575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

明日は「白露」    遅足

2009年09月06日 | Weblog
9月7日は二十四節気の白露。
昼夜の気温差が大きくなると、
朝夕に空気が冷やされて露を結ぶようになります。
昔の人は、この頃に草木を濡らす露を「白露」と呼びました。
中国の五行説で、秋は白とされていたためです。

早朝、空が白む頃に草木に結んだ露は、
太陽が昇るとともに消えてしまいます。
日本人は、この露に、はかなさを感じていたのでしょう。

  露の世は露の世ながらさりながら  一茶

肉親との縁の薄かった一茶。
露の世、という表現の繰り返しは、
一茶の心のはかなさを感じさせます。

  金剛の露ひとつぶや石の上  川端茅舎

私の好きな句。はかなく、もろい露を金剛と喩える。
そして、石の上に置く。
画家を目指した茅舎ならではの句。写生の句とされます。
私には、写生というよりコトバが作り上げた真実の世界のよう。

最後に面白い一句を。

  ふぐりに手載せて寝につく露の音   能村登四郎

ちょっとHで良いですね。

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母が居て小言始まる月夜かな    朱露

2009年09月06日 | Weblog


     小言を言わなくなって母は死んだ。
     もっともこっちも大きくなったし。
     母は今の私より十八若いので困る。
     長女の姉程度だから扱いが難しい。

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秋の蚊を血相変えて追い詰める   朱露

2009年09月05日 | Weblog


      歳時記「どこか哀れを感じる秋の蚊」と。
      甘ったれた解釈でこれでは話にならない。
      今朝新聞を読んでいたら来たので殺した。
      戦時中蚤虱を殺し捲ったので蚊如きが何。

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薄野よ今や札幌中央区   朱露

2009年09月04日 | Weblog

   「草冠」に「亡」の「芒」もあり。
   「須賀」は砂丘のことだと知った。
   成る程「遠州白須賀」はその通り。
   横須賀野郎の私は砂浜に寝そべる。

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ヒマラヤスギ(ヒマラヤシーダ) 草女

2009年09月04日 | Weblog
 図書館へ行くには小学校の横、工業大学の構内、そして鶴舞い公園を斜めによこぎる。その道には数多くのヒマラヤスギがある。               この木は雌雄同種と図鑑にあるが、いま大きな球果を付けているのは、2本だけである。黄褐色で高さ10~12cm、直径6~7cmの巨大松ぼっくり(球果)が上向きにニョキニョキしている。                      とっても欲しいのだが、手が届かない。また、松ぼっくりのように拾うことができない。この実は熟すと、バラバラになって辺りに飛び散るからだ。公園に行くつど指を咥えながら、どんな匂いがするのだろう。コニファーの仲間だから、香り高いだろうなどと思っている。
HimalayanCedarは英名で和名はヒマラヤスギとなっているが、スギの仲間ではなく、マツの仲間。ヒマラヤ西部~アフガニスタン原産の常緑針葉大樹で、明治初期導入された。青銀色の葉も円錐形を作る樹形もうつくしい。        調べていたら「コウヤマキ、アローカリアと並び世界三大美樹の一つ」とある。コウヤマキは秋篠宮家の長男の御印に選ばれて、有名になった。アローカリアはナンヨウスギのことで、沖縄などに植栽されていて、確かに美しい樹木であるが、世界三大美樹などとは、いったいどういう人達が決めているのだろう。

  

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五千年俯いていた今朝の秋     朱露

2009年09月03日 | Weblog

     五千年でも五百年でも五万年でもいい。
     俯(うつむ)くは頭を垂れることデス。
     「今朝の秋」は本当は立秋の朝のこと。
     ここでは前の日と変わったほどの意味。

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秋の訪れ   麗

2009年09月02日 | Weblog
朝晩はめっきり涼しくなり虫の声がにぎやかになってきました。
毎日新聞の俳句コーナーで
女優の冨士真奈美さんの面白い句を発見しました。

半島に核持つ男放屁虫(へひりむし)

なかなか皮肉な俳句ですね。
今の日本の政治を俳句で詠むならどうなるでしょう。

マニフェスト金額だけが声高に  麗

拝金主義の政策は実現可能なのでしょうか?
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炎天の喉のぞかせてわらいけり   遅足

2009年09月02日 | Weblog
船団の小枝恵美子ドクターの診断を頂きました。

 豪快な笑いで、風景としてはとても漫画的。
「喉のぞかせて」のリズムが良く、大きな笑い声が聞こえてきそうです。
「炎天の」で軽く切れがありますが、炎天が喉をのぞかせているようでもあり、
面白く、季語がいきいきとしています。

ありがとうございます。
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コトバをずらす   遅足

2009年09月02日 | Weblog
荻原先生が時々、こういう言い方をされます。
『俳句表現の方法のひとつとして、コトバをずらす』。

世の中、ものごとは無限。一方、コトバは有限。
新しい発見を、出来合いのコトバで、どう表現するのか?
新しい発見といっても、大きなものではなくても、
日常のなかでの小さな発見なら、いくつかは、ありそう。
そのあたりが俳句の狙い。

しかし、そのことが、なかなかコトバにならない。
なんとなくコトバにしても、どこか違う。
そこでコトバをやりくりする。

このコトバのやりくりのひとつが比喩。
コトバを、普通に使われている意味からすこしずらして使う。

  トンボが街へ流れてくる

普通は、トンボが街へ飛んでくる、という。
しかし、流れてくる、というと、飛んでくるのではあるが、
目的地を持たない旅人のように、流れるように飛んでくる、
というニュアンスが生れる。

「コトバをずらす」とは、こういう意味ではないだろうか?

 レトリック感覚(佐藤信夫・著)を読んで。


   (写真は、霧が峰高原の花野です。)


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秋高し地虫隅々響動み渡る    朱露

2009年09月02日 | Weblog


     地虫は土中に鳴く虫で特に甲虫の幼虫。
     「響動(トヨ)む」は大声で騒ぐこと。
     我が世の秋なので朝から晩まで響動む。
     昨夜も酒を飲みつつ響動みに聞き入る。

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おわら哀しや   鳥野

2009年09月01日 | Weblog
きょう1日から3日間、越中八尾は「風の盆」。おわら節の唄と踊りに包まれます。

その観光ツァーに誘われました。お膳立てのしっかりしたバス旅行とのこと。
行きたい、心は騒ぎましたが、結局お断りすることに。

最近の風の盆ブーム。山間の静かな町に観光客が押し寄せ、ごった返すらしい。

三味線と太鼓、胡弓と喉が自慢の唄い手が、夜更けの小路を、おわらに酔うがにゆっくりと行く町流し。

粋な男踊り、艶な女踊り、稔りの無事を祈る里人のひたすらの行事だったはずです。

 「八尾おわらをしみじみ聞けばむかし山風草の声」

 「八尾坂道別れてくれば霧かしぐれかはらはらと」

 「もしや来るかとまど押し開けて見れば立山雪ばかり」

嫋々とつづく越中おわら節。その哀愁の歌い言葉も、喧騒にかき消されてしまうのでしょか。

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秋風や水におちたる空のいろ   久保田万太郎

2009年09月01日 | Weblog
この句は大正12年の作。
関東大震災のあとに詠まれた句だそうです。

そういうことを知って読むと、
水におちたる空、という表現が生々しく感じられます。

  竹馬やいろはにほへとちりぢりに

この句も同じ年の作とか。   遅足


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九月来て小山小川の新しき    朱露

2009年09月01日 | Weblog

       豊橋東端は低い山並みが南北に走る。
       その山裾に暮らして三十数年経った。
       二千九年九月足元の草木が秋を歌う。
       居ない父母や兄姉に聞いて貰いたい。

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