昭和30年頃に歌声喫茶というものが流行っていました。客が声を合わせて歌う喫茶店です。伴奏はアコーディオンです。いろいろな歌がありました。よく歌われたのはロシア民謡でした。
懐かしい歌を列記します。
紅いサラファン、泉のほとり、トロイカ、ともしび、バイカル湖のほとり、ヴォルガの舟歌、カチューシャ、ステンカラージン、黒い瞳などでした。
今日は「ヴォルガの舟歌」を少し詳しくご紹介したいと思います。
ロシアでの船引きの仕事は16世紀から20世紀にかけてさかんに行われていました。1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真さえ残っている。しかしこの仕事は蒸気船の出現で時代遅れになりソ連政府は1929年に、船引きを正式に禁止した。
今日はイリア・レーピンの絵画、『ヴォルガの船引き』にまつわる話です。参考にした資料は次です。https://jp.rbth.com/history/79264-burlaki
レーピンの『ヴォルガの船引き』を掲載します。
1番目の写真はレーピンの『ヴォルガの船引き』です。サンクトペテルブルクのロシア美術館にあります。イリヤ・レーピンが初めて船引きを目にしたときその重労働の光景に悲しみを感じました。悲惨な光景が彼の心に刻まれたのです。人間の苦しみと周囲の自然の美しさにが心に刻まれたのです。彼はこの絵の完成のために数十ものスケッチをします。そして有名な『ヴォルガの船引き』を完成させる前に、『浅瀬を行く船引き』(1872)を制作したのです。
船引きが最もさかんだったのはヴォルガ河でした。河畔のルイビンスクは「船引きの首都」と呼ばれていたくらいです。ルイビンスク市は商業・物流の一大中心地になり貨物船、ポーター、荷馬車の御者など多数の労働者が住んでいました。
さてレーピンは船引きを描いた唯一の画家ではないのです。他にも、この主題を描いた優れた絵がいくつかあります。例えば、歴史画家ワシリー・ヴェレシチャーギンの「船引き」は、レーピンの傑作より6年早く、1866年に制作されています。
レーピンの少し前には、アレクセイ・サヴラーソフも、「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)で、この苦しい労働を描いています。
2番目の写真はアレクセイ・サヴラーソフ作の「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)です。
しかしレーピンの絵の方が絵画として優れています。批評家はレーピンの絵を賞賛し作家ニコライ・ゴーゴリの小説の力になぞらえました。レーピンの絵は極めて芸術的であり、しかも労働者の生活の苦しさを描き出していると評価したのです。大作家フョードル・ドストエフスキーも、その『作家の日記』のなかで、この絵を、芸術における真実の勝利と呼んで高く評価しました。
これらの絵画に描かれた光景の写真を示しておきます。
3番目の写真は1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真です。写真の出典は次です。https://jp.rbth.com/history/79264-burlaki?fbclid=IwAR3tUomY2wKW5oJ-WIsP4SmfXPCDUy06TBOXE_Q1lMMztdTmcFb2fGD115g
4番目の写真は男性の農民が舟を曳いている写真です。写真の出典は4番目の写真と同じです。
今日はレーピンの絵画、『ヴォルガの船引き』にまつわる話を書きました。21世紀の現在今日掲載した写真を見ると衝撃を受けます。しかし人間の歴史にはこんな事もあったのです。歴史の真実を忘れないことが重要なのです。悲劇を繰り返さないためにも。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)