575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

9月句会の投句があつまりました。   遅足

2009年09月14日 | Weblog
9月句会、題詠は「秋」

①連山の秋の景色に抱かれる
②秋の蚊の網戸の破(ヤ)れに留(ト)まるかな
③秋雨や傾く屋根の苔めざめ
④幻の女の秋の項かな
⑤すくえども言の葉こぼれ秋の風
⑥白雲に浮子(うき)浮き沈む秋の潮
⑦秋の蚊の昼寝邪魔する書斎かな
⑧禁断の書を出で秋の陰となる
⑨イチローの快挙の一打秋爽か
⑩朱の色の秋めくワイングラスかな
⑪秋色に染まり始めた木曽の旅
⑫泥棒市唐三彩の秋思かな
⑬秋の昼こんなところにカレーの香


自由題

①窓白みマウスを止めて虫の声
②母が来て小言並べる夜寒かな
③爽やかをつかみとらんと大背伸び
④星月夜テント一張空に浮く
⑤ノーミスで縦笛吹けた茜空
⑥秋風に吹かれ露天の長湯かな
⑦莢豌豆湯気さます間の青き空
⑧虫の声明り灯さず仕舞風呂
⑨車屋の蕎麦は蕎麦なりされど蕎麦
⑩望郷のマリア聖堂晩夏光
⑪ちちははの婚礼写真晩夏光
⑫澄みきって水に手首をにぎらるる
⑬異次元の霧の中からハイヒール


  どの句が最高点を獲得するのでしょうね?
  楽しみです。

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敬老の日またやって来てきょとんとし    朱露

2009年09月14日 | Weblog


       「きょとん」は事の意外さに驚き当惑すること。
       敬われる方としてはソラゾラしくて耐えがたい。
       敬わなければいけない側はその積りは元々ない。
       従って「敬老の日」というのは土台無理難題だ。

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秋の声やーめた。         愚足

2009年09月14日 | Weblog
 九月の句会の句作にまた苦行。
 孫は夏休みの宿題を手伝ってもらってギリギリで完成、褒められたと大喜び。
 爺も誰か助けてくれぬものか。

 今年は例年にもまして庭の虫がよく鳴く。
 追い込まれた私には「虫の声」しか耳に入らない。 
 「虫の声・・」「・・虫の声」「・・虫の声する・・・」
 もう、上・中・下 虫の声は決定。
 しかし前後左右が定まらぬ。
 
 そこに、御登場の「秋の声」
 こういう時に限って洒落た季語が使いたくなる。
 目に留まったのが「秋の声」である。
 解説に曰く。
 「生活の音、たとえば隣のキッチンで洗い物をしている音などが、きわめて明瞭にきこえてくるのは、季節でいえば秋。音に輪郭があるように感じられてくるのは、透明な秋の空気のせいなのだろう。具体的な音ばかりでなく、心の中に響いて来る秋の気配もまた、秋の声である。より深い味わいの季語である。」

 などと、書かれてあるのを読むと、もう居ても立ってもおられず、「虫の声」から「秋の声」へ鞍替え。名句は五万である。これに肩を並べるのは大変だ。

幹々の行間よりの秋の声      鷹羽狩行  
秋声と聞く風音に親しみぬ     稲畑汀子 
隠岐の浜に軽石拾ふ秋の声     松崎鉄之介    
劉生の麗子像より秋の声      吉田呉天  
ボーイズビーアンビシャス秋の声  阿部静雄  
天平の秋声こもる螺鈿琵琶     長谷川翠  
秋声を樹々の吐息と聞きにけり   吉田小幸  
湖暮れてゆく淋しさに秋の声    黒川悦    
秋声を求め日本海を航く      稲畑廣太郎    
潮の香の急行列車秋の声      関口幹雄    
波寄せて白一文字秋の声      三村禮子  
無住寺に鵜塚を訪へば秋の声    石垣幸子  
耳に寄す貝にかそけき秋の声    藤本艶野    
難聴になって聞こえる秋の声    池田優  
貝殻に耳あてて聴く秋の声     藤井圀彦  
秋の声先師の墓にぬかづけば    樺山翠
いとけなき五輪塔より秋の声    青柳志解樹

 「秋の声、やーめた」


 
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秋の夜のさみしきパンを厚く切る    遅足

2009年09月13日 | Weblog
船団の岡野泰輔ドクターの診断です。


 「秋の夜」は「秋の暮」ほどではないにしても、
まあ、賑やかよりはさみしさに傾く。
つまり「秋の夜のさみしき」は冗語に近い。
言葉の経済が問われる短詩型としては「秋の夜」か「さみしき」が余計なのだ。
といっても「さみしきパン」はなかなか魅力的な措辞、
では「秋の夜」こそが余計かというと、これがそうでもない。
季題とか季語とかという話ではなくて、
上五に置かれた「秋の夜」は俳句という結構のためには不可欠の余分、
あるいは無意味。
お座なりに置かれた「秋の夜」はそのお座なり振りが
巧妙に中七以下を統御している。
妙なところを褒めすぎでしょうか?そうかもしれない。

(褒められたのか?そうでないのか?微妙・・・)



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秋の夜の句会の酒を沁み沁みと    朱露

2009年09月13日 | Weblog


     「豊橋落語天狗連」の仲間の句会の話。
     月例で六十回になるがヤメる気配なし。
     私は進行係だが酒を飲むのが目的デス。
     年寄りが生意気言うのは嫌がられるし。

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川柳上達法    遅足

2009年09月12日 | Weblog
俳句も川柳も同じ575。
丸山さんのブログに川柳上達についての
Q&Aが載っていました。

  


Q「川柳はずばり何ですか?」
A「五七五のドラマです」

Q「ポイントはなんですか?」
A「ドラマの監督になって視聴率を上げて下さい」

Q「どうすればいいですか?」
A「発想と言葉をユニークにしてください」

Q「どうすればできますか?」
A「裸になって下さい」

Q「それがなかなか出来ないんです」
A[私も上手く出来ません。生活と川柳を分けてみてください]

  

写生とかいうことを重視する
俳句とは違ってドラマという考え方。
また。とくに視聴率をあげて下さい、
なんて答えはいかにも川柳ですね。



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戦争が終り通草の甘味かな   朱露

2009年09月12日 | Weblog

    昭和二十年夏戦争が終わったら何もない。
    米・砂糖・塩・醤油が全くなくて困った。
    通草(あけび)の実が熟すと割れて甘い。
    その他の甘味を考えても何も浮かばない。


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さしもぐさ             草女

2009年09月11日 | Weblog
今年は伊吹山に行く機会が多くあった。8合目の駐車場から西回りコースで登るのが植物観察には一番適していると思う。見下ろす斜面や、見上げる斜面にはどの時期に行っても花一杯で、まさにお花畑である。8月10日頃はシモツケソウのピンクで染められていたが、31日に行った時はオオヨモギの地味な花が風に揺れていた。
「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもいを」この百人一首に選ばれてい藤原実方の歌の「さしもぐさ」はヨモギのことで、お灸の艾はヨモギの葉の裏の綿毛から作られる。
乾燥さた葉を揉んで綿毛を取り出すのだ。それにはこのオオヨモギが最適で、伊吹艾はオオヨモギから作らる。伊吹艾はブランド品で高価。だから、現在日本で出回っている艾は、ほとんどは、中国産ばかりだそうだ。 藤 原実方の歌は百人一首に選ばれているのだから、奈良時代に中国から渡来したお灸は平安時代には貴族社会ではポピュラーなものになったようである。      やわ肌の貴族が、お灸をすえらている姿を想像するとこの和歌に恋の真実味が薄らぐし、この歌は言葉を弄んでいると思う。
また「ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あわれことしの あきもいぬめり」 藤原基俊のこの歌も百人一首にはいっている。「させもがつゆ」はさしもぐさ つまり、ヨモギの葉に宿る露のことだそうだ。
いずれにしろキク科ヨモギ属の草は食用にしても、入浴剤としてもたいへんに有用であり、とても書ききれない。私は草もちが好きだ。

  
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辞世の歌   麗

2009年09月10日 | Weblog
去年

新涼や祖母の句集を読み返す

と言う句を作りました。
その祖母が、晩年闘病生活を送ったベッドの下のメモ帳から
次のような短歌が出てきたそうです。祖母の辞世の歌となりました。
まだら惚けもあり話すことが出来なくなった祖母が作った歌です。

    病には勝てぬ定めの哀しさに子等に別れを告げる侘しさ

決して上手な歌ではないのですがなんだか胸にしみる祖母の辞世の一首でした。
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傘立ての甕(かめ)の中からちちろ鳴く   江本絵悶

2009年09月09日 | Weblog

「ちちろ」とは、コオロギの異称である。
蟋蟀の鳴き声からそう呼ぶそうだが、
そんな言葉は俳句を始めてから知った。
玄関の傘立てに使っている甕の中から
蟋蟀の鳴き声を聴いて驚いた。

   (句集「天邪鬼」より)


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句会近づく   遅足

2009年09月09日 | Weblog
先日の句会で馬場駿吉さんの句集について話題にしました。
その後、図書館で馬場さんの「耳海岸」という句集を見つけました。

  耳海岸ここ番外地桜貝

という句が、句集の題になっているそうです。
さすが、耳のお医者さんですね。
(番外地、というコトバが、詩人であるということを
どう感じているのか?分かるような気もします。)

嵐山光三郎さんと芭蕉の旧跡を歩いた時の句

  千鳥啼く海いま遠し千鳥塚

    

すっかり秋らしくなりましたが、今回の句会の題詠
「秋」の句には、こんな句があります。

 秋立てり耳音階を駈けのぼり

 ペン胸に刺さりし夢も秋の声

 石蹴りの石蹴り残す秋の暮

 酢の香漏る蔵白白と秋時雨

 秋高く何遠望す麒麟の眼

 わが指を離るる文字も夜の秋

 襲名の眦に朱や秋新た

 総立ちの嵯峨野の竹や秋高し

 秋を惜しみ人を惜しみて京にあり

 一身を言霊の巣となして秋

 指先に世世継ぎし所作秋深し

(句には旧漢字が使われており、この表記とは
違った雰囲気がありますが・・・
残念ながら旧漢字は出てきませんでした。)

  折れやすき音たてている秋の人   遅








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荻原教室報告 (9)

2009年09月08日 | Weblog
列島の東半分は秋の気配、ここらあたりは苛立たしいほどの残暑です。

最高気温の日も、ゲリラ豪雨の日も、荻原教室は欠けることなく、続いています。

受講生はみんな前向き。切り取りの優れた、新鮮な作品が生まれています。

先生の繊細な配慮、作者の個性を生かした、懇切で的確な指導によるものと、(おこまがしくも)思います。

 先生のお作 

 「長」 ・ 長い電話に倦みながらみる夕雲の本音をやっと父がきりだす

 「広」 ・ 広いものの例へに海が出るやうな国にしみじみさみしく暮らす

 「高」 ・ 降りて高さに気づく夏の夜の雨のあなたの部屋のあかりの

 「暗」 ・ 明るさのなかを暗さがおもむろに熟れながら紫陽花の咲く家

 「軽」 ・ たましいは夏雲の軽さ得てどこへ行ったかかえる気配なき午後

 「冷」 ・ 下闇にひかりしづかにもれている冷えたひかりで漱石を読む

 「暑」 ・ 大した用もないのにひとは街をゆく暑さゆるがぬ秋のはじまり

 「涼」 ・ 涼しさに含まれている淋しさの率もうここに秋は来ている

 「美」 ・ 星のひかりやその他すべてが美しくゆらめく秋の暗がりにゐる
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雁のように対の雀が窓過る    朱露

2009年09月08日 | Weblog
    
     「過る」は「よぎる」で横切ること。
     「対の雀」は夫婦かたまたまニ羽か。
     「雁行」なるものを見たことがない。
     雁行を見るには何処へいけばいいか。

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稲実り黒い農夫が畦歩く     朱露

2009年09月07日 | Weblog
     豊橋の東端多米(タメ)は稲作地帯だ。
     名古屋から此処へ住み三十年余り経つ。
     漁師町の真鶴のガキが米所に住む奇縁。
     めっきり地味で無口になって郷に従う。

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俳句の朗読        愚足

2009年09月07日 | Weblog
 最近文芸物の朗読CDの売れ行きが好調だという。
 読書嫌いの若者や、視力と根気の失せた高齢者に、また通勤中にすませたい中年層とニーズは多いようです。
 さて、俳句のCDもぼちぼち出されています。
 私が持っているのは、
 ①おくのほそ道・・朗読:幸田弘子
 ②声に出して味わう日本の名句百選・・朗読:壇ふみ
 ③聞いて楽しむ俳句(厳選200句)・・朗読:辻桃子
 ですが、夫々個性があって面白い。
①は、朗読のプロとして定評のある幸田さんがその落ち着いた深みのある声で音の細道全文を朗読して秀逸です。
②は、金子兜太編で季節と花鳥風月などのテーマで選んだものを、壇ふみが若々しい声で工夫しなが苦労して読んでいるのがほほえましい。
③は、人気の俳人、辻桃子自信の朗読、彼女の句解釈を音声に変えての朗読で素人ながらもそこそこ聞けるものになっています。

 しかし、俳句の朗読というのは実に難しいものだなあと実感させられます。
 ①の、おくのほそ道は幸田さんの朗読力もありますが、地の文との絡みで聴きやすく句の景も目に浮かぶようです。
 一方②と③はそれぞれの俳句を裸のまま二回詠み、作者を朗読するだけですから
聴き手の意識が俳句に集中し自分の解釈と違った読み方をされると違和感も多くなります。
 また、朗読者の思い入れが強く聞いているほうは疲れてしまいます。
 やはり、朗読する句と句の間に短いコメントでも入るといいのかもしれません。
 
 ところで私も恐いもの知らずで、朗読に挑戦してみました。
 手持ちのテレコに好きな俳人の句を録音してみました。
 二十句ほど入れて再生してみると、ああ無残。
 耳を覆いたくなるとはこのことです。
 カラオケの方がまだ聞けます。
 隣で妻が鼾をかいています。耳栓をつけて・・・・
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