海上の森の篠田池奥にあると聞いたのはもう3年も前のことだ。11月5日の観察会の
折、尋ねることにした。篠田池は森のはずれの方の高みに作られたため池である。ど
の道でも登ることになる。この日、ヒノキバヤドリギのその後も見たいので、駐車
場から北側の山道をあるいた。この道はかなりハードだから、歩くのに気をとられて
か、みつけることができないまま、篠田池に着いた。これより北へは道がないことに
なっている。ずっと以前は橋があり赤津方面へ行けたそうだが、橋が落ちて人が通ら
くなり道がなくなった。キッコウハグマは道なき道の途中に生えている。図鑑によれ
ば山地のやや乾いた木陰に生えるとあるが、ここは急流のほとりで水がかかる岩場。
条件がよくないと閉鎖花が多いそうで、ほとんどそればかり。閉鎖花でも撮っておこ
うと熱心にシャッターを押していたら、仲間の1人が1個咲いているキッコウハグマを
みつけ、本日の苦労は報われた。
キッコウハグマはキク科モミジハグマ属の小さな多年草。葉の形や模様が亀の申
羅に似ているハグマというのが名前の由来である。ハグマは漢字で書くと白熊でこの
場合はネパールやチベットの高地に生息しているヤクという牛ににている動物の長い
尾毛のことで、兜や槍につける装飾品として愛好された。特に徳川家康が好み「家康
に過ぎたるものが2つあり、唐の頭(ヤクの尾毛をあしらった兜)に本多平八」と詠
われほど。だから鎖国になっても清国経由で定期的な輸入が行われた。余談である
が、幕末の折、江戸城が新政府軍に接収された際、収蔵されていたヤクの尾毛は黒毛が
薩摩藩、白毛が長州藩、赤毛が土佐藩の手に渡り、三藩の指揮官クラスの軍帽として
使用された。黒毛の軍帽を黒熊(こぐま)、白毛の軍帽を白熊(はぐま)、赤毛の軍
帽を赤熊(しゃぐま)と呼ぶ。
キッコウハグマなど、”ハグマ”の名前のある草は、花びらが細くて長い。そし
て花びらは風車状に回転したり、らせん状に曲がったりしている。このようにヤクの
毛を連想させるのでハグマなのだそうだ。”ハグマ”の花は美しいと思うが、白熊を
見たことがないから、この発想についてはいけない。で、この名前を付けた人の人物
像が気になる。
折、尋ねることにした。篠田池は森のはずれの方の高みに作られたため池である。ど
の道でも登ることになる。この日、ヒノキバヤドリギのその後も見たいので、駐車
場から北側の山道をあるいた。この道はかなりハードだから、歩くのに気をとられて
か、みつけることができないまま、篠田池に着いた。これより北へは道がないことに
なっている。ずっと以前は橋があり赤津方面へ行けたそうだが、橋が落ちて人が通ら
くなり道がなくなった。キッコウハグマは道なき道の途中に生えている。図鑑によれ
ば山地のやや乾いた木陰に生えるとあるが、ここは急流のほとりで水がかかる岩場。
条件がよくないと閉鎖花が多いそうで、ほとんどそればかり。閉鎖花でも撮っておこ
うと熱心にシャッターを押していたら、仲間の1人が1個咲いているキッコウハグマを
みつけ、本日の苦労は報われた。
キッコウハグマはキク科モミジハグマ属の小さな多年草。葉の形や模様が亀の申
羅に似ているハグマというのが名前の由来である。ハグマは漢字で書くと白熊でこの
場合はネパールやチベットの高地に生息しているヤクという牛ににている動物の長い
尾毛のことで、兜や槍につける装飾品として愛好された。特に徳川家康が好み「家康
に過ぎたるものが2つあり、唐の頭(ヤクの尾毛をあしらった兜)に本多平八」と詠
われほど。だから鎖国になっても清国経由で定期的な輸入が行われた。余談である
が、幕末の折、江戸城が新政府軍に接収された際、収蔵されていたヤクの尾毛は黒毛が
薩摩藩、白毛が長州藩、赤毛が土佐藩の手に渡り、三藩の指揮官クラスの軍帽として
使用された。黒毛の軍帽を黒熊(こぐま)、白毛の軍帽を白熊(はぐま)、赤毛の軍
帽を赤熊(しゃぐま)と呼ぶ。
キッコウハグマなど、”ハグマ”の名前のある草は、花びらが細くて長い。そし
て花びらは風車状に回転したり、らせん状に曲がったりしている。このようにヤクの
毛を連想させるのでハグマなのだそうだ。”ハグマ”の花は美しいと思うが、白熊を
見たことがないから、この発想についてはいけない。で、この名前を付けた人の人物
像が気になる。