日本の高度成長のきっかけになったのは1964年の東京オリンピックの開催と東海道新幹線の開通でした。
今日は写真に従ってこの歴史を振り返ってみましょう。
1番目の写真は仙台市の焼け野原の光景です。1945年の終戦当時、私は9歳、国民学校の3年生でした。1945年7月10日の明け方、故郷の仙台市が一面紅蓮の炎を上げて燃えているのを高台から何時までも見ていました。仙台の空には低空でゆっくり飛んでいる B-29が何機も見えます。その機体が下の一面の炎で白く光っています。
全国200市町村が空襲によって焼け野原になったのです。
2番目の写真は1945年9月27日、連合国軍総司令部のマッカーサー元帥を訪問した昭和天皇と マッカーサー元帥です。
1945年、昭和20年の敗戦により日本人は自信を失い暗い社会になりました。食糧難と相まって人心が荒れ犯罪が多い時代が続きました。
そんな暗い日本へ明るい希望を与えたのが古橋広之進の自由形400m、800m、1500mの泳ぎで世界新記録を連発したことでした。そしてプロ野球や大相撲も復活し次第に社会の雰囲気が明るくなったのです。その後、日本は経済の高度成長をとげ現在の豊さを手中におさめたのです。
この高度成長のきっかけになったのが1964年の東京オリンピックの開催と東海道新幹線の開通でした。
3番目の写真はこのオリンピックの開会式で行進する日本選手団です。
4番目の写真は聖火リレーの最後の走者の坂井義則選手が競技場の聖火台に登る場面です。
このオリンピックでの日本のメダル獲得数はアメリカとソ連についで第3位でした。
1位、 アメリカ合衆国 金36 銀 26 銅28 合計90
2位、ソビエト連邦 金30 銀31 銅35 合計96
3位、日本 金16 銀5 銅8 合計29
4位、ドイツ 以下省略。
印象に残った場面は沢山ありますが例として女子バレーの日紡貝塚チームの活躍がありました。
5番目の写真は「東洋の魔女」と言われた日紡貝塚チームの競技中の様子です。
活躍は日紡貝塚チームだけではありませんでした。日本は金16 銀5 銅8、合計29個のメダルを取ったのです。
この他に男子陸上マラソンで3位になった円谷幸吉選手のひたむきな走りが忘れられません。
6番目の写真は男子陸上マラソンの表彰式の様子です。表彰台の上の3人の右が円谷幸吉選手です。
東京オリンピック開催を契機に競技施設や日本国内の交通網の整備に多額の建設投資が行なわれました。競技や施設を見る旅行が増えカラー放送のテレビ受像機購入が飛躍的に増加しました。
このため日本経済に「オリンピック景気」といわれる好景気をもたらしたのです。
特に開催地の東京では競技施設だけでなく東京モノレール羽田空港線や首都高速道路やホテルなど様々なインフラストラクチャーの整備が行なわました。
東海道新幹線も開会式9日前の10月1日に開業したのです。
特に首都高速道路の建設は急ピッチで進められ羽田空港から国立競技場までつながり、その先まで次々に完成しました。そして首都高速都心環状線ルートは大会前に完成したのです。
また「ゴミ都市」と呼ばれていた東京にゴミ収集車が250台導入されました。
東京オリンピックで初めてコンピューターによる記録管理が行なわれたことも重要な出来事でした。
そして東海道新幹線の世界に影響を与えたのです。
7番目の写真は1964年(昭和39年)10月1日に東京駅 - 新大阪駅間に走ったコダマ号です。
8番目の写真は現在の新幹線の車両です。
世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は欧米各国に大きな影響を及ぼしました。
鉄道先進国のフランスは1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて200 km/hで運転します。
その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ディレッティシマ)でも高速列車が計画され実現に移されました。
このように東海道新幹線は世界の鉄道の高速化をして、その技術輸出と車両輸出は日本の高度成長の大きく貢献したのです。
以上のように日本は経済の高度成長をもたらしたのは1964年の東京オリンピックと東海道新幹線の開通でした。
今日はこの東京オリンピックと東海道新幹線の開通を簡単のご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)