2024年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
源平合戦とは平安時代末期、1180年(治承4年)に起こった平氏政権に対する源氏の戦いでした。平清盛などの平家政権に不満だった源氏が源頼朝を中心として平家を討ち、鎌倉幕府を樹立したのです。日本の歴史を振り返っても最大規模の内戦でした。その事実は一番目ので表で示した全国に広がる平家の落人部落の分布を見れば一目瞭然です。

1番目の写真は全国に広がる平家の落人部落の一覧表です。この表の出典は、https://www.enysi.com/media/shizuka-005/ です。
この一覧表の一番上に定義温泉があり8番目に関東地方の湯西川温泉があります。定義温泉は仙台市の西です。湯西川温泉は日光の奥の秘境です。

今日は定義温泉と湯西川温泉を少し詳しくご紹介します。まず湯西川温泉から始めます。
その湯西川温泉には「平家の里」という落人の里を復元したテーマパークがあります。
16年前に訪れて見ましたが、付近は水田も作れず畑作もままならない谷間の寒々しい土地です。
復元、展示されている家々は少し立派すぎるようですが、それも一興と思いました。
平家一門に関する数々の品や木工の道具類も展示されています。
壇ノ浦近くの赤間神社から、テーマパーク建設の時に分祀した小さな神社もあります。そのおりに贈られた長門本20巻の復刻版も展示してあります。
それでは早速、写真でご紹介いたします。

2番目の写真は「平家の里」という落人の里を復元したテーマパークの門柱です。2008年12月03日 に自分で撮った写真です。

3番目の写真は平家の落人が住んでいたと言われていた家を復元したものです。
写真の出典は、https://9r8m.jp/yunishigawa/ です。

4番目の写真はもう一つの家です。「平家の里」には数棟の平家の落人の家が復元してあります。
写真の出典は、https://4travel.jp/travelogue/10723335 です。

5番目の写真は平家の落人が使っていたという道具類の展示です。復元したものなので新しい道具類です。
さて文献によるとこの湯西川温泉まで逃げて来たのは平家の武将、平貞能(さだよし)と平重盛の妹の妙雲禅尼であることが記録に残っています。
壇ノ浦の戦いのあと武将、平貞能は妙雲禅尼を助け遥ばる宇都宮まで逃げて来たのです。何人もの家来もついて来ました。
宇都宮の領主の藤原朝網に保護して貰らおうとしたのです。
しかし朝網は困ります。そこで付近の最高峰の高原山へ一行を隠します。
ところが一行のなかのある女が男の子を安産します。御祝に鯉幟を高く上げました。それを落人探索中の源氏方に見つかり攻められます。
そこで落人の一団は二手に分かれ貞能(さだよし)は塩原へ逃げ、さらに遠く、仙台の西の作並温泉隣の定義温泉まで落ちて行きます。
一方、貞能の一団は塩原のさらに西の険しい山々に分け入り、現在の湯西川温泉の地に隠れました。そこまでは記録も残っているのです。

仙台の定義温泉まで行った貞能は出家して定義(じょうぎ)と名乗ります。この定義は「さだよし」とも読めます。作並から山に入りこんだ所に現在も定義温泉があります。定義和尚はそこで天寿をまっとうしました。住んでいた堂を後の人々が定義不動堂として現在に到っています。
私も仙台に住んでいた頃は何度か定義温泉の湯に浸かりに行きました。定義温泉は気違いを直すと言われていました。お陰で私は気違いにならずに一生が終わりそうです。閑話休題。
定義温泉をもう少し詳しく書きます。
仙台市から奥羽山脈の大倉川上流、後白髪山の南麓にあります。昔から精神病に卓効ありといわれている塩化物泉です。
定義の集落には平家の落人の平貞能と家来たちが住み着いたのです。
平貞能が阿弥陀如来を祀ったといわれる西方寺(定義如来)も定義不動堂も仙台では有名です。
仙台駅前からバスの便がありますが山奥です。
この定義温泉も本物の平家の落人集落です。

今日は本物の平家の落人集落の日光の湯西川温泉と仙台の定義温泉をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)