575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

卵よ卵よどんな世にお前はどんな位置にいる     橋本夢道

2012年08月18日 | Weblog
毎朝、卵を茹でます。一個を半分に切って、妻と分ける。
パンにレタスやトマトとともに挟んで食べる。
一日に一個以上食べるとコレステロールが溜まるとか。
食卓に欠かせない食品ですが、食べすぎはいけない。

この句は、卵が貴重品だった時代のもの。
こんな句もつくっています。

  子供のとき母は卵を肺病の兄にのみ食わした

寒卵という季語には、栄養価の高い食品というニュアンスが残っています。

橋本夢道。自由律の俳人。プロレタリア俳句を目指す。
昭和16年、投獄される。
愛妻家でした。

  近頃接吻する事もない妻が子を負うて笑っている

素直な愛情が伝わってきます。     遅足


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戦争と俳人⑤    保坂加津夫

2012年08月17日 | Weblog

   兄弟の多かりし世のさつまいも

作者は、自解に、こう書いています。
戦前の軍国主義の時代、「産めよ増やせよ」と男子の出生を奨励。
十人、十二人の子供を産めば表彰された。
それを「兄弟の多かりし世の」と詠んだ。
戦争も末期になると食糧難に。戦後はさらに深刻。
闇に流れた食べ物といえば、さつまいも・じゃがいも。
私が、こうした句を詠むのは、あの時代の語り部として、
世界平和への願いからである。
作者は大正11年生まれ。平成20年に亡くなられています。

              「現代俳人像」より。

私は父から戦争の話を聞いた記憶はほとんどありません。
海軍にいった叔父さんからは数回。
乗っていた船が魚雷にやられて二つに。幸い、沈まなかった方に。
「良い奴はど早く死ぬ」と。
昭和18年生まれの私は、子供に戦争の話をしたことは全くありません。

                        遅足

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戦争と俳人④   菊池京子

2012年08月16日 | Weblog
  青蚊帳に父の潜水艦がいる   菊池京子

昭和20年7月、作者は艦砲射撃で大怪我を負います。
生死の間を彷徨うような怪我にもかかわらず、
病院での治療は受けられず、自宅治療。
8月の猛暑のなか、昼も夜も蚊帳を吊った病床に。
真夜中になると亡き父が現れました。
作者は父の名を呼びながらしがみつく。
母は、あの世から父が娘を迎えに来たと思い、
作者を抱きしめながら寝る日が続いたそうです。

作者は、青蚊帳の暗い底に父を待つ潜水艦が漂っていたと、
書いています。

作者は昭和5年生まれ。ほかにこんな句も。

 禁じられたあそびだったのか白鳥

「現代俳人像」より。
                     遅足
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老子開き呆然と聞く蝉の声     朱露

2012年08月16日 | Weblog
 中公文庫版「老子」を昨日買って読む。
 「道の道(い)うべきは常の道に非ず」
 これが上編第一章の書き出しの文章だ。
 サッパリ分からずこっちが老子になる。



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猫額の庭の木立は夏の中     朱露

2012年08月15日 | Weblog
  もちの木・コブシ・山法師の三巨頭。
  二階の窓から眺め続けて三十年経つ。
  私は変わらないが彼らは大木になる。
  明日のことは考えないようにしよう。


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戦争と俳人③ 西東三鬼

2012年08月15日 | Weblog

  国飢えたりわれも立ち見る冬の虹

敗戦の年の冬に詠んだ句。
都市はどこも焼け野原、皆飢えていました。
そこに虹が・・・作者も一緒になって見上げています。
自註に、次のように書いています。

昭和20年暮。独り、移り住んでいた神戸で作った。
敗戦のため俳句を作り発表できるようになったが
5年間、俳句で物を云わなかった私は、舌がこわばって
当分はろれつが廻らなかった。
それを矯正するための写生という方法を採った。

三鬼は、新興俳句運動に参加しましたが、
これが当局から危険思想とみなされ、昭和15年、
治安維持法の問われて逮捕、有罪となります。
執行猶予でしたが、俳句を禁じられたのです。

  寒燈の一つ一つよ国敗れ

三鬼を有罪とした治安維持法は、昭和の初めに成立。
戦後に廃止され、三鬼も、俳句を再開。以後、精力的に活動。

  おそるべき君等の乳房夏来る

  広島や卵食ふ時口ひらく

などの句を残しています。

大学時代、哲学を学んだM先生。やはり治安維持法で有罪となりました。
8月15日。特高警察の監視下にあった先生は、警察署へ。
そこでは中庭で書類を焼く煙があがっていました。
証拠隠滅を図っていたそうです。

今朝の中日に「玉音放送」を知らない高校生が圧倒的という記事。
玉音というコトバも死語でしょうね。

                        遅足

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生命は継がれて   鳥野

2012年08月14日 | Weblog
昨13日、お墓参りに行ってきました。
逝った夫はここには居ません。

生前からの話し合いのとおり、オホーツクの海に散骨してきました。

そこは知床の山並みを遠望する、以久科原生花園の砂浜。
小半日、海を眺めていても飽きることのなかった地です。

例え、夫は納まっていなくても、墓所は「生命の継承」について考える場。
彼の両親、そのまた親。曽祖父、曾祖母、その親・・・。
辿れば、限りない命に感謝です。

本堂前の広場には、盆踊りの夜を待って、櫓が華やかに建ち上がっていました。

  ・ 出番待つ踊り子草の薄化粧  鳥野
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新聞の片隅に載ったニュースから(44)    大西五郎

2012年08月13日 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(44)

    英国「五輪価値あった」55%(2012.8.1毎日新聞)

「11日付の英紙ガーディアンは、ロンドン五輪について英国民の55%が『開催費用に見
合う価値があった』と評価している、との世論調査結果を伝えた。開催前は五輪に対し
懐疑的な意見も多かったが、大きなトラブルが起きていないことや、英選手団の予想以
上の活躍が作用しているとみられる。
 今大会の開催費用は、当初計画の約3倍に当たる約93億㍀(約1兆1400億円)に上っ
たが、若い世代で肯定的評価が特に高く、35歳以下では60%以上に上った。ただ地域別
では、英国からの独立論がある北部スコットランドで肯定派と否定派が42%ずつと分かれた。」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

「ロンドンオリンピックで英国選手が予想以上の活躍をした」って知ってました?
 日本の新聞やテレビでは日本人選手やチームの活躍と「それを支えた家族(先輩)の
愛」報道が中心で、外国選手の活躍は陸上短距離のU・ボルトら有名選手や日本のチー
ムのライバルチームについての報道が主で、あまり大きく扱われませんでした。

同じ日の朝日新聞では、開催国の英国は金メダル29個で米中に次いで3位だそうです。
そう云われて13日の各紙のスポーツ欄を見てみると、最終日の決勝記録欄に、陸上男子
5000㍍①モハメド・ファラ(英)13分41秒98、1600㍍リレー⑤英国3分24秒76、水泳高
飛び込み③デーリー(英)556.95点などが、見出しや解説もなく、ただ記録として記載
されていました。

また朝日新聞は、英国は強化費4倍かけて躍進したと伝えています。英国は、金メダル
1個だった96年アトランタ五輪の1年後、宝くじの売上金をトップスポーツや文化事業
に振り向ける基金の制度を導入。08年北京、12年ロンドンの2大会に向けて計5億㍀
(625億円)の強化費を投じた。その前の2大会と比べて4倍だそうです。

 日本も選手強化の拠点としてナショナルトレーニングセンターや国立スポ^ツ科学セ
ンターを作り、ロンドンでも5億4千万円の予算を投じてマルチサポート・ハウスをつ
くりました。

 オリンピックは国別対抗戦ではなく、選手個人が力と技を競うものだと云われてきま
したが、最近は国家が「国威」を発揮する場になっています。マスコミもその風潮を煽
っているキライがあります。例えば、最終日に、男子レスリングフリースタイル66㌔級
で米満達弘選手とボクシングミドル級で村田遼太選手が共に金メダルを獲得したことを
伝える新聞の1面は、「米満 金 村田 日本メダル最多閉幕へ」(朝日)、「村田ボク
シング48年ぶり(金)米満レスリング24年ぶり メダル最多38 日本勢有終」(毎日)
「米満レスリング金 村田ミドル級V メダル最多『38』」(中日)という具合でし
た。クーベルタンさんはこれを見て何と言うでしょうか。
                                       大西 五郎
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戦争と俳人② 三橋鷹女

2012年08月13日 | Weblog
 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

戦前の女性として珍しく自己をはっきり表明した女性。
戦争については、どんな句を詠んでいたのでしょうか?
日中戦争の始まった頃。「戦火拡大す」という前書きのある句。

  曼珠沙華咲いてまつくれなゐの秋

曼珠沙華の紅に戦火のイメージが重ねられています。
心象風景を詠った鷹女らしい句です。
やがて戦死者が身近にも。「町民葬」という前書き。

  夜霧濃く戦死兵ありこの町に

太平洋戦争へ。男の子が軍関係の学校を卒業。
「我子、卒業とともに下関港より出征」とあって、

  一群の飛魚波を蹴立てゆきぬ

写生として出征を詠んでいないところが詩人なのでしょうか。

戦争が終わっても我が子は帰ってきませんでした。
そして「昭和二十一年二月四日。我子、奇跡的に生還」

  あはれ我が凍て枯れしこゑがもの云へり

ガラスのような感性の藤木清子の句とは違いますね。
寡婦と主婦という環境の違いも影響しているかも・・・
戦後、まもなくこんな句もあります。

  コスモスの戦後の花影踏むなよ君

平和への思いが伝わってきます。「反骨無頼の俳人たち」より。

                       遅足


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俳人と戦争① 藤木清子

2012年08月12日 | Weblog
  戦死せり三十二枚の歯をそろへ

戦争で死んでいった若者を詠んだ句として有名です。作者は藤木清子。
昭和11年から15年までの一時期に活躍した俳人です。
5年間を俳句でたどってみます。

  亡夫(つま)の額にひざしがぬくくとけてゐる

昭和11年に夫を亡くします。

  ひとり身に馴れてさくらが葉となれり

翌昭和12年。この年、日中戦争始まります。

  兵往けりしろき峰雲ゆるぎなく

昭和13年。

  ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ 

  管制の灯低く垂り秋燈なり

昭和14年。遺骨になって還ってくる兵が増えていきます。

  戦死者の寡婦にあらざるはさびし

  戦争と女はべつでありたくなし

昭和15年。

  壮行歌昂ぶりわれはひそやかに

  ひとすじに生きて目標をうしなへり

俳句誌「旗艦」の15年10月号に「ひとすじに」の句が、
掲載されたのを最後に消息が分からなくなったそうです。
昭和15年は、新興俳句運動が弾圧され、まもなく旗艦も廃刊になります。
研ぎ澄まされた感性の句が、今の私たちの訴えてくるものがあります。
銃後の生活は寡婦には生き難いものだったでしょう。こんな句もあります。

  縁談をことはる畳なめらかに

この後の時代をどのように生きていったのでしょうか?
生年没年も不詳だそうです。

「反骨無頼の俳人たち」より。     遅足



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秋の蝶伊良湖を出ててより不明     遅足

2012年08月11日 | Weblog
以前、伊良湖岬から海を渡っていく蝶を見ました。
印をつけられた蝶は、台湾やフィリッピンで発見されているそうです。
でも殆どは行方不明・・・
なぜ、大変な旅をするのでしょうか?

蝶といえば、原発事故の影響により「ヤマトシジミ」に異常が生じているとのこと。
これは、琉球大の研究によって判明したことです。それによれば、
昨年5月、福島県などの7市町でヤマトシジミの成虫121匹を採集。
うち12%は、羽が小さかったり、目が陥没。
これらのチョウ同士を交配した2世代目の異常率は18%に上昇。
成虫になる前に死ぬ例も。
さらに異常があったチョウのみを選んで健康なチョウと交配し
3世代目を誕生させたところ、34%に同様の異常が。
放射性物質の影響で、遺伝子に傷ができたことが原因という。

チェルノブイリの事故のあと、渡り鳥に同じような影響が
出ている、というドキュメンタリーを見ました。
渡り鳥は渡ってきた時、体重は半分に、免疫能力も極端に
落ちているために放射能に弱いということでした。

人類は核を手にいれたのですが、それがコントロールできず、
時代を一気に生命誕生当時まで逆戻りさせてしまったのでは?


   
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何処へ行く蝿一匹の処世術     朱露

2012年08月11日 | Weblog
  早朝机に座ったら小さい蝿が飛び回る。
  生まれたてだと思うが殺す積りになる。
  殺気を感じたのだろう消えてしまった。
  私らニンゲンには出来ない身の振り方。



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運不運ハンカチきつく握りしめ      えみ

2012年08月10日 | Weblog
この句の背景には、どんなドラマがあったのでしょうか?

ハンカチをめぐる悲劇といえば、シェイクスピアの「オセロー」。
ヴェニスの軍人でムーア人であるオセロは、
デズデモーナと愛し合い、デズデモーナの父の反対を押し切って駆け落ち。
オセロを嫌っているイアーゴーは、自分をさしおいて昇進したキャシオーが
デズデモーナと通じているとオセロに讒言。
真実味を増すために、イアーゴーは、オセロがデズデモーナに送った
ハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置く・・・・。
戦場では冷静なオセローも、恋の感情には盲目。

人生に運、不運はつきものですが、出来れば幸運のハンカチが良いですね。
しあわせの黄色いハンカチのように。
                          遅足


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ハンカチや女もすなる涙拭く    朱露

2012年08月09日 | Weblog
「男もすなる日記というもの、女もしてみんとて・・・」
紀貫之の土佐日記をパクッテ、と作者。

男だって泣きます。平安時代の貴族はすぐに袖をぬぐったそうです。
現代の男も、先祖がえりで、軍国日本の時よりは泣くようになったとか。
平和の続いたおかげでしょうか。
絹のハンカチでなくとも、ハンカチは必需品です。
夏はタオル・ハンカチが活躍します。

女性は、何枚のハンカチを持っているのでしょうか?
昔、フランスでは、ある貴族の夫人が亡くなったとき、
一万八千枚のハンカチーフが残されたそうです。
当時、ハンカチは、贈り物や愛の小道具としても用いられ、
宮廷の婦人たちは、刺繍の美しさを競い合いました。
その家柄にふさわしい柄をと、競いあったわけです。

それまでイタリアからの輸入に頼っていたハンカチ。
おかげで、自国での生産も活発となり、遂には輸出するまでに。
国力の増強にも役立ったとのこと。
ハンカチ恐るべしです。

                      遅足


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ハンカチでレンズを拭いさあ本番    能登

2012年08月08日 | Weblog
ハンカチは意識することがほとんどなかったので苦労しました、と作者。
さあ、本番、という決意が嬉しい、と麗子さん。

「本番5秒前」というアシスタント・ディレクターの声。
緊張感はとても大切。「本番!」という声には、
スタッフ全員を緊張させる力がないといけません。

生放送は晴天ばかりではありません。時々、雨に見舞われます。
スタッフのなかには雨男と呼ばれる人がいます。
集団のなかには、こういう人が、必ず生まれるようです
周囲の事態によって、時には司祭となり、時には、犠牲者にも。
おっと話が横道にそれてしまいました。

カメラマンは濡れたカメラのレンズをきれいに拭います。
テレビカメラに映るような雨はかなり激しく降っています。
カメラマンはレンズを気にしながらの仕事。
レンズを大切にするということは、仕事を大切にすること。
仕事を大切にすることは、視聴者を大切にすることです。


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