坐りだこ囲炉裏に痛しひえの飯
百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る
新米のかをり鉋のよく研げて
上の句は光太郎が空襲で焼かれた東京から岩手県の花巻近郊の
山裾の小屋で、神経痛に悩まされながら「独居自炊孤坐黙念」の
七年を送った時の句である。この不自由な暮らしを耐えたのは
戦争協力の詩づくりの深い自責の念からと言われており、句にも
そうした厳しさが表れている。
若き頃、職人に読み書きは不要と父から厳しく戒められていたが
美校卒業前に読売新聞社の俳句懸賞募集に下記の句で入選して許されたという。
夕月や満山の花仙に入る
青巒の裾点綴す桜かな
そして、イタリア旅行し感銘を受けた時の句が「伊太利亜遍歴」で
岩の上に基督のいる寒さかな
ドナテロの騎馬像青し春の風
春雨やジョツトの壁画色褪せたり
など残された句は六十余句に過ぎない。
百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る
新米のかをり鉋のよく研げて
上の句は光太郎が空襲で焼かれた東京から岩手県の花巻近郊の
山裾の小屋で、神経痛に悩まされながら「独居自炊孤坐黙念」の
七年を送った時の句である。この不自由な暮らしを耐えたのは
戦争協力の詩づくりの深い自責の念からと言われており、句にも
そうした厳しさが表れている。
若き頃、職人に読み書きは不要と父から厳しく戒められていたが
美校卒業前に読売新聞社の俳句懸賞募集に下記の句で入選して許されたという。
夕月や満山の花仙に入る
青巒の裾点綴す桜かな
そして、イタリア旅行し感銘を受けた時の句が「伊太利亜遍歴」で
岩の上に基督のいる寒さかな
ドナテロの騎馬像青し春の風
春雨やジョツトの壁画色褪せたり
など残された句は六十余句に過ぎない。