後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本の仏教的風景(4)お盆のいろいろなの行事の風景」

2022年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
お盆は日本の夏に行われる先祖の霊を供養する一連の行事のことです。先祖の霊を迎え火で自宅に招き、供養して3日後に送り火で西方へ送り返します。
日本古来の先祖信仰と仏教が融合した行事です。かつては太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われましたが現在は地域によって違う期間に行われています。しかし8月15日、16日、17日に行う地方が多いようです。
今日はお盆のいろいろなの行事の風景を順に写真で示して行きます。
一番重要なのは多数の僧侶がのお寺の本堂で行う先祖の霊を供養する儀式です。檀家の人々も儀式に参列して先祖の霊を供養します。
1番目の写真はお寺本堂で行う先祖の霊を供養する儀式です。

2番目の写真は檀家の人々も儀式に参列して先祖の霊を供養している風景です
3番目の写真は灯篭流しです。
4番目の写真はお盆提灯です。

5番目の写真は先祖の霊が家に帰ってくる時に乗る胡瓜の馬と帰りに乗る茄子の牛です。賽の目の茄子はミソハギの枝を水に浸して掛ける水のこです。
6番目の写真はお盆の墓参りです。
7番目の写真は夜の盆踊りです。
8番目の写真は昼の盆踊りです。

今日はお盆のいろいろなの行事の風景を順に写真で示しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「イグナチオ教会の今日の 『第16日ミサ 』 の動画配信」

2022年07月17日 | 日記
今日は7月17日です。 『年間第16主日ミサ(幼児洗礼式) 』は10時からです。

7月17日朝10時以後でしたらミサの動画配信で何時でもミサにあずかることが出来ます。

イグナチオ教会の今日の 『第16主日のミサ 』 の動画配信は以下にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=5PiZq64GDeY

【本日の聖書朗読箇所】
第1朗読
創世記(創世記 18:1-10a)
第2朗読
使途パウロのコロサイの教会への手紙(コロサイ 1:24-28)
福音朗読
ルカによる福音 (ルカ 10:38-42)


なお関口教会からも動画配信があります。

写真はイグナチオ教会のミサの風景です。

それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りきたします。後藤和弘(藤山杜人)


「日本の仏教的風景(3)自然の中の鎌倉の質素な寺の風景」

2022年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
鎌倉へはお寺の散策をしに何度も行きました。懐かしい嘗遊の地です。
禅宗を主にした鎌倉佛教の栄えた所で寺院は約130ヶ所もあります。しかし京都の寺院に比べて質素で小さいのです。円覚寺と建長寺は大規模で立派ですが他の寺々はささやかな感じです。
今日は自然豊かな鎌倉のお寺の雰囲気をご紹介したいと思います。鎌倉のお寺の魅力は周囲の自然に溶け込んでいることです。低い山を背景にし緑が豊かで美しいのです。庭も小さいのですが趣があります。
写真の出典は、https://kamakura.press/tera/tera-ranking/ です。
1番目の写真は建長寺の最奥にある「勝上献展望台」からの眺めです。鎌倉の街と海を一望出来る展望台です。 建長寺の山門から本堂を通って裏の坂道を根気良く登ると展望台に上がれます。

2番目の写真は明月院 の本堂にある丸い窓からの景色です。明月院 は 特に紫陽花の時期と紅葉の時期は非常多くの人が来ます。 北鎌倉駅から徒歩10分弱のところにあるります。私はアジサイの咲く頃に何度も行った懐かしいお寺です。
3番目の写真は浄妙寺の庭です。鎌倉五山にも入っているお寺です。いつ行っても参拝人の数が多かったお寺でした。境内には茶室もありました。
4番目の写真は竹寺として有名な報国寺の竹林 です。報国寺の竹林は非常に美しく一見の価値があります。 場所は八幡神社の右奥にかなり行った所にありますので車で行くのが便利です。
5番目の写真は瑞泉寺 です。水仙がたくさん咲いて梅が香っている頃の行きます。鎌倉のお寺の本堂はこのように小さくこじんまりしています。他のお寺も同じようす。
6番目の写真は東慶寺の茅葺きの山門です。四季の花々や紅葉も美しいお寺で した。北鎌倉駅から徒歩3分ほどの距離で す。

7番目の写真は鎌倉の文学館 です。鎌倉の西部で長谷寺や大仏に近い場所です。鎌倉で執筆した文士の写真や生原稿や文房具が沢山展示してあります。
この建物はもともと加賀藩の明治以後の海の別荘でした。
いきなり私的な話になりますが家内が戦前に生まれ育った家がこの文学館の下にありました。家内は近くの聖母幼稚園から御成小学校に入学しその2年後に群馬県へ疎開しました。「加賀様」の庭でよく遊んだそうです。自宅から松林を通うり抜けると由比ガ浜の海水浴場に出るそうです。
鎌倉の生活は実に楽しかったと何度も言います。私が鎌倉に親近感を持つのは家内の楽しかった鎌倉の思い出のせいです。そして何度も訪れた自然に溶け込んでいるお寺の風景が忘れられません。

今日は鎌倉の魅力をご紹介致しました。そして鎌倉で生まれ育った家内の思い出も書きました。鎌倉へは東京駅から横須賀線の電車に乗ると真っ直ぐ行けます。是非お出掛けになって、ついでに江ノ電で江の島まで行くと楽しいです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「隠れキリシタンの里にある天主堂の風景」

2022年07月15日 | 写真
隠れキリシタンの里にある天主堂の風景です。
写真の出典は、https://tabi-mag.jp/.../%e4%b8%96%e7%95%8c%e9%81.../page/4/ です。

1番目の写真は長崎県佐世保市黒島町、島民の7割がカトリック信者という黒島にある教会堂が黒島教会。現在の聖堂は、信徒たちの献金と勤労奉仕で明治35年に完成したもので国の重要文化財。天主堂を含む「黒島の集落」として、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっています。

2番目の写真は長崎県長崎市西出津町、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産となる外海の出津集落(そとめのしつしゅうらく)にある出津教会堂(カトリック出津教会)。外海の出津・黒崎地区に赴任し生涯を外海に捧げたド・ロ神父が、明治15年に私財を投じて建てた教会堂で、国の重要文化財。

3番目の写真は熊本県天草市天草町大江にあるキリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会が大江教会。現在のロマネスク様式の大江天主堂は、昭和8年、フランス人宣教師のガルニエ神父によって建設されたもの。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっています。

4番目の写真は長崎県五島市蕨町にある教会堂(聖堂)が旧五輪教会堂。明治14年、五島列島の久賀島浜脇に浜脇教会として建てられたもので、昭和6年、現在地(五島市五輪地区)に移築。現存する木造教会堂としては最古の部類もので、国の重要文化財にも指定されています。

「日本の仏教的風景(2)いろいろな仏像がある風景」

2022年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
今日も心やすまる日本の風景を紹介しようと思います。静かな気持ちで一日が過ごせるようにと思います。
今日はいろいろな仏像の写真です。私はいろいろな仏像を見ていると幸せな気分になります。祖父や叔父がお寺の住職をしていたので楽しかった幼少の頃を思い出すからでしょう。
さて国宝の仏像は沢山ありますが、私の好きな8つの仏像の写真を示します。

1番目の写真は百済観音(くだらかんのん)です。法隆寺が所蔵する飛鳥時代7世紀前半の作の木造観音菩薩像です。日本の国宝です。日本における木造仏像彫刻の古い例として貴重です。詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3 をご覧ください。
2番目の写真は奈良の新薬師寺の薬師如来と十二神将です。奈良時代建立の本堂の中に並び、薬師様を護る十二神将たちです。圧巻です。約1300年ものあいだ睨み付けている十二神将たちは天平塑像の傑作です(http://blog.livedoor.jp/takenoji/archives/71037568.html )
3番目の写真は鎌倉時代に活躍した仏師、運慶が彫った「木造不動明王立像」です。
 運慶の不動明王像など5体は1186年の作品で写実的で力強い作風が評価されています。(https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2702K_X20C13A2000000/ )

4番目の写真は快慶の文殊菩薩です。奈良の桜井市の安倍文殊院にあります。
獅子に乗り4人の脇侍を伴う渡海文殊で5像全てが国宝です。鎌倉時代・建仁3年(1203年)に快慶によって造立されました。
このお寺は大化の改新(645年)に創建された日本最古に属する寺院です。
快慶の文殊菩薩像など4体は、東大寺大仏の再興事業に関連して1203~20年に制作されました。

5番目の写真は奈良の室生寺の国宝の金堂にある仏像達です。金堂須弥壇 の左から十一面観音、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩(この写真では見えない)の各像です。手前に立つのは十二神将像です。
(https://gurutabi.gnavi.co.jp/p/p_3734/ )

6番目の写真は奈良の興福寺の阿修羅像です。国宝で天平時代の作です。
表情にあどけなさの残る阿修羅像は有名な国宝ですが、八部衆の一人です。詳しくは、https://allabout.co.jp/matome/cl000000004569/ をご覧下さい。

7番目の写真は大阪の天野山金剛寺の木造大日如来坐像と木造不動明王坐像と木造降三世明王坐像です。
木造大日如来坐像 一軀 と木造不動の大きさは像高、大日は313.5㎝で不動は201.7㎝です。
3メートルを越える巨大な大日如来像を中尊とする三尊像です。
中尊は金剛寺の草創 期である1180年前後の作で、この時代の大日如来像 を代表する作例です。

8番目の写真は有名な奈良の大仏です。お釈迦さまではありません。盧舎那仏です。 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され天平勝宝4年(752年)に完成しました。その後、中世や近世に焼損したため大部分が補作され当初の部分で現在まで残るのはごく一部のみです。国宝に指定されています。 

さて話は飛びますが、1870年の頃、イギリス人のレイトナーという学者がインド西部のガンダーラで数多くの仏像を発掘してイギリスに持ち帰りました。それらの仏像の詳しい研究の結果、ガンダーラの仏像はギリシャの彫刻の影響を強く受けていることを証明したのです。
仏像はインドで生まれ、ガンダーラでギリシャ彫刻の影響を受け、それが中国へ伝ったのです。その中国から日本へと伝承されたのです。
そして日本独自の仏像も沢山作られたのです。特に国宝の仏像は日本独自のもので世界に誇れる宗教芸術と私は信じています。

私はいろいろな仏像を見ていると幸せな気分になります。仏像の悠久の歴史を想うと気持ちが広くなります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「夏の風物詩、滑川のネブタ流し」

2022年07月14日 | 写真
毎年7月31日18:30~、富山県滑川市(なめりかわし)の中川原海岸(ほたるいかミュージアム周辺)で国の重要無形民俗文化財『滑川のネブタ流し』が行なわれます。「ネブタ」とは、紙や野菜で作った人形(ひとがた)を4mほどの大きさの大松明に飾り付けたもの。木で組んだ櫓(やぐら)に立て、火を着けて海に流すもの。https://tabi-mag.jp/namerikawa-nebuta/




「日本の仏教的風景(1)五重塔の見える風景」

2022年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
心やすまる日本の仏教的な風景を紹介して行こうと思います。静かな気持ちで日々が過ごせるような記事を書いて行こうと思います。
今日は五重塔の見える風景の写真といささかの説明をお送り致します。
五重塔とか三重塔は日本にしか無い木造の仏塔です。お釈迦さまの遺骨が心柱の下に埋めてあります。
ミャンマー、タイ、ベトナムなどの上座部仏教圏では石やレンガで作られれた円錐形の塔で、日本の五重塔とは全く違う形です。
中国では長安の大雅塔のようにレンガや土を円筒形や六角柱の形に高く積み上げて仏塔を作りました。
木造の五重塔は日本にしか見られない独特な美しい建造物なのです。
その美しさの故に多くの人々が国宝の五重塔を眺めに行きます。そしてお釈迦さまの遺骨(舎利)へ祈ります。
構造は中央に心柱とそのまわりの12本の柱で支えられ、中は部屋もなく空洞です。五重の屋根とてっぺんに相輪がついています。
国宝の五重塔は次のように9つあります。
東寺五重塔(54.8m)、興福寺五重塔(50.8m)、醍醐寺五重塔(38.2m)、法隆寺五重塔(31.5m)、瑠璃光寺五重塔(31.2m)、羽黒山五重塔(29.4m)、明王院五重塔(29.1m)、海住山寺五重塔(17.7m)、そして室生寺五重塔(16.1m)です。
それではこの中から5つを選んで写真で示します。

1番目の写真は羽黒山 五重塔 (国宝)です。
羽黒山参道の上り口の杉並木の中に静かに立っています。東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。
現在の塔は、約600年前に再建されたものと考えられています。高さが29.0mの三間五層柿葺素木造で、昭和41年には国宝に指定されました。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”があります。(http://kirakirauetsutabi.net/data/sight/000318.html )

2番目の写真は山口県山口市香山町にある瑠璃光寺五重塔です。高さは31.2メートルで1442年に建てられました。
現在の五重塔のある瑠璃光寺は、もともとは香積寺というお寺で、大内義弘が菩提寺として建てたお寺でした。大内義弘の死後、弟の盛見が、兄の菩提を弔うために、香積寺の境内に五重塔を建立に着手し、塔が完成したのは1442年で着工から30年後でした。
その後、寺の移転と同時に五重塔も解体され移築されるはずが、地元の人の嘆願書で塔が残ることが認められたのです。当時の地元の人の五重塔に対する愛情と気持ちが偲ばれます。
結果的に、五重塔だけが残ったのですが、1690年に山口市仁保というところから、現在の瑠璃光寺が移転され、瑠璃光寺の所有となったのです。瑠璃光寺の歴史も古く、曹洞宗の中国3寺のひとつで末寺も多くあったお寺でした。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=7 )
   
3番目の写真は、国宝の法隆寺五重塔です。日本三名塔のひとつで、日本最古の五重塔です。
建築年代は飛鳥時代(680年頃)で高さは32.5メートルあります。
この五重塔の仏舎利(釈迦の遺骨)は、瑠璃の小壺に納められ、それを純金の器に入れ、さらに銀器に入れて、銅碗の中におき、瑠璃小玉葡萄鏡とともに孔中に安置し、銅版のフタがしてあります。この安置法は、インド伝来の風習で、それが奈良に残っているのは奇跡と言われています。
法隆寺金堂と共に世界最古の木造建築物です。
法隆寺五重塔は、外観的にも安定した整った美しさがあります。
形式は、飛鳥時代のもので、(エンタシス)柱に膨らみがあったり、軒下に木組みに雲型の飾りが使われています。 五重塔には、その四面に土で須弥山を構え、諸種の泥象が置いてあります。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=7 )

4番目の写真は京都市にある醍醐寺の五重塔です。
高さは37.4メートルで、建築年は平安中期の952年です。
屋根の大きさの逓減率など非常によくバランスがとれて、相輪もどっしりしていて立派です。
醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し、村上天皇の951年に完成しました。応仁の乱の時、醍醐寺の山全部が焼失しましたが、五重塔のみ奇跡的に残ったのです。京都府下最古の建造物です。
内部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれています。界曼荼羅と真言八祖を表した壁画は、平安絵画の遺品として重要であり、五重塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されています。
( http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=9 )
5番目の写真は広島県福山市草戸町にある明王院五重塔 です。
明王院は、807年空海により創設されたお寺です。南北朝時代を代表する和様の建築物です
高さは29.1メートルで南北朝時代の1348年に建てられました。
初層中央の仏壇には大日如来、不動明王、愛染明王が安置され周囲の壁面には金剛界37尊が極彩色で描かれています。内部の公開は33年に一度の機会しかなく、次は2024年の予定です。
明王院五重塔の建築は、純粋な和様建築の雄大な建築といわれています。
五重塔の前に流れている芦田川には古い町が埋もれてしまった「草戸千軒町遺跡」があります。
(http://50no10.lpsec.net/modules/contents/index.php?content_id=12 )

今日は国宝の五重塔の写真をご紹介しました。
このような記事を書くのが非常に楽しいのです。長い歴史のあるもので、美しい五重塔を一つ一つ選んで鮮明な写真を探す作業が楽しいのです。
そして何よりも心がやすまるのです。昔の日本人の仏教に対する篤い信仰にも感動します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「追憶の夏の風物詩(6)ねぶた、打ち上げ花火、盆踊り」

2022年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
まだ60歳台、70歳台は元気だったので青森ねぶたを見にいたり打ち上げ花火を見るために隅田川や河口湖や熱海まで行きました。そして遠方の富山市八尾町の「風の盆」は泊まりがけで何度か見に行きました。
それらの光景は現在でも追憶の中で鮮明に浮かんで来ます。
ねぶた、打ち上げ花火、盆踊りなどはまさしく追憶の夏の風物詩です。
今日はこれらの夏の風物詩をご紹介したいと思います。
まず今年、2022年の開催日をご紹介します。

「青森のねぶた」、8月2日から7日まで開催 (https://www.nebuta.jp/ )

「熱海の打ち上げ花火」、夏 7/29(金)・8/5(金)・8/8(月)・8/18(木)・8/21(日)・8/26(金) の20:20時~20:45 時に打ち上げ。(https://www.ataminews.gr.jp/event/8/ )
隅田川花火大会は2022年は中止です。

「富山市八尾町の風の盆」、2022年9月1日(木)~3日(土) (https://da-inn.com/kazenobon-14222/ )

さてこの欄では以前の「青森のねぶた」と各地の「花火大会」の写真を掲載します。

1番目の写真は巨大な青森のねぶたです。ねぶたがゆらゆら揺れながら通りをやって来ます。前後に威勢の良い「跳人」が鈴を鳴らしながらラッセラーと激しく踊っています。以前に青森まで行って見ました。実際に見るとねぶたの大きさに圧倒されます。ゆらゆら動く不思議な雰囲気で夢を見てるような気分でした。こんな不思議なものは見たこともありません。
2番目の写真は熱海の花火大会です。山に囲まれ花火が海に写って美しい光景になります。打ち上げ花火は隅田川と河口湖と熱海まで行って見ました。近くで見ると花火に包まれるようで感動するのです。
次にご紹介する盆踊りは「おわら風の盆」です。10年ほど前に何度か見に行きましたが、その美しさと深い宗教性に感動しました。
盆踊りは、ご先祖や亡くなられた方の霊を迎え入れて供養する行事です。佛教の教えが結びつき現在まで伝わってきた日本の伝統行事です。
5枚の写真の出典は「富山市の観光ホームページ」(http://visit-toyama.com/jp/entry.php?nid=20001 )からです。






この富山県富山市八尾町の「風の盆」は非常に静かで優雅なのです。哀調さえ感じさせます。
帰ってきた先祖の霊魂を慰めようとする踊り手の気持ちが心に伝わります。
「おわら風の盆」の踊りの所作はあくまでも上品です。ゆっくりした音曲が八尾の町並を流れます。胡弓は寂しげな音色でかなでます。
女の踊り手は笠を深くかぶり決して顔を見せないのです。皆、細身の姿勢が揃っていて、その姿が楚々として美しいのです。
一方、男衆の踊りはあくまでもキビキビとしていさぎよいのです。
町の家々は軒の低い昔風の造りで、人々は明かりを消して家の奥へ引きこんでいます。観光客だけが踊りの列を囲んでいますが、誰も声を上げないので町中が静かです。
嗚呼、盆踊りとは元来、仏教の行事だっだと理解しながら楽しい時間を過ごしました。
車の駐車場は町の下の川沿いにあります。観光客はその駐車場から高台にある八尾の町へ歩いて登って行きます。夏の夕風にゆれる提灯の列の下をゆっくりと登るのです。風の盆を以前に見た人々が混じっているのでしょうか、人々の歩き方も優雅になっています。帰りにこの坂を下る人々は一層静かに歩いていました。
おわら風の盆の起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼると伝えられています。
「風の盆」の名称の由来については、風鎮祭からともお盆行事からともいわれています、はっきりとしたことはわからないそうです。
日本各地には数多くの盆踊りがありますが、今日は最も優雅なことで有名な富山県の「おわら風の盆」を詳しくご紹介しました。
尚、風の盆の動画は、https://www.youtube.com/watch?v=TfjZmZeW6cY にあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「追憶の夏の風物詩(5)楽しげに川遊びをしている子供達」

2022年07月12日 | 写真
夏の楽しみはいろいろあります。川遊びもその一つです。夏の風物詩 です。
仙台で生まれ育った私は小学生のころまで広瀬川でよく川遊びをしました。岸辺の浅い水の中に入って川ガニを探したり川魚を追い回したりしました。それは実に楽しい思い出です。子供の川遊びは夏の風物詩です。
大人になって東京に住むようになっても時々楽しかった川遊びを思い出します。
その上、息子と娘が小学生の頃は浮き輪を持って毎年多摩川に遊びに行きました。そして男の孫3人は私の山林の中の小屋の庭の小川や小武川でよく川遊びをしていました。大岩の上から飛び込んだり潜って川底の綺麗な石を掴んだり流れに乗って下流まで泳ぎ河原の焼けた石を踏みながら戻っては又泳ぎ・・・そんなことも含めて川遊びには楽しい思い出がいっぱいあります。
そこで最近は多摩川や秋川の上流に行って子供達の川遊びの様子を見に行きます。
いっぱい子供達がいました。子供達の歓声が川面に響いています。その光景を見ると自分の子供の頃を思い出し楽しい気分になります。毎年夏になると車で子供達の川遊びの写真を撮り行きます。
今日はそんな子供達の川遊びの写真をお送り致します。多摩川上流や秋川 上流で撮った写真です。
1番目の写真はJR御岳駅の近くの多摩川の川遊びの写真です。
2番目の写真は多摩川の川遊びの近景写真です。
3番目の写真も御岳駅の近くの多摩川の川遊びの風景です。
4番目の写真は秋川の十里木付近の川遊びの風景です。
5番目の写真は五日市町役場付近の川遊びの風景です。

6番目の写真は川遊びの子供達の近景です。この写真の出典は以下です。
 https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E5%B7%9D%E9%81%8A%E3%81%B3&qt=&qid=&creator=&ngcreator=&nq=&srt=dlrank&orientation=all&sizesec=all&color=all&model_count=-1&age=all&mdlrlrsec=all&sl=ja&pp=70&p=1&pt=A

7番目の写真も川遊びの子供達の近景です。

今日は「追憶の夏の風物詩」の(5)として楽しげに川遊びをしている子供達の写真をお送り致しました。皆様は川遊びの思い出を持っていますでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)