後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「寒くて暗いドイツの人々の考え方」

2023年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム
老境に至って自分の人生を振り返ると、外国への留学で深い影響を受けたことをつくづく思います。特に印象深いのは留学先の気候です。寒暖激しい明るいオハイオ、そして寒くて暗いドイツに留学しました。そのおかげで日本は實に温暖で気候に恵まれて良い国だと思いました。
留学のおかげで私はアメリカが大好きになりました。
アメリカ留学は24歳から26歳まででしたが、34歳のときドイツに留学し、今度はドイツにも影響を受けました。
今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。
昨日の「ドイツのワインの特別な飲み方の思い出」という記事の続編です。
まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景写真と隣町のバンベルグのをご紹介しましょう。

1番目の写真はローテンブルグの夜の風景です。写真の出典は、
https://beautiful-photo.net/medieval-town-of-rothenburg-ob-… です。

2番目の写真はローテンブルグのルクト広場と市庁舎です。出典は、https://washimo-web.jp/Trip/Rothenburg/rothenburg.htmです。

3番目の写真は「市庁舎の塔」から眺めたローテンブルク市内の家並みです。出典は、https://washimo-web.jp/Trip/Rothenburg/rothenburg.htmです。

4番目の写真は世界遺産に登録されている「バイエルンの真珠」と称えられるバンベルクの風景です。出典は、https://tabizine.jp/2017/09/25/146378/2/です。

5番目の写真は木造家屋が並ぶ、レグニッツ川沿いの風景です。出典は、https://tabizine.jp/2017/09/25/146378/2/です。
ドイツでの生活は1969年夏のにローテンブルグでの3ケ月間のドイツ語研修から始まりました。そしてその後、シュツットガルト市にあるマックス・プランク金属研究所で1年間の研究生活をしました。シュツットガルト市に移るとすぐに家内と子供2人を呼びました。
ドイツは気候も社会も若い頃留学したアメリカのオハイオ州とは全く違うのです。夏が短く秋から春まで曇り日が多く暗いのです。寒くて暗いのです。
その上、同じ欧米人なのにアメリカとドイツでは人々の考え方が驚くほど違うのです。
「ヨーロッパの階級社会や伝統社会から逃れた人々がアメリカに行って国家を作った」という一行の文章の意味がしみじみ理解出来たのです。
まずはじめに私が受けた大きな影響です。それはドイツの暗くて寒い冬の影響でした。その長い冬を体験した結果、ドイツの文化を理解するためにはこの冬の厳しさを考えるべきと思ったのです。
これは重要なことで、その後、私がいろいろな外国の文化や社会を考える時、必ずその国の天候や自然条件を考慮に入れるようになったのです。
例えば北欧の観光写真を見ると、ほとんど全てが夏の晴天の日に撮ったものです。そんな輝く晴天の日は年間でほんの数十日しか無いのです。北欧の人がそんな夏の日に感じる歓喜が想像出来ようになったのです。
内陸のヨーロッパの人々が明るい地中海沿岸のイタリヤアや南フランスに強く憧れるのは暗くで長い冬のせいなのです。
外国を理解するとき天候や自然の条件を考慮に入れるべきなのです。
もう一つドイツで受けた大きな影響は歴史に関する考え方です。
不思議なことにドイツの研究所の実験室には必ず冷蔵庫があってビールが沢山入っています。実験に疲れたとき1、2本水がわりに飲むのです。そんな折りの雑談の話題は決まったように中世の「30年戦争」のことなのです。
確かなことは忘れましたが1600年代にドイツの町や農村を徹底的荒廃させ、人口の何割かが殺された内戦のことです。
戦争の発端はカトリックとプロテスタン宗派との争いでしたが、すぐに領土をかけた地方の領主同士の欲得にからんだ戦争が30年間も続いたのです。そしてフランスやスウェーデンやウイーンのハプスブルグ家の軍隊を巻き込んだ大戦争になってしまったのです。
誰が敵で、誰が味方か分からない混戦になってしまったのです。
私は日本の学校で「30年戦争」がそんなにドイツにとって重要だとは習いませんでした。ですから「30年戦争」など記憶に無かったのです。
ところがドイツ人はビールを飲むたびにこれを話題にして喧々諤々の議論をするのです。
そこで判ったのですが、人々が習う歴史とは国々によってまったく違うという事実です。
この世に絶対的に正しい歴史などは存在しないのです。
「歴史は権力者に都合良く書かれている」ということは昔から知っていました。しかし歴史とは国々によってまったく違うという事実を体験的に理解できたのです。
それでは「30年戦争」の時代は誰が権力者だったのでしょうか?それが判らないからビールを飲んだ時の格好の話題になったのでしょう。
ビールと言えば面白いエピソードがあります。
「30年戦争」の時、ローテンブルグを包囲した敵将が市長に難題を言います。この大ジョッキのビールを一気に飲み干したら町は焼き尽くさないと言ったのです。市長は喜んで飲み干し、町を救ったのです。現在も市庁舎の上にビールを飲む市長の動く人形があります。
アメリカでビールを飲んだ時の話題はプロ野球やアメリカン・フットボールに関することが多いのです。あるいは趣味の話が多いのです。歴史が話題になったことを私は知りません。これもドイツ人とアメリカ人の違いの一つですね。
ドイツ留学で受けた影響はもっといろいろありますが、今日はこれぐらいにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「ドイツのワインの特別な飲み方の思い出」

2023年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
先日、甲斐駒岳の麓にあるワインを作っている工場を見て来ました。ワインの作り方は簡単です。発酵させるだけです。ブドウを腐らせていくと、ブドウに含まれる糖が酵母菌によってアルコールと二酸化炭素に分解されるのです。
工場で大量に作るには次のようにします。
まずワインの原料となるブドウを粉砕、圧搾し果汁をアルコール発酵させます。
発酵が終わると、樽やタンクに詰めて熟成させ、ろ過して濁りを除いたワインを瓶詰めすれば完成です。
甲斐駒岳の麓にあるシャルマンワインの工場を家内が撮った写真を示します。

写真にある大きなステンレス製のタンクは果汁を発酵させるためのタンクです。それから木の樽は発酵した果汁を熟成させている樽です。熟成が終わればビンに詰め出荷します。

ワインと言えば私に思い出があります。昔南ドイツに住んでいた頃見たドイツ人のワインの飲み方です。1969年、ドイツのローテンブルグという中世の田舎町でのことです。
ガストフという古い食堂に入ってワインをよく飲んでいました。古い食堂は木目が美しい内装で、中は薄暗いのです。
その薄暗い食堂に入るとすぐに帽子、コートを脱ぎます。そして入り口近くの帽子掛けに掛けます。
「グリュ-スゴット!」(神のお加護を!)と店の主人へ声を掛けてから座るのです。
日本の学校ではグリュ-スゴット!などという挨拶は習ったことがありません。南ドイツの方言なのです。
店の奥の左手のテーブルは男だけの地元常連客のテーブルなので座ってはいけないのです。
田舎の店ではコートの脱ぎ方、挨拶の仕方、その後の仕草を地元の人々がジーッと見ています。作法通りにしないと露骨に嫌な顔をします。アメリカ人観光客は地元の作法に無頓着なので、どうしても嫌われてしまうのです。
渋みの効いた地元のワインを注文します。行く度に注文の銘柄を変えて味を比較します。次第にドイツワインの深みが分かるようになります。ドイツワインだけを飲んでいるとフランスワインは美味しくないような気がしてきます。
ドイツの民宿にも何度も泊まりました。民宿はワインケラーというワインの貯蔵倉を持っているのです。
多人数で行った時もあります。夕食時には必ず年代物のワインの栓を2,3本抜きます。抜くのは民宿のご主人で、重々しい顔でラベルの年代を読み、コルクを抜きます。
始めに一杯だけグラスに注ぎ、団員が交代で務める「主客」が一口飲みます。
しばし考えて、「美味い。少しドライだがそこはかとない葡萄の甘味もあり結構じゃないですか」などと誉めます。
主人が満足げに全員のワイングラスに注いで飲み始めるのです。
ワインに使った葡萄の品種やその年の天候などが主人から説明があります。それが終われば儀式が終了するのです。この部分はあくまでも伝統的な作法であり、間違っても少し味が良くないなどと言ってはいけません。
ある時、決まった作法と知らない日本人が自分の好みの味ではないと言ったために主人と大激論になった場面を見たことがありました。始めの儀式が終われば、味の批判や評価をしても良いのです。
このように南ドイツではワインの飲み方にも伝統的な儀式が出てくるのです。
南ドイツは北ドイツとは違います。徹底的に伝統にこだわるのです。
そこがドイツの面白さです。想像してみると、ヨーロッパの田舎はみな伝統文化を墨守しているに違いありません。そこがアメリカとの違いです。
アメリカに1998年から2年間単身で在住した時は良く外の店にお酒を呑みに行ったものです。アメリカでは酒は楽しく飲めば良いので儀式は一切ないのです。ビールは小瓶や缶のまま飲みます。
いかにもアメリカらしい酒場には磨き上げた厚い板のカウンターがあります。カウンターに座ったらまずコインを出して、バーボン ダブルなどと注文します。
男主人がカンターの端から私の手元へグラスをスウッと滑らせてくる。丁度手元で見事に止まる。
以上が酒にまつわる文化です。それにしてもヨーロッパとアメリカは随分と違うものです。
酒の飲み方の作法も時代とともに変わるに違いない。南ドイツでの面倒な儀式は消えたであろうか?あれから50年以上になります。しかし国々の文化の本質は案外変わらない思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「甲斐の国の山々の写真」

2023年02月19日 | 写真
甲斐の国は山国です。昨日はこの甲斐の国の山林の中の小屋へ行きました。息子と孫が車を運転してくれました。妻と私は後部座席に坐り甲斐の国の山々の風景を眺めて来ました。
昨日撮った山々の写真をお送り致します。最後の2枚の写真は小屋とその周囲の山林の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「カトリック教会、2023年2月19日のミサ動画配信とミサの風景」

2023年02月19日 | 日記
カトリック教会、2023年2月19日の年間第7主日のミサ動画配信は以下の通りです。

2023年  2月19日 10時のミサ

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/watch?v=SNC8wS_nMvM

聖イグナチオ教会
https://www.youtube.com/watch?v=m0-GY754LRo

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

写真はローマのバチカンにあるサンピエトロ寺院です。サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの本山です。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものです。

後の4枚の写真は今日のカトリック関口教会のミサ風景です。

「今日の一枚の写真」

2023年02月18日 | 写真
今日の一枚の写真です。
南アルプスの甲斐駒岳のそばに行って来ました。
車の背後に甲斐駒岳が聳えています。息子と孫が車を運転してくれました。妻と私は後部座席に坐り甲斐の国の山々の風景を眺めて来ました。

「いろいろな電動車椅子の比較」

2023年02月17日 | インポート
私は電動車椅子を毎日使って出歩いています。日本で市販されている全てのものは「電動車椅子」を検索すると沢山出てきます。
性能は大体同じようです。時速6Kmで10Kmくらいは走れます。夜に充電しておきます。価格は10万から50万円ほどです。
選ぶポイントは「乗ったままスーパーに入って行け買い物が出来る小型のもの」を選ぶのが重要です。
4つのタイプのものを写真で示しました。私のは最後の椅子式のもので乗ったままスーパーに入って行けます。至極便利です。
2番目と3番目の写真のものは乗ったままスーパーに入って行けません。
1番目の写真はのものはデザインも良く性能も最高ですが50万円と高価です。
どれも折り畳めて車に積んで遠方まで行けます。
足の弱い高齢者の方々へお勧め致します。

「幻の楼蘭王国とその遺跡を発見したスヴェン・ヘディンのこと」

2023年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
中央アジアのタクラマカン砂漠の何処かに楼蘭王国が繁栄していたことは昔から知られていました。スウェーデン人の探検家のヘディンが楼蘭王国の遺跡をロブノール湖のそばで1900年に発見したのです。
今日は探検家のヘディンのことを紹介したいと思います。そして幻の楼蘭王国のことも簡略に書きたいと思います。
ヘディンのことも楼蘭王国のことも非常にロマン溢れる話です。まずヘディンの写真を示します。

1番目の写真はスウェーデンの探検家のヘディンです。
スヴェン・アンダシュ・ヘディン(Sven Anders Hedin)は1865年に生まれ1952年に没したスウェーデン人の中央アジア探検家でした。1902年に貴族に列せられ、1909年にはイギリスより“ナイト”の称号を授かりました。
ベルリン大学でシルクロードの提唱者として知られるリヒトホーフェンの指導をうけて中央アジア探検を決意します。
1893年-97年にはロシアのオレンブルクからウラル山脈を越え、パミール高原、タクラマカン砂漠南辺、ツァイダム、青海からオルドスを横断、張家口を経て北京に到着していました
日本の浄土真宗本願寺派法主も務めた大谷光瑞からの援助も受けていました。
日本との関わりは以下の通りです。
1898年~1900年頃から大谷光瑞と交流があり、探検旅行の帰途、大谷、外務省、東京地学協会の招聘1908年に来日し、明治天皇に謁見します。日本人として初めてチベット入した河口慧海とも書簡を交していました。1923年にも来日しています。
1948年にはノーベル文学賞候補として日本の賀川豊彦を推薦していたことが、ノーベル財団が公表したノミネートリストより明らかになっています。

さて話は変わり楼蘭王国のことを簡略に書きます。
楼蘭は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)にかつて存在していました。「さまよえる湖」ロプノールの西岸にあってシルクロードが西域南道と天山南路に分岐する要衝だったため交易により栄えた場所でした。しかし正確な場所はヘディンの1900年の遺跡の発見までは確定していませんでした。
楼蘭は紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善(日本語名:ぜんぜん)と改称しましたが、楼蘭の名はその後も長く用いられたのです。4世紀頃からロプノールが干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれたが、1900年にスウェーデンの探検家ヘディンによって遺跡が発見されました。
楼蘭と呼ばれる国がいつ、どのようにして成立したのかは定かではありません。古くは新石器時代から居住が始まったことが考古学的に確認されています。いわゆる「楼蘭の美女」として知られるミイラは、纏っていた衣服の炭素年代測定によって紀元前19世紀頃の人物であると推定されているのです。
文献史料に楼蘭の名が現れるのは『史記』匈奴列伝に収録された手紙の中で触れられているのが最初(紀元前2世紀)です。
それでは1900年にヘディンによって発見された遺跡の写真を示します。

2番目の写真は楼蘭故城の仏塔跡です。

3番目の写真は楼蘭故城の住居跡です。胡楊の柱が今も残っているのです。

4番目の写真はロプノール湖心近くです。旧湖底は土混じりの岩塩でカチカチになっています。360度遮る物は一切ありません。
この楼蘭のあった地方への旅行記は、「楼蘭故城を訪ねて」、中嶋信正著、(http://www.ocuac.org/travel/nakajima/rouran.htm )にありますのでご覧下さい。

今日は幻の楼蘭王国の遺跡を発見したスヴェン・ヘディンのことをご紹介いたしました。そして楼蘭王国についても簡略に書きました。ロマン溢れる話です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「美しい冬風景の写真をお送り致します」

2023年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム
雪は不思議なものです。雪のある風景は何故かロマンティックです。神秘的ですらあります。
いろいろな美しい冬風景の写真をお送り致します。写真の出典は、https://ptl.imagegateway.net/contents/original/phototech/genre/landscape/nature-winter/review/01.html です。

「八ヶ岳のそばの吐竜の滝の冬と夏の風景」

2023年02月16日 | 写真
吐竜の滝は八ヶ岳の清里のそばにあります。川俣川渓谷にいくつかある滝の中で最も美しい優雅な滝です。
小さな滝が何段にも落ち込むその姿は、まるで竜が水を吐くかのように見えるためこの名が付いたといわれています。
冬も良いのですが夏も優雅な風景です。冬と夏の写真をお送り致します。
住所は山梨県北杜市大泉町西井出 です。
冬の写真の出典は、https://www.photolibrary.jp/img515/200196_4935538.html です。
夏の写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000115084/#basicInfoArea です。



「冬だけの絶景!美しい雪見の露天風呂」

2023年02月15日 | 写真
冬だけの絶景の美しい雪見の露天風呂の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://www.ozmall.co.jp/travel/stay/onsen/feature/1/ です。

1番目の写真は万座プリンスホテル(群馬/万座温泉)です。
とにかく開放的な露天風呂が魅力です。壮大な雪景色や満天の星を眺めながらにごり湯に浸かれるのです。
宿泊客は姉妹館「万座高原ホテル」にある4種の源泉・8つの湯船の石庭露天風呂も利用できます。

2番目の写真は草津ナウリゾートホテル(群馬/草津温泉)です。
北軽井沢にある標高1130mの高原リゾートで、屋上のパノラマガーデンからは浅間山や北軽井沢高原の雄大な風景が見渡せます。露天風呂には浅間山の地下深くから湧き出る源泉を掛け流しです。

3番目の写真は草津ナウリゾートホテル(群馬/草津温泉)です。
温泉街から少し離れた標高1200mのマウンテンリゾートで、雪見の時期は例年12月~2月頃です。露天風呂は広々としていて、雪化粧した庭園や木々を眺めながらの入浴出来ます。 特に湯けむりが濃くなる夜は幻想的な光景を楽しむことができるのです。

4番目の写真はたてしな藍(長野/蓼科温泉)です。
蓼科高原の横谷峡に佇む小さな宿です。木々に囲まれた庭園風の露天風呂は檜風呂と岩風呂があり、男女入れ替え制で両方に入れます。

「私が使っている便利至極な電動車椅子」

2023年02月13日 | 写真
この電動車椅子で毎日のように買い物に行きます。乗ったまま店やスーパーに入れるように小さく出来ています。
少し遠い小金井公園や武蔵野公園へも写真を撮りによく行きます。

性能は、最大積載量(kg)115 充電時間(時間)約4 最高速度(km/h)約6.0 走行距離(km)約13、です。
カシダス株式会社のこの車椅子の詳細は、「折りたたみ式電動車いす RASREL」を検索すると出ています。また、https://www.kashidasu.co.jp/rasrel/ にも出ています。
写真をお送り致します。

「美しい富士山と河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の写真」

2023年02月13日 | 写真
富士五湖へはよく遊びに行ったものです。懐かしい場所です。先程、山中湖の写真をお送りしたので残りの河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の写真をお送りします。
写真は順に河口湖、西湖、精進湖、本栖湖です。

「美しい水のある風景の山中湖、忍野八海、そして水元公園」

2023年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム
一生を通じてとても重要に感じている趣味を二つ持っていました。
その一つは甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋へ通う趣味です。もう一つはヨットの趣味です。
そのヨットの趣味が長続きした理由はヨットの不思議な動き方と、ヨットの上から見た水の美しさでした。霧を通して弱々しい朝日を反射している水面の風波。何処までも深い群青の海のうねり。そして人間の儚さを感じさせる夕陽に映える水の広がり。それが私をとりこにして、気がついたら26年もヨットに毎週のように通っていました。
水の不思議さと美しさを語り出したらきりがありません。皆様も水のある風景には数々の忘れられない思い出を沢山お持ちのことと思います。
よく行った所の一つに富士山の山中湖があります。富士山と雪解け水の不思議な関係を想います。そして山中湖のそばの忍野村に豊富に湧き出ている雪解け水の美しさに魅了されました。
そこで以下に家内が撮った山中湖や忍野村の湧水の写真をお送りします。そして水のある風景が非常に美しい都立水元公園をご紹介したいと思います。

1番目の写真はは雪に覆われた富士山と山中湖の風景です。
山中湖には川が流れ込んでいません。したがってこの豊かな水は湖底のあちこちから湧き出している富士山の雪解け水なのです。水をよく通し、溶岩で出来た土地の下にある水路のような場所を通って湖底の方々から湧き出しているのです。
この山中湖からは流れ出ている川が一本だけあります。桂川と言いますが下流のほうは相模川と呼びます。
この山中湖とは別系統の湧水が山中湖のそばの忍野村にも8ケ所あります。湧水が美しいので忍野八海という観光名所になっています。

2番目の写真は忍野八海の湧水池の一つです。池の底からコンコンと富士山の雪解け水が湧きあがっているのです。

3番目の写真も八つの湧水池の一つです。金色の大きなマスが透明な水の中を悠々と泳いでいます。

4番目の写真は八つの湧水池から流れ出ている小川の風景です。

5番目の写真は美しい小川が忍野村を西の方向へ流下っている風景です。村の西の端で山中湖から流れて来た桂川と合流します。
桂川はやがて相模川と名前を変えて相模湾へ流れ出しているのです。相模湾にはヨットの葉山マリーナ、逗子マリーナ、江の島マリーナなどがあり数多くのヨットの白い帆が風に舞っているのです。
忍野八海の駐車場が遠方にもありますが、至近距離にも駐車場があります。忍野八海の中にある有料の庭園も富士山を背景にした絶景の庭園です。
最後に広大な池のある都立水元公園をご紹介したいと思います。

6番目の写真は都立水元公園の広い池と競技用のボートです。

7番目の写真は都立水元公園の広い池の向こうにあるポプラ並木の森の風景写真です。
私が何故この公園に感動し何度も訪れたか考えてみました。理由は次のとうりです。
広いです。水が豊かです。森が鬱蒼としています。芝生の広場が圧倒的です。その中の小川が楽しげに流れています。ポプラ並木がロマンチックです。これらもろもろのものが見事に配置してあるのです。歩いていて次から次へと場面が変わるのです。そして駐車場も広くて料金も適正です。
この公園を設計した人々が楽しみながら何年もかけて作ってきた様子が目に浮かびます。作った人々の心が温かいのです。夢があるのです。私はこの公園が東京で一番感動的な公園と思っています。

今日は美しい水のある風景の山中湖、忍野八海、そして水元公園をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)