後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ロシアへの憧れとシベリア鉄道」

2024年10月29日 | 写真
シベリア鉄道は、ロシア連邦のシベリアとヨーロッパロシアを東西に横断する鉄道です。全長は9,297キロメートルで、世界一長い鉄道です。
私の若い頃にロシア民謡が流行っていてロシアに憧れる人が多いものでした。シベリア鉄道にも憧れる人が多くいました。
共産主義は大嫌いですがロシア民族には親しみを感じます
写真をお送り致します。

「我が青春は歌声喫茶が流行っていた時代」

2024年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム
我が青春は歌声喫茶が流行っていた時代でした。友人と共に私も歌声喫茶によく行き合唱したものです。もう昔のことで知らない人も多いと思いますので簡単にご紹介したいと思います。
歌声喫茶は客全員が歌う喫茶店でした。1955年前後の東京など日本の都市部で流行し、1970年代までに衰退したのです。
リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うのです。伴奏はピアノやアコーディオンなどの単独の楽器が使われることが多く、大きな店ではバンドも入っていました。
歌われる歌はロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲など。店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともありました。
1955年(昭和30年)、東京・新宿に「カチューシャ」、「灯」がオープンします。これをきっかけとして東京に歌声喫茶が続々と誕生したのです。
労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は毎日のように人であふれ、最盛期には日本全国で100軒を超える店があったと言われていました。
1965年(昭和40年)頃をピークに、歌声喫茶は退潮し、急速に衰退し、その後の10年ほどでほとんどの店が閉店していったのです。
歌声喫茶の写真です。写真の出典は、https://conex-eco.co.jp/showa/56833/ です。


以上、歌声喫茶が流行っていた時代を簡単にご紹介致しました。

「懐かしいのは歌声喫茶とロシアの「ヴォルガの舟歌」」

2024年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和30年頃に歌声喫茶というものが流行っていました。客が声を合わせて歌う喫茶店です。伴奏はアコーディオンです。いろいろな歌がありました。よく歌われたのはロシア民謡でした。
懐かしい歌を列記します。
紅いサラファン、泉のほとり、トロイカ、ともしび、バイカル湖のほとり、ヴォルガの舟歌、カチューシャ、ステンカラージン、黒い瞳などでした。
今日は「ヴォルガの舟歌」を少し詳しくご紹介したいと思います。
ロシアでの船引きの仕事は16世紀から20世紀にかけてさかんに行われていました。1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真さえ残っている。しかしこの仕事は蒸気船の出現で時代遅れになりソ連政府は1929年に、船引きを正式に禁止した。
今日はイリア・レーピンの絵画、『ヴォルガの船引き』にまつわる話です。参考にした資料は次です。https://jp.rbth.com/history/79264-burlaki
レーピンの『ヴォルガの船引き』を掲載します。

1番目の写真はレーピンの『ヴォルガの船引き』です。サンクトペテルブルクのロシア美術館にあります。イリヤ・レーピンが初めて船引きを目にしたときその重労働の光景に悲しみを感じました。悲惨な光景が彼の心に刻まれたのです。人間の苦しみと周囲の自然の美しさにが心に刻まれたのです。彼はこの絵の完成のために数十ものスケッチをします。そして有名な『ヴォルガの船引き』を完成させる前に、『浅瀬を行く船引き』(1872)を制作したのです。
船引きが最もさかんだったのはヴォルガ河でした。河畔のルイビンスクは「船引きの首都」と呼ばれていたくらいです。ルイビンスク市は商業・物流の一大中心地になり貨物船、ポーター、荷馬車の御者など多数の労働者が住んでいました。
さてレーピンは船引きを描いた唯一の画家ではないのです。他にも、この主題を描いた優れた絵がいくつかあります。例えば、歴史画家ワシリー・ヴェレシチャーギンの「船引き」は、レーピンの傑作より6年早く、1866年に制作されています。
レーピンの少し前には、アレクセイ・サヴラーソフも、「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)で、この苦しい労働を描いています。


2番目の写真はアレクセイ・サヴラーソフ作の「ユーリエヴェツ付近のヴォルガ」(1871)です。
しかしレーピンの絵の方が絵画として優れています。批評家はレーピンの絵を賞賛し作家ニコライ・ゴーゴリの小説の力になぞらえました。レーピンの絵は極めて芸術的であり、しかも労働者の生活の苦しさを描き出していると評価したのです。大作家フョードル・ドストエフスキーも、その『作家の日記』のなかで、この絵を、芸術における真実の勝利と呼んで高く評価しました。
これらの絵画に描かれた光景の写真を示しておきます。

3番目の写真は1900年代初めに女性の船引きを撮影した写真です。写真の出典は次です。https://jp.rbth.com/history/79264-burlaki?fbclid=IwAR3tUomY2wKW5oJ-WIsP4SmfXPCDUy06TBOXE_Q1lMMztdTmcFb2fGD115g

4番目の写真は男性の農民が舟を曳いている写真です。写真の出典は4番目の写真と同じです。

今日はレーピンの絵画、『ヴォルガの船引き』にまつわる話を書きました。21世紀の現在今日掲載した写真を見ると衝撃を受けます。しかし人間の歴史にはこんな事もあったのです。歴史の真実を忘れないことが重要なのです。悲劇を繰り返さないためにも。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)