後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「もうこんなに紅葉しているところあるんですね」

2015年10月03日 | 写真
志賀草津道路 草津温泉と渋・湯田中温泉、志賀高原を結ぶ国道292号です。渋峠にて日本国道最高地点2172mに達します。その峠風景です。
写真は、https://www.facebook.com/munehiro.goto.77… からお借りしました。

唐の漢詩、李朝の陶磁器、そして日中韓の友好を想う

2015年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の政治家は中国や韓国が悪いと言います。中国や韓国の政治家も日本が悪いと言います。そしてその政治家の影響を受けて新聞が相手の非を執拗に書きます。その記事を読んだ人々が憎しみ合います。これは大変不幸な隣国関係です。他人に嫉妬したり、他人を恨んだり、憎んだりしている状態は人間の幸せな状態とは言えません。
この悪い関係はごく最近の短い期間に起きたことです。
すこし視野を広げて過去2000年間の日中韓の関係を歴史的に見れば、心が悠々として憎悪の気持ちが消えてしまいます。そうでない人もいるでしょうが、私の憎悪の気持は消えていきます。
特に自分が好きな唐時代の漢詩を幾つか読み返し、素朴で、ふくよかで、気品のある李朝の陶磁器の写真を眺めていると心が平和になります。中国や韓国の人々に対して尊敬の念が湧いてきます。
当然のことながら日中韓の3国の友好を祈る気持ちになります。
最近の世の中は少し変です。日中友好や日韓友好と言っただけで非国民という批判を浴びます。国賊と言う人もいます。まるで第二次大戦中の日本に返ったようです。韓国も中國も同様なようです。日本を非難しないと居心地の悪い思いをするのでしょう。
私は高齢者なので短い老い先です。好きな漢詩を読み、気品ある李朝の陶磁器の写真を眺め幸せな気分で日々を送ることにしています。そして何時の日か日中韓友好の時が来るのを祈っています。
下に好きな漢詩3首と李朝の陶磁器の写真を5枚お送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

日本人の好きな漢詩(http://matome.naver.jp/odai/2141574836629656901)より3首。
(1) 春曉、     孟浩然
春眠不覺曉 春眠曉を覺えず
處處聞啼鳥 處處啼鳥を聞く
夜來風雨聲 夜來風雨の聲
花落知多少 花落つること知りぬ多少ぞ
(出典:春曉 孟浩然 - 夢幻泡影)

春の眠りの心地よさに
 夜の明けるのにも気がつかずにうとうとしていると
 あちこちに鳥の鳴き声が聞こえる
 昨夜は雨風の音がしていたけれど
 花はどれほど散ったのだろう

(2)春望、  杜甫
国破山河在     国破れて山河在り
城春草木深     城春にして草木深し
感時花濺涙     時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心     別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月     烽火三月に連なり
家書抵萬金     家書萬金に抵る
白頭掻更短     白頭掻かけば更に短く
渾欲不勝簪     渾べて簪に勝えざらんと欲す

長安の都は賊軍のために破壊され、あとには山と川だけが昔のままに残されている。その荒れ果てた城内に、また草木が生い茂る春が到来した。しかし、この戦乱の時節に私は感極まって、春の花を見ても涙が落ち、家族との別離を悲しむあまり、鳥の声にも心が動ぜずにはいられない。戦いを告げる烽火(のろし)は三カ月もの間、絶えることなく、遠く離れた家族からの手紙は、なかなか届かないので、万金にも値するほど貴重なものだ。老いと心痛のため、私の髪はますます白く短くなり、もはや冠をとめるピンもさせなくなってしまった。
(出典:【漢詩の楽しみ】 春望(しゅんぼう) - (大紀元))

(3)送元二使安西、王維 「元二の安西に使するを送る」
渭城朝雨潤輕塵  渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新  客舎青青柳色新たなり
勧君更盡一杯酒  君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西出陽關無故人  西のかた陽關を出ずれば故人無からん
(出典:元二の安西に使するを送る 王維 漢詩の朗読)
元二を見送るために前夜から泊り込んだのだが、朝方からの雨が軽く細かい土ぼこりをしっとり濡らし、渭城の朝はすがすがしい。
旅館の前の青々とした柳は、雨に洗われていっそう鮮やかに見える。
さあ、いよいよお別れだ。もう一杯ぐいと飲み干し給え。
ここから西の方、陽関を越えれば、もう親しい友はいないだろうから。
(出典:元二の安西に使するを送る|道草ばっかり)

李朝の陶磁器の写真5枚をお送りいたします。
(出典:https://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%8E%E6%9C%9D%E3%81%AE%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F&biw=948&bih=557&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CBsQsARqFQoTCIOM1cH7pMgCFSQWpgod94gEjg#imgrc=7Jh54tha8Bq8OM%3A)










秋川の源流、桧原村の神戸岩の写真を撮りに行きました

2015年10月02日 | 写真
今日は三日ぶりに晴天になりました。
気持ちの良いドライブ日和なので五日市町の奥の秋川渓谷を遡り、北秋川という支流に入りました。その源流に神戸岩(かのといわ)という観光地があります。その写真を撮り、帰りに神戸園国際マス釣り場に寄りました。一緒に行った家内と昔よく来たこのマス釣り場の思い出を話し合いました。もう40年以上たっているのに神戸国際マス釣り場は相変わらずマスを養殖しています。
近辺の少し紅葉している木の写真も撮りました。
東京の秘境の桧原村の藤倉まで足を延ばし、新鮮な秋山の空気を楽しんで来ました。

始めの2枚の写真が神戸岩です。

下の杉並木は神戸岩へ入る細い山道の様子です。



神戸園国際マス釣り場で見つけた紅葉している木です。

北秋川のほとりにある柿の実の様子です。
秋川渓谷はまだ紅葉が始まっていませんでした。10月の中旬、下旬になると美しい紅葉が見られます。これから時々様子を見に行くつもりです。

秋の紅葉を待ちつつ読む漢詩と白秋の「からまつ」

2015年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム
10月に入るといよいよ紅葉の季節です。北海道の白樺林も美しく黄葉していることでしょう。小生の住んでいる関東地方の平野部は11月の初め頃が黄葉の季節です。
毎年、10月になると甲斐駒の麓の小屋に行って、散り敷いた落ち葉を集め小さな焚火をします。落ち葉の燃える良い香りが林間に漂います。
そうして白楽天の「林間に紅葉を焚いて、酒を煖める」という漢詩をゆっくり読みます。
私の秋の年中行事です。秋になるとこうして自宅に居ても落ち葉の燃える香りを想像しながら、下の漢詩を読むのです。

寄題送王十八帰山仙遊寺   白居易(白楽天)

曽於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊復無到
菊花時節羨君廻

訳:その昔、私が太白峰の麓に住んでいた頃はよく仙遊寺へ出かけたものだ。
水が澄む秋の季節には、川淵の底まで透けて見え、白雲が切れた辺りに仙遊寺の山門があった。また仙遊寺の林間では散り落ちた紅葉を焚いて酒を煖めたり、緑苔を払った石の上に詩を書いたりしたものだ。
ああ残念ながら、昔遊んだあの地に私はもう二度とは行くことはないだろう。
菊の花の咲くこの季節に、そこに帰っていく君が羨ましいよ。

(以上の出典:http://plaza.rakuten.co.jp/1492colon/diary/200812110000/で、
白楽天のことは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%85%E6%98%93にあります。)
それからどういう訳か白秋の下の「からまつ」という詩を読みます。

「からまつ」    北原白秋

     一

 からまつの林を過ぎて、

 からまつをしみじみと見き。

 からまつはさびしかりけり。

 たびゆくはさびしかりけり。

      二      

 からまつの林を出でて、

 からまつの林に入りぬ。

 からまつの林に入りて、

 また細く道はつづけり。

      三

 からまつの林の奥も

 わが通る道はありけり。

 霧雨のかかる道なり。

 山風のかよふ道なり。

      四

 からまつの林の道は、

 われのみか、ひともかよひぬ。

 ほそぼそと通ふ道なり。

 さびさびといそぐ道なり。

      五

 からまつの林を過ぎて、

 ゆゑしらず歩みひそめつ。

 からまつはさびしかりけり、

 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、

 浅間嶺にけぶり立つ見つ。

 浅間嶺にけぶり立つ見つ。

 からまつのまたそのうへに。

      七

 からまつの林の雨は

 さびしけどいよよしづけし。

 かんこ鳥鳴けるのみなる。

 からまつの濡るるのみなる。

      八

 世の中よ、あはれなりけり。

 常なれどうれしかりけり。

 山川に山がはの音、

 からまつにからまつのかぜ。
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紅葉の季節は何故か心が華やぎます。
車を駆って奥多摩や裏高尾の山々に紅葉はまだかと何度も行く毎日です。
皆様のお住まいの所の紅葉は何時頃が見ごろでしょうか?
下のはじめの3枚の写真は甲斐駒岳の麓にある小屋の近辺の黄葉の風景です。写真は2013年10月30日に撮りました。
続く2枚は2012年の10月29日に上高地を散策しながら撮った風景写真です。
梓川の上流に向かって右側のカラマツ林が白秋の「からまつ」の詩の情景にそっくりでした。
梓川の向こう側の遥か上の方には穂高連山が見える筈です。雲が多く、わずかに時々雪山の稜線が見えていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









差別用語を使わないと結局自分が幸せになれる

2015年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の放送局では差別用語を使わないようにしています。差別用語は具体的な例は「放送禁止用語」を検索すると多数の差別用語の一覧表が出ています。
我々のような戦前生まれの高齢者は差別用語の氾濫している社会で育ちました。「鬼畜米英」などと言って米英人を鬼や畜生と呼んでいたのです。
差別用語の氾濫する社会で育つとそのような言葉を使わないと自分の感情や考えを表現出来ないと思い込んでしまうのです。
最近、あるテレビ番組で高齢の女優が差別用語を沢山使い、それをテレビ局が謝罪したそうです。その女優には悪意はありません。ただ最近のに差別用語を使わないという社会、文化の変化について行けなかったのです。
差別用語の廃止運動はアメリカの黒人差別撤廃に関連してアメリカで始まった新しい文化のようです。キング牧師などの公民権運動のころからアメリカ社会に定着していったようです。キング牧師はインドのガンジーの無抵抗主義を尊敬し、自分でも無抵抗主義でした。
私は1975年頃、アメリカで差別用語を使ったために苦い経験をしました。
ある時、オハイオの原住民の文化を展示している博物館に行ったときのことです。受付の若い女性に入場料を払い。「ここにはインディアンの遺物の展示があるのですね」と言いました。
すると受付の女性はとても悲しそうな顔になって言うのです。「インディアンではありません。ネイテブ・アメリカンの博物館なのです。」
あの時の悲しそうな女性の顔が忘れられません。しかしその後も私は相変わらずインディアンという言葉を使い続けました。
西部劇で白人の乗った列車を襲うのは凶暴なインディアンです。そんな映画をさんざん製作してきたアメリカ人が手の平を返したように、急に原住民を保護し、大切にし始めたのです。当時の私は心の中でそんな軽薄な文化に苦笑いをしていたのです。
そして何十年か経過しました。21世紀になったころから私の心が少しずつ変わります。差別用語をつかうと知らず知らずのうちに自分が他人を差別していることに気がついたのです。
差別用語を使うと自分が何故かみじめになるのです。
人間はみな平等と言いながら、それに矛盾した言葉を使うことはやっぱりいけないことです。このように感じ始めたのです。差別用語はその個人の心の貧しさです。他人の心の痛みに鈍感なことを示しているのです。
現在、日本では放送禁止用語が定着して個人の肉体的な差別用語は誰も使わなくなりました。
ところが韓国人や中国人に関する差別用語が多くなってきたことに憂慮しています。それは結局のところ日本人の品格を貶めているのです。
朝鮮民族のことを朝鮮人と言えば差別用語になります。中国人のことをシナ人と言えば差別用語になります。このように書くと欧米人が朝鮮半島やシナという言葉を使っているのに何故日本人が使うと差別用語になるのかと詰問してくる人がいます。
答えは簡単です。日本人が使うと彼等の心が痛むからです。「他人の心を痛める可能性のある言葉」が差別用語なのです。このように書いても分からない方もいます。
しかし私は反論も議論もしません。私は悲しむだけです。
オハイオ州の博物館の受付の女性の悲しそうな顔を思い出すだけです。「インディアンではありません。ネイテブ・アメリカンの博物館なのです。」という言葉を噛みしめています。
最後に差別用語に関連して、もう一つ「ヘイト・スピーチ」について書き加えます。
他人や他民族を憎み憎悪のセリフを言うことを「ヘイト・スピーチ」と言います。先の国会で野党が「ヘイト・スピーチ禁止法案」を提出しようとしましたが廃案になりました。
このようなことは国民の良識に任せるもの良いのではないでしょうか?
今日の写真は先週撮った甲斐駒岳の山麓の山郷も風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)