575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

天高し少女背びれを立てている   遅足

2010年11月14日 | Weblog
えなみドクターの診断です。
ユニークな表現ですが、具体的なイメージがわきませんでした。

この診断は、どういうことなのか?
荻原先生のブログに、こんなことが書いてありました。

           

短歌や俳句の作品評にしばしばあらわれるもので、
あたまでつくられた、という言い回しがある。
実際に見たり聞いたり感じたりしている印象がきわめて薄く、
調べや意味や修辞のためだけに
それが書かれているように見えることを言う。

情報を通して事物を知るのではなく、
五感を通して事物を知るプロセスに表現の重心がある場合、
それは批判的な意味で用いられる。
しかし、考えてみれば、短歌や俳句を書くとき、
あたまでつくらないわけはない。
あたまをつかわないはずはないのだ。

求められているのは、あたまをつかわないことではない。
感覚をみがいたりすることでもない。
それをあたまでつくったにもかかわらず、
それがあたかも五感から生じたと見えるようにするために、
もっとあたまをつかうこと、なのだと思う。

もっと頭を使わないと・・・・

          

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品川を去り冬田歩く六十年     朱露

2010年11月14日 | Weblog

  品川、名古屋、真鶴、豊橋と渡り歩く。
  私だけの横須賀十八年というのがある。
  マリーンが土足で上がり込む強烈なの。
  先日は小鳩にも土足で上がり込まれた。

            


          
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