後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あなたに沢山のバラの花(の写真)をお贈りいたします

2014年05月24日 | インポート

春バラも終わりかけました。昨日、近所のバラの栽培上手な家のバラの花々の写真を撮らせて頂きました。本物でなく恐縮ですが、写真だけでもお贈りいたします。
お楽しみ下されば嬉しいです。

ついでに薔薇の詩人を調べて見ましたら大手拓治の詩を見つけました。下に示します。

「薔薇の誘惑」
ただひとつのにほひとなつて
わたり鳥のやうにうまれてくる影のばらの花、
糸をつないで墓上(ぼじやう)の霧をひきよせる影のばらの花、
むねせまく ふしぎなふるい甕(かめ)のすがたをのこしてゆくばらのはな、
ものをいはないばらのはな、
ああ
まぼろしに人間のたましひをたべて生きてゆくばらのはな、
おまへのねばる手は雑草の笛にかくれて
あたらしいみちにくづれてゆきます。
ばらよ ばらよ
あやしい白薔薇のかぎりないこひしさよ。

(詩の出典は、http://nemurusyura.blog46.fc2.com/blog-entry-105.htmlです。)

大手 拓次(おおて たくじ、1887年11月3日 - 1934年4月18日)は群馬県碓氷郡西上磯部村(現安中市)、磯部温泉の温泉旅館・蓬莱館の家に生まれる。同県の安中中学校、高崎中学校、早稲田大学第三高等予科を経て、1907年9月、早稲田大学文学部英文科に入学。この頃より詩を発表しはじめた。1912年卒業。卒論は「私の象徴詩論」。

卒業後しばらくは、詩作のほかこれといった仕事をせず、貧窮に甘んじていたが、1916年にライオン歯磨本舗に就職。以後、生涯をサラリーマンと詩人の二重生活に捧げた。学生時代以来の左耳難聴や頭痛に悩まされ、その後もさまざまな病気で通院、入院を繰り返すなど健康状態は概して良くなく、最後は結核によって亡くなった。

生涯に書かれた詩作品は2400近くにのぼる。作品の発表を盛んに行っていたものの、生前に詩集が発刊されることはなかった。友人や詩壇とのつきあいに乏しく、生涯を独身で通したため、彼に関する偏見や誤解は、生前も死後も強かった。死後(1936年)に刊行された詩集『藍色の蟇』に寄せられた、北原白秋や萩原朔太郎の文章に見られる「亜麻色の捲毛に眼は碧い洋種の詩人」「仏蘭西語の書物以外に、日本語の本を殆ど読んで居ない」「永遠の童貞」などはその典型である。

( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%89%8B%E6%8B%93%E6%AC%A1より。)

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牧歌的な仏教国、タイで起きたクーデターが欧米流民主主義の限界を示す

2014年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

タイにはプミンポン王がいて国民に尊敬されています。

憲法9条には軍隊はこの王様を最高司令官と規定しています。王様の軍隊という意識が強い国なのです。

このタイで5月22日に軍事クーデターが起き、インラック前首相と現閣僚全員やデモ隊の主導者達が拘留され、タイの国家運営はプラユット陸軍司令官がすることになりました。

国民を放り出した際限の無い政争に終止符を打ったのです。喧嘩両成敗を王様の軍隊が行なったのです。

これはタイの欧米流民主主義が軍隊によって蹴散らかされてしまったのです。

このような事件はタイでは日常茶飯事で過去すでに19回起きているのです。

このタイでの社会現象は欧米流の民主主義がアジア諸国ではその欠点が現れ、それが政治的制度の中に強固に根付かないことを示しているのです。

論を進める前に古都アユタヤの仏教寺院の風景写真を3枚示します。

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(3枚の写真は、和田フォトギャラリー感動写真集(宮嶋茂撮影)http://wadaphoto.jp/ayu1.htm より転載させて頂きました。)

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そもそも欧米人の間違いはギリシャ時代に端を発する民主主義が最善の政治体制であり、世界中の全ての国々がこの政治体制を持つべきだと主張することにあります。主張どころか強制し従わなければ経済制裁もしかねないのです。

欧米流の民主主義はイスラム文化圏では受け入れらていません。トルコはイスラム文化圏なのでEU加盟国には入れてくれません。

当然ながら共産主義国家にも受け入れられていません。

そして穏健なヒンズー文化のインドや仏教国ではその国特有の伝統文化と混淆し、欧米流の民主主義が変化して根付いているのです。

タイでは「欧米流の民主主義」と、「王様が小乗仏教徒を治めるという伝統文化」が混淆しているのです。

王様が治める国ですから王様の軍隊が時々社会の前面に出てくるのです。政治を任せていた人々が、国民の生活を忘れ、際限もない争いをしていれば、喧嘩両成敗をしなければなりません。タイ人にとっては自然なことです。

それがタイの軍事クーデター現象なのです。

それを欧米の尻馬に乗って軽薄な批判をしてる日本の新聞には失望を禁じ得ません。それより日本の民主主義の欠点を反省すべきです。民主主義を導入する過程で何処が意図的に曲げられたかを考えるべきです。

欧米で暮らしていると彼の地の民主主義がもっともっと個人の自由と尊厳を守っていることに気がつきます。日本の制度は確かに欧米流になっています。しかし民主主義の根底にある自由と平等の精神が根着いていないような感じがします。

制度は素早く真似するが、その根底にある精神は導入しないのが日本の欧米化の弊害なのです。

今回のタイのクーデター事件を見ながら感じたことを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料===============

「インラック前首相拘束し軍施設に移送 出頭対象は100人超」http://sankei.jp.msn.com/world/news/140523/asi14052320130010-n1.htm より。

2014.5.23 23:55
タイのインラック前首相(ロイター)

タイのインラック前首相(ロイター)

 【バンコク=岩田智雄、シンガポール=吉村英輝】タイで22日に起きた軍のクーデターで、全権掌握を宣言した「国家平和秩序維持評議会」は同日深夜、評議会議長のプラユット陸軍司令官に首相権限を付与したと発表した。司令官は当面の間、事実上の首相代行となる。評議会は23日、タクシン元首相派の政治家や反政府デモの活動家らに出頭を命令し、バンコクの陸軍施設に同日出頭したインラック前首相を拘束した。

 事実上の戒厳司令部である評議会は、出頭に応じない場合は逮捕して訴追すると警告。現地報道によると出頭対象者は100人を超え、23日はインラック氏やニワットタムロン首相代行ら約40人が出頭した。インラック氏は同日、タイ中部の軍施設に移送された。

 評議会はまた、出頭対象者を含む155人に、許可なしに出国することを禁じた。タイではクーデターを受け、インラック氏らタクシン一族が国外逃亡するとの臆測が流れていた。

 一方、評議会は23日、軍との22日の会合出席後に拘束していた民主党のアピシット党首らを解放した。反政府デモ隊の「人民民主改革委員会(PDRC)」を率いるステープ元副首相や、タクシン氏を支持する「反独裁民主統一戦線」(UDD、通称・赤シャツ)の一部幹部らは、現在も拘束下にあるもようだ。

 プラユット司令官は、治安を確保しつつ、国際社会の非難やタクシン派の反発を意識して、早期の民政移管を目指すとみられる。

 軍当局は23日もバンコクなどで、UDDや反タクシン派の活動拠点で強制的にデモを解散させた。地元メディアによると、双方のデモ隊は同日中にバンコクの拠点から全員が退去したが、チェンマイ市などタクシン氏が地盤とする北部ではクーデターに反対する小規模な集会が開かれた。


みずからの歴史の転換に直面する日本人(5)中国人と韓国人の侮蔑用語を平気で使う最近の日本人の民度の低

2014年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

歴史の転換期にはそれまでに無かったいろいろな社会現象が起きるのです。それは覚悟の上なので仕方が無いと諦めています。

しかしどうしても我慢出来ない悲しい現象の一つに最近の日本人がしきりに使う侮蔑用語の低劣さです。

韓国人や中国人を蔑み貶める呼び方を使うのです。それは戦前、戦争中の侮蔑用語や差別用語とは異質の新しい用語なのです。

中国人や韓国人を憎むのは個人の自由です。心の中で蔑むのも仕方がありません。

しかし自分の人格をも傷つけるような侮蔑用語を公然とネットのページに書きつける人が多いのです。

ネットでは匿名なので酷い呼び方を個人的に考えて平気で使います。

反中国や反韓国のネットのページに、最近、特に多く目につくのです。そのような下品な言葉を使わないで中国や韓国の何処がいけないのか堂々と書くべきです。

日本人はもっと誇り高い民族だった筈です。もっと民度の高い民族だったはずです。

最近、みずからの歴史の転換に直面している日本人たちが、右翼化を急ぐあまり下品な侮蔑言葉を使うのです。そんなことをしなくても時代が変われば歴史も転換するのです。

中国人や韓国人と対抗して争うのも個人の自由です。しかし日本人の誇りを捨てて民度まで下げる差別用語や侮蔑用語は使うべきではありません。

彼等の人格を尊重し、交流を深めるべきです。日本には昔から美しい富士山と桜花がありました。歴史の転換期にあたって、今日この頃感じていることを書いてみました。

下に山梨の山郷に咲く桜花の写真を掲載します。今年の4月に撮った写真です。

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世の中の不公平と不幸(2)子供の死が両親の離婚を引き起こす二重不幸

2014年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

人々の幸福は皆同じようなものです。仲の良い家庭があって生活に困らない程度の収入があれば良いのです。これは世界共通のことです。

しかし不幸な状況は個人個人まったく異なります。その上内戦が絶えない国と平和な国では不幸の原因もその状況も全く異なります。

ですから「世の中の不公平と不幸」という連載記事は際限が無くなりそうです。

しかし幾つかの類型的な不幸の原因を取りあげてみたいと思います。

今日は子供の突然の死が原因になる不幸について考えて見ます。

最愛の子供が突然、急病で亡くなったり交通事故で亡くなることもあります。あるいは自殺することもあります。誘拐されて命を落とすこともあります。

残された両親にとってこれほどの不幸はありません。食欲も無くなり夜も悶々として眠れません。こういう時は慰めの言葉も、宗教も一切無駄です。静かに静かに見守ってあげるだけです。

子供の死はその悲しみを両親が支えあって凌ぐだけです。残された夫婦は以前よりもっと深く愛し合い、その不幸を乗り越えなければなりません。多くの場合はそうなります。

しかし稀には残された夫婦がいがみ合い、攻撃し合い離婚する場合も多いのです。それまで真面目に働いていた夫も働く生きがいも無くなります。数年して気がつてみたら多摩川の河川敷で段ボールの家に住んでいたのです。それに近い話を聞いたことがあります。

この現象は子供の死、離婚、そして社会人失格という不幸が二重、三重に襲って来た現象です。

その原因はたった一つです。子供の死の原因をあれやこれやと悶々と考えることが唯一の原因なのです。すると自分が傷つき、夫を攻撃し、しまいには憎しみ合って離婚してしまうのです。離婚された夫も生きがいを失い多摩川に住み込んでしまうのです。

息子が高校生の時自殺しました。母親は自分の育て方が悪かったせいだと自分を傷つけます。父親が厳しすぎたからだと夫を攻撃します。そして離婚するのです。

息子が自殺した原因を考えてはいけません。本当の原因なは本人にしか分かりません。本人すら分からないのかも知れません。原因なんか存在していないのです。

原因があって結果があると思えば不幸がますます襲ってくるのです。

子供の死は悲しむべきです。徹底的に悲しみましょう。しかし原因など一切考えないで死を受け入れるようにします。残された家族同士が支え合うように努力しましょう。

宗教にすがるのも無駄かも知れません。しかし下の写真のようなお寺を散歩すると少し気分も平穏になるかも知れません。

日本は仏教国なのでお釈迦様の教えを思い出すのも良いかも知れません。

この世のものは全て儚いものです。どんな人にも死が訪れるのです。その死の時期は人間には分からないのです。ですからこそ儚いものなのです。その原因を考えることほど愚かなことはありません。それは弱い人間の迷いなのです。

それこそが無明の世界なのです。煩悩にとらわれた迷妄の世界なのです。

私はカトリックです。キリスト教では神様が呼び寄せてくれたと教えます。残された家族がそのように信じれば神様は絶対に悪いようにはしないのです。

しかしそれにしても世の中は不公平なものです。不幸が無数にあるものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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(写真の出典:http://jp-isan.com/eiheiji.html

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(写真の出典:http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eiheiji15s4592.jpg

永平寺で一番感激した場所はこの写真の長い、ゆるやかな階段です。修行僧が大切そうに磨いています。この階段をゆっくり登っていくと自然、自然にお釈迦様に近づいて行くように感じるのです。そして神々しい本堂の景観が急に広がっているのです。それは訪れた永平寺で何度も感動した場所でした。


年老いて独り飲む酒の悲しみと喜び、そして充実感

2014年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、このブログでは深刻な内容の記事を書き続けて来ました。

以下のような題目の記事です。正直言って疲れました。

そこで今日は老人になると酒やビールの飲みかたがすっかり変わってしまうというどうでも良い気楽な記事を書きます。

世の中の不公平と不幸(1)貧困な家に生まれる不幸

みずからの歴史の転換に直面する日本人(1)国民投票で憲法を改正する歴史的意味

みずからの歴史の転換に直面する日本人(2)平和を守るために憲法9条は有効か有害か?

みずからの歴史の転換に直面する日本人(3)国民投票で憲法改正をする日本人の考え方の変化

みずからの歴史の転換に直面する日本人(4)中国と韓国の嫌がらせは将来も長期間続く

30歳台から50歳台までは、職場の仕事仲間と街に繰り出して、騒々しく飲み歩いたものです。昔は職場の仲間と一緒に飲むのは一種の義務のようなもので、それを怠ると何となく非難がましいことを言われたものです。

酒も飲めない者は一人前の男でないと言われたものです。それはあまり褒められた風習ではありません。そのせいか最近はこのような無理に酒を飲み回る風習は無くなったようです。個人的に気に入った店で静かに飲むのです。家に帰って妻と一緒に話しながら飲みます。

日本も良い時代になったものです。

それはさておき、私は60歳、70歳になってからガラリと酒の飲み方が変わってしまいました。

以前はウイスキーのオンザロックを飲んだり通ぶってドイツワインのモーゼル地方のワインを講釈しながら飲んだものです。日本酒も八海山のような新潟の酒が美味だと飲んだものですた。

しかし70歳を過ぎる頃から重いお酒は嫌いになり、最近はもっぱら発泡酒だけを独りで飲みます。それもl下の写真に示すような暮れゆく雑木林の風景を見ながら独り静かに飲むようになりました。少し酔いが回ってくると亡くなった友人たちの面影を次々に思い出し、悲しい気分になります。しかしそれも一瞬です。もう少し酔いがまわると陽気な気分になり楽しい思い出が次々に眼前に現れます。そして人生の充実感が翻然と湧いて来るのです。

最近、こんな楽しいビールの飲み方をしたので下に写真をしめします。

一番目の写真は白馬山です。白馬東急ホテルの庭の雑木林を通り抜けるとこんな風景が広がっています。この風景を脳裏に焼き付けて置きます。

2番目の写真はホテルの庭です。この庭を見下ろしながら、テラスでビールをゆっくり飲むのです。

3番目の写真はそのビールです。テラスにテーブルが無かったので椅子の上がテーブル代わりです。

4番目と5番目の写真は暮れゆく庭の雑木林の様子です。

このように独りで夕方の風景を見ながらビールを楽しむのは自分の山小屋でも同じです。

6番目の写真は小屋の前の小川のほとりでビールを飲んでいる風景です。

自宅でビールを飲む時も、」時々は写真のような光景を想い浮かべながら飲みます。

本当につまらないお話でした。ご勘弁下さい。

それはそれとして、今日も皆様の健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(」藤山杜人)

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「燈台へ行く道」西脇順三郎、そしてトベラの花

2014年05月21日 | うんちく・小ネタ
「燈台へ行く道」  西脇順三

 

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた
やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思つて
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあつた
あかのまんまの力も弱つていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゅうたんのように赤い
種子(たね)がたくさん、心(しん)のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいゝ生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした


  この暑さが、詩のなかに夏を探そうとさせたのだろうか。この夏は、歳時記を繰るようにして、詩集を読むことが多かったような気がする。それは、「自然と詩」について考える機会でもあった…か。
 いい加減、そんな渉猟/逍遙に厭いて、ただぼおっと順三郎の詩行を追っていたら、ふっと目の前にこの詩が現われた。ギリシャ的/地中海的な構図の中を行く詩人の前に現われた、かくされた〈さびしさ〉。西脇詩学を絵に描いたようなものだが、この「燈台へ行く道」は、いま、わたし(たち)が行く道でもあるように思われた。(文責・岡田) 以上は、http://www.midnightpress.co.jp/poem/2008/08/post_56.htmlから転載させて頂きました。この文章を書いた岡田さんは詩集の出版をするミッドナイト・プレスという会社を経営しています。こんな会社が世の中にはあるんですね。
上の詩、「灯台へ行く道」の中に出てくるトベラの花の写真を下に示します。昨日、清瀬市の金山緑地で偶然見つけたのでです。
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=====参考資料========================

1922年(大正11年)に神戸より北野丸でイギリスに出帆。同船した福田敬二郎を通じて従弟の郡虎彦と到着したロンドンで交わる。オックスフォード大学の入学手続きに間に合わず、一年間はロンドンでジョン・コリアー、シェラード・ヴァインズらとの交友の結果、モダニズム文学運動に接する。1923年(大正12年)1月より住居をケンジントン地区のホテル・ローランドに定め、7月にスコットランドを旅行。10月にオックスフォード大学ニュー・カレッジ(New College)英文学Honors courseに入学。フランス、スイスに旅行し、1924年(大正13年)の夏学期に大学のニューディゲイト賞にラテン語で応募しようとしたが、時間不足のため英詩に転換。後に『Ambarvalia』に「哀歌」として名残りのラテン詩が載った。

「A KENSINGTON IDYLL」がT・S・エリオットの詩と共に『チャップブック (Chap Book)』39号に掲載され、この年に英詩を乱作し、12月フランスで『シュルレアリスム革命』誌が刊行される。1925年(大正14年)にオックスフォード大学を中退し、ロンドンで英文詩集『Spectrum』をケイム・プレス社より自費出版。これがデイリー・ニューズ紙とタイムズ紙文芸附録の書評に取り上げられ、一躍文名をあげた。帰国の途中にパリで仏文詩集『Une Montre Sentimentale』を出そうとしたが果たせなかった。

西脇順三郎は1894年(明治27年)1月20日生まれ、 1982年(昭和57年)6月5日に亡くなる。日本の詩人でかつ英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。


みずからの歴史の転換に直面する日本人(4)中国と韓国の嫌がらせは将来も長期間続く

2014年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの日本人は憲法を国民投票で改正し、戦争放棄を謳い上げた第9条を変えようとしています。過半数が賛成しているか否かは未だ判然としていませんが、これは戦後の歴史の一大転換です。

この歴史的変換の原因はいろいろ存在しています。しかし一番大きな原因は中国と韓国が執拗に続行している日本人への嫌がらせ政策です。

彼等の日本に対する恨みや復讐心の深さは日本人の想像を越えるものです。

話し合いや外交で解決のつかない深い、深い恨みなのです。ですから多くの日本人は、軍備を強化して彼等に軍事的に対決すべしと考えるようになったのです。

この日本人の考えかたの変化が、「みずからの歴史の転換に直面する日本人」という社会情勢を作りだしたのです。

しかし、この嫌がらせ政策は将来もえんえんと続くと思います。将来30年、50年と続くとも思います。

日本人はこのような情勢下で如何にして戦争を回避して、平和を守れば良いのでしょうか?とても困難な状況に直面しているのです。賢さと叡智が求められているのです。

そもそも中国や韓国の日本へ対する深い恨みは明治維新による日本の富国強兵に端を発しているのです。日清戦争で台湾を自分のものにし、日露戦争で満州を自国のものとしたのです。そして朝鮮は完全に併合し日本化政策を強行したのです。

これが倫理的に悪いと私は非難しません。世界中が武力で植民地の獲得競争をしていた時代だったのです。

そんな時代の日本の対中国政策や朝鮮合併が、彼等の心の中に深い恨み植えつけたのです。

「南京虐殺問題」や「尖閣諸島問題」は中国人の深い恨みの一角なのです。丁度大きな氷山のほんの一部分だけが海面に見えているようなものです。

韓国の徴用工や従軍慰安婦の問題も氷山の一角に過ぎません。

中国の共産党独裁の政権は国内問題が起きるたびに国民の日本人へ対する恨みを掻きたて、扇動し、政権の安泰を獲得するのです。

韓国の政権は独裁政権ではありませんが同じことをします。

この政権維持の方法は今後も続くと思います。将来30年、50年と続くとも思えます。

しかし中国と韓国と日本の経済交流はますます強くなるでしょう。それなくしてはアジアの経済成長は頓挫してしまうからです。中国との貿易が途絶すれば数多くの日本の会社が倒産します。安い製品を中国から輸入して日本で少し加工して世界中へ販売している会社が倒産します。安い食材を輸入して美味しい料理を出しているファミリーレストランが倒産します。

政治と経済の賢明な分離がますます重要になります。しかしそれは易しいことではありません。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来ました清瀬市の金山緑地の風景写真です。

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センダンの薄紫の花が気品ある香りを漂わせています。

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イチハツも咲き始めました。

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上はトベラの花です。 海岸に多い植物です。西脇順三郎の「燈台へ行く道」を思い出します。


みずからの歴史の転換に直面する日本人(3)国民投票で憲法改正をする日本人の考え方の変化

2014年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

国民投票を実施すれば憲法改正に賛成する人が過半数になる可能性が大きいと思います。

政府は過半数になるまでいろいろな広報活動を続け、確実に過半数になってから国民投票を実施すると思います。

そして戦争放棄の表現を削除し、軍備の強化が出来るような内容に変えるのです。

これは戦後69年の歴史の中の一大転換です。

最近の世論や国際情勢を勘案すると憲法改正に賛成する日本人が次第に増加していると考えられます。

賛成の理由は人それぞれ違いますが、その理由は以下のような事情が複雑に相互関係していると考えられます。

(1)第二次世界大戦や日中戦争に出征して戦争の悲惨さを体験した人々が次第にいなくなったのです。戦争で父や兄弟を失い苦しい、悲しい人生を過ごした人々も高齢化し、次第にいなくなったのです。

敗戦後に生まれ、戦争の悲惨さを体験していない日本人が大多数になってしまったのです。

(2)多くの日本人が憲法第9条の戦争放棄の宣言のお陰で平和だったという理解の間違いに気がついてきたのです。

米ソの厳しい冷戦構造のなかで圧倒的な米軍に守られきたおかげで平和だったのです。

しかしその米軍の戦力に翳りが見え始め、ロシアのクリミア半島併合や中国の尖閣諸島の領海侵犯の現実を見て、日本人は自分で国土を守るべき時代になって来たと思い始めたのです。それは平和ボケからの覚醒です。

(3)日本が再軍備し軍備強化をしても大戦争にならないという予感を多くの人々が感じているのです。小規模な武力衝突は起きる可能性はありますが、第二次世界大戦のような大戦争は絶対に起こることはないと考えているのです

その理由は中国国内に日本の支店や工場が数千もあり、またアメリカ国内へも中国の会社が投資をしているからです。大戦争をすれば双方が失うものがあまりにも大きいのです。

このような国境を越えた経済活動の相互交流が現存しているかぎり、その事実が大戦争回避の保険のような役割をしているのです。この事情は第二次世界大戦の開戦前の事情と大きな相違なのです。

(4)日本の文化がアメリカのような個人の尊重を重要と考えるように変化してきました。ですから最近の若い日本人が軍隊に志願するのも個人の自由と考えます。

日本人の若者は徴兵制度さえ絶対に無ければ志願兵だけで小規模な戦争をしても良いと感じているようです。

(5)多くの若い日本人が海外でいろいろなボランティア活動をしています。例えばシリア内戦で生じた200万人以上の難民をトルコやイラクの現地に住みこんで助けています。最近はロシアのプーチン大統領が支持しているアサド大統領の武力攻撃が激しくなって難民が増加しているのです。

そして中国からはるかに離れた南シナ海の南沙諸島で中国は軍用飛行場を作るため海の埋め立てを実施しているのです。

このように武力がものを言う現実を日本国内にいる若い人々が見ているのです。

外交交渉も非常に重要ですが武力も絶対必要だと考える日本人が増加しつつあるのです。

上に書いたような日本人の考え方の変化が起きつつあるのが現在の日本であると私は観察しています。この変化は日本の将来のために良いことなのか悪い結果をもたらすかは分かりません。しかし世の中は時代によってどんどん変わるものだと驚いている今日この頃です。今日の挿絵代わりの写真は水元公園の中にあるバードサンクチュアリの写真3枚です。カワウやシラサギやゴイサギが遊んでいました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

 後藤和弘(藤山杜人)

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本物の武蔵野の写真を撮って来ました

2014年05月19日 | 写真

人の手の入っていない本物の武蔵野とは鬱蒼とした混生林です。里人が薪炭にするコナラやクヌギを整然と植林した雑木林の美しさとは似ていない、それこそ雑然とした恐ろしい森です。

この天然の武蔵野をそのまま保存しているところを私は3ケ所知っています。小金井公園の一角、神代植物公園のバラ園の東に隣接する地で、有刺鉄線で囲んであります。実に雑然とした混生林です。下草も刈っていないので、人間は通行出来ません。

もう一つは小平霊園の中にある黒目川の源流地帯の「さいかち窪」です。ここだけ東久留米市の飛び地になっていて武蔵野の自然林が厳重に保存されています。

幸い混生林の中に人間の通うれる踏み跡があったので林のなかを散策しながら写真を撮って来ました。源流地の水は、この時期は枯れていて沼が見えませんでした。」梅雨時になると水が溜まるそうです。

下の一番目の写真はは墓地から見た「さいかち窪」の混生林です。

2番目の写真が黒目川の源流の水路です。この時期は水が枯れています。

3案目、4番目、5番目の写真はこの混生林の中から撮った写真です。

昔の武蔵野には、このような荒々しい森がはてしなく広がっていたそうです。その森のあちこちが切り開かれていて茅葺の農家が散在していたそうです。

国木田独歩の「武蔵野」という随筆集が出たころの武蔵野を想像しながら写真を撮ってきました。

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====黒目川とは=======================

東京都東久留米市と東村山市、小平市の境界に位置する小平霊園内の「さいかち窪」に源を発し、東久留米市、埼玉県新座市、朝霞市を流れ朝霞市大字根岸で新河岸川へ合流する。

岸辺は遊歩道が整備されている部分が多く、ウォーキング、サイクリング、散歩に適している。中沢川との合流付近には妙音沢や市場坂遺跡がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%9B%AE%E5%B7%9D より)


みずからの歴史の転換に直面する日本人(2)平和を守るために憲法9条は有効か有害か?

2014年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

来年以降に国民投票で憲法を改正すべきか否かを決めるとことは日本の歴史的転換になります。

戦争放棄と軍隊廃止を謳い上げた第9条を保持するか削除するかを決めるのですから戦後の歴史に訣別しようとする重大な決定なのです。

第9条を保持すべきという意見と廃棄すべきという相反する意見をそれぞれ2つずつ以下に整理してみます。

(1)戦後70年近く日本が平和だったのはこの第9条のお蔭でした。従ってこの条文は絶対に保持すべきです。憲法改正に反対です。

(2)戦後70年近く日本が平和だったのはこの9条のお蔭だけだったのではなく日米安保のお蔭でした。この第9条は世界の模範となる崇高な条文です。アメリカが改変を要求していない限り保持すべきです。改変しないで自衛権の解釈の変更だけにとどめるべきです。憲法改正に反対です。

(3)世界の平和は軍事力のバランスで守られている冷厳な現実を考えると戦争の放棄と軍備の廃止を言明してあるこの第9条は日本の平和を守る上で有害な条文です。

従ってこの条文は、「他国を侵略すための戦争は放棄する。自衛のための軍隊は保持する」 と改正すべきです。憲法改正に賛成です。

(4)平和を守るのは強大な軍事力のみです。中国や韓国のような横暴な国に対しては外交交渉などまったく無力です。尖閣諸島や竹島が日本の領土なら即刻上陸部隊を派遣して日本の軍事基地を建設すべきです。この軍隊出動にとって第9条は有害です。憲法改正に賛成です。

さて安倍総理大臣とその政権は上の(1)と(2)に賛成の国民と(3)と(4)へ賛成する国民の総数を慎重に推算しています。

そして憲法改正に賛成する国民が圧倒的多数になるようにいろいろな宣伝や広報活動を展開しているのです。

一例を上げます。その重要な広報戦略は中国と韓国を刺激して、彼らが日本へ対して敵対行為を繰り返させるように仕向けることです。

そうすると多くの日本人が上記の(4)のような危険で感情的な意見に傾いて行くのです。このように書くと、いや日本人へ嫌がらせとして、日本へ対して敵対行為をとっているのは韓国と中国であると主張する人が多いと思います。

しかし国際的に客観的に見れば喧嘩両成敗でどちらが悪いとは言えないのです。

下に参考資料として父が戦死した「ちひろ」さんのブログに掲載されていた文章を示します。転載のご諒解は頂いています。

そして今日の挿絵代わりの写真は水郷、水元公園の中にある湿地帯に続く小道とその先に広がる平和な水郷の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料:ちひろさんの文章=============

http://blog.goo.ne.jp/yumenohanamiti8739より。

昨日と一昨日の夜9時からBSフジの2時間番組を見た。自衛隊が武器を持って応戦できるようにしないと国民の命を守れないと、もっともらしく会見しておられる安倍首相の考えに懸念を感じている。自衛隊が武器を持って応戦すれば犠牲者も出るだろうし揚句の果ては一般人が狩り出される事になるだろうし、戦時中に生まれ父を戦争に奪われた私は戦争の恐ろしさを知らない安倍首相の考えは受け入れられない。昨夜はBSフジのプライムニュース「私の声」に投書した。「国民の命と暮らしを守るため」と理由付けされる安倍首相、命を守るのにはあくまでも話し合いによる世界平和しかありませんよ!と言いたい。子供達孫達の時代の平和を守るのは私達の責任である。憲法を変更せず解釈を変えるってそれは無茶な考えではありませんか!

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みずからの歴史の転換に直面する日本人(1)国民投票で憲法を改正する歴史的意味

2014年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新は間違いなく日本の一大歴史的転換でした。そして日清戦争と日露戦争の勝利も日本の歴史を大きく変えたのです。これを仮に日本の第二の歴史的転換と考えて見ましょう。すると第三の歴史的転換は真珠湾攻撃と、それに続く完膚無き敗戦と考えられます。

そして戦後70年近くは冷戦構造の中で、日本はアメリカに保護された半分従属的な国家として経済成長を続けていたのです。

最近、安倍政府は集団的自衛権を確立し、国民投票のための法律を整備し、来年には憲法改正の是非を問う国民投票を実施しようと準備しています。

太平洋戦争で勝利したアメリカが日本へ押し付けた「平和憲法」を国民投票でご破算にして、半分従属的な国家のあり方を脱却しようとしているのです。

この現状は日本の第四の歴史的転換と考えることが出来ます。

歴史的転換ですから賛否両論があるのは当然です。

しかし第一、第二、第三の歴史的転換は薩長土肥の政権や軍部主導の政権でなされたのです。

これに反して第四の今回の転換は国民投票による民主的な方法で行われることが大きな特徴になっています。

国民の一人、一人が自分で平和憲法の改正が良いのか否かを考えて投票しなければなりません。

自衛隊を他国の普通の軍隊のように改革することの是非を自分で考えて国民投票に備えなければなりません。

自衛隊が国連軍の一部として海外で戦争行為に参加することの是非を自分で考えなければいけません。

自分の子供や孫が万一出征することになった場合の心の準備もしなければなりません。

日本がアメリカの従属国家の状態から脱して、ドイツ、フランス、イギリスなどのような半独立国家になるための国際的な義務は何かを考えなければなりません。

そして横暴をきわめる中国とどのように賢く対峙するのが良いのかを考えなければなりません。

このような難しい問題が国民の一人、一人に突き付けられているのです。

そこでこの「みずからの歴史の転換に直面する日本人」と題する連載では上記のようないろいろな問題に対して、一人の国民として私の考え方を書いて行きたいと思います。

どうぞ間違った考えや雑過ぎる文章があったらご教示のほどをお願い申し上げます。

広い心を持って考えて行きたいと思いますので、今日の挿絵代わりの写真は、昨日、水元公園で撮影した広場の写真をお送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

 後藤和弘(藤山杜人)

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初夏の水郷、水元公園の景観をお楽しみ下さい!

2014年05月17日 | 写真

今朝は朝から陽射しが強く初夏のような天候です。

そうだこういう日は水郷をテーマにした葛飾区の水元公園が素晴らしいと思いました。東京の23区内で水郷をテーマにした広大な公園があることに昔から驚いています。

自宅から東京外環自動車道路を経由して1時間40分と遠方ですが、久しぶりに行きました。土曜日だったので多くの家族連れが楽しそうに歩いていました。池や沼、川があり、野原も林もあります。水辺で根気よく釣りをしている人も多かったです。

そんな初夏の水郷、水元公園の景観の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

尚、この都立公園への交通の便は下のHPに詳しく出ています。

(この公園のHP:http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/map041.html

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.・下の図面の出典:http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/map041.html

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世の中の不公平と不幸(1)貧困な家に生まれる不幸

2014年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは人生の楽しいことばかり書くように努力しています。そうしたらある人から「私は貧困な家に生まれて悲しいつらい思い出しかありません」というコメントを頂きました。そこで以下のような記事を書くことに致しました。

世の中は不公平で理不尽なことに満ちています。そうして不幸だと思っている人々も数多くいます。

そういう人々へ対して「幸福か不幸かは心の持ち方です」などと説教してはかえってその人々の心を傷つけることになると思います。

そういう人々の話を静かに聞くだけが良いと思います。まかり間違ってもこうすれば幸福になれると、その方法を教えてはいけません。そんなことを言っても世の中は不公平で理不尽なことに満ちているのですから。

そこで「世の中の不公平と不幸」と題するこのシリーズ記事では世の中の理不尽さといろいろな不幸な状態を書いて行きたいと思います。

お読み頂いて不幸な人々へ暖かい気持ちを持って頂ければ嬉しく思います。しかし不幸な人を具体的に助けようとする行為は直ぐにしないで下さい。何も言わないで暖かい気持ちを持って接して下さい。好意ある行為でも傷つけることがあるので慎重にした方が良いと思います。

第一回目の今日は貧困な家に生まれる不幸について書きたいと思います。

貧困な家に生まれる不運は本人の罪ではありません。しかし幼少の頃から食べ物も不足しがちで丈夫な体に育ちません。貧困が原因で父母がいつも喧嘩をしています。平和な家庭の幸せを一度も感じたことがありません。

その上貧困故に中学校を卒業するとすぐに働かなければなりません。中学校だけの学歴で働ける仕事はつらい職種しかありません。

また、学歴が無いと差別を受けます。その差別は職場だけでなく近所の人々や、役所の窓口でも受けます。他人は学歴のないことを直感するのです。世の中は残酷なものです。

大学でいろいろな友人と共に楽しい時間を持つ経験が出来ません。従ってどうしても狭い視野になりがちです。

このような不幸な状態は貧困な家に生まれる不運が原因になっています。もちろんその不運を跳ね除けて堂々と立派な人生を送っている人も沢山います。

しかし貧困な家に生まれた不運な人々へ暖かい気持ちを持つのは重要なことだと思います。

そうすると過去の悲しいことをほじくるように聞き出したりしなくなります。学歴が無いと蔑むこともしなくなります。何も聞かないで静かなお付き合いをするのが良いと思います。そして天気や花々の話を少しだけするのが良いと思います。

バラの花が美しい季節になったので下に3枚の写真をお送りします。先日、京王フローラル・ガーデンで私が撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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山林の中にヒッソリと咲く地味な花々の写真をお送りいたします

2014年05月16日 | 写真

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上の写真はウワミズザクラえす。

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上の写真はヤマフジの花です。

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上の写真はウツギの花です。

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上の写真はガマズミの花です。

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上の写真は山林の中にヒッソリと咲くスミレの花です。

撮影日時:2008年5月3,4,5日。 撮影場所:山梨県北杜市武川町の山林の中にて。


安倍総理の対米姿勢の大きな変化・・・「戦後レジームからの脱却」は何処へ行ったか?

2014年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

安倍総理は前の衆議院選挙でさかんに「日本を取り戻す!」と連呼していました。そして、「戦後レジームからの脱却!」と叫んでいました。そして総理大臣就任一年後に靖国神社を参拝をし、アメリカの怒りを買ってしまったのです。

ところが最近は、「日本を取り戻す!」と「戦後レジームからの脱却!」という叫びが一切聞こえなくなりました。そして靖国神社への参拝も止めてしまったのです。

その上、最近は「集団自衛権」の行使の法整備をして自衛隊がアメリカ軍の防衛を出来るようにする準備をしているのです。

これは安倍総理の対米姿勢の大きな変化と思います。

政治は妥協の産物とよく言いますが、何故、このような対米姿勢の大きな変化をせざるを得ないか、その理由を少し整理して書いてみたいと思います。

しかしこんな政治の話に興味のない方々のために3枚の風景写真をお送りします。写真だけをお楽しみ下さい。

一番目の写真は安曇野から見上げた残雪の北アルプス連峰の写真です。二番目の写真は白馬に近づいた青木湖近辺から撮った白馬連峰の写真です。三番目は青木湖周辺の菜の花畑の風景写真です。東京では櫻も散って初夏のような季節になりましたが安曇野や白馬地方はまだまだ春先の風景でした。写真は5月11日に撮りました。

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さて本題に戻ります。

安倍総理の「戦後レジームからの脱却」と、A級戦犯が祀ってある靖国神社の参拝をアメリカ人の立場から考えてみましょう。

単純なアメリカ人なら、安倍総理は戦後のアメリカの占領政策は間違っているところが多いからご破算にしましょうと主張していると理解します

そしてA級戦犯を祀ってある靖国神社の参拝を単純に考えると、戦後の極東裁判は間違っていると主張していると理解します。ですから安倍総理は真珠湾攻撃は正しい戦争行為だったと主張していることになります。

私自身はそのような歴史観を持つのは個人の自由で良いと信じています。しかし日本を代表する総理大臣がそれを言ってはおしまいです。

戦後、アメリカは日本の復興と経済成長にあれだけ大きな支援をしたのにその政策に間違っていると文句を言われればアメリカ人が怒るのが当然です。

一方、日本人の一部ははアメリカの援助はソ連との冷戦で優位に立つためにしたことでであって日本人が感謝する筋合いのものではないと思っています。

立場を変えればどちらも正しいのです。この対立する理解の妥協点を探るのが対米外交の難しさです。この難しさを安倍総理は最近身に沁みて実感しているに違いありません。

誤解されやすい「日本を取り戻す!」とか「戦後レジームからの脱却!」という台詞を言わなくなって良かったと思います。以前、それを聞いた時、私は「おや、おや、そんなこと言って良いのでしょうか?」と心配していました。

とにかく安倍総理にも言いたいことが沢山あるでしょうが、ジット我慢して言わなければ久しぶりに出た名宰相となると信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)