575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

美しき林檎がイブを選びし日    遅足

2016年11月15日 | Weblog
類想から抜け出すには、主語と目的語を入れ替える
という方法があるとご紹介したことがあります。
イブが林檎を選ぶ、という表現が普通ですが、
林檎がイブを選んだとしてみました。

人間は動物や植物のを品種改良をしてきました。
自分たちに役立つように、と。
立場を逆転して考えると、動植物が人間を選んだのかも・・・
林檎は人間を選んだ結果、世界中に勢力を広げています。

林檎は智恵の象徴。これを食べたイブとアダムは天国を追放されました。
この二つのお話をヒントにつくった句です。

原発事故。現代の人類が生みだした惨禍。
人ばかりでなくすべての命を傷つけ、殺してしまう原子力。
これもイブが智恵の林檎を食べた結果でしょうか?
美しいリンゴにはとんでもない副作用があったようです。

写真は箱根へ行った時の富士山。
帰る日になって姿を見せてくれました。




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禁断の林檎をかじり星落ちる    狗子

2016年11月14日 | Weblog
禁断の林檎、といえばアダムとイブの天国追放か?
しかし下五の星落ちる、は、どういう繋がりでしょう?

なんと、リンゴは「アップル」で、アメリカのIT企業を。
星は「三星」で韓国のIT企業「サムスン電子」の比喩とのこと。
発売したばかりのスマートフォンに発火・爆発の危険。
世界各国で販売中止やリコールする事態に陥っている韓国サムスン電子。
新製品の開発競争の激化が安全を軽視する結果になっているのでは?

               

アメリカと韓国。ともに政治に大きな変化が起きています。
人種差別を公言しているトランプさんを大統領に選んだアメリカ国民。
韓国ではパク・クネ大統領退陣を要求する大規模なデモ。
アメリカ国民は人種差別という禁断の林檎に手を出したのでしょうか?

                           遅足

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嵐あと林檎累々地に還る    能登

2016年11月13日 | Weblog
台風一過。青空の下、沢山のリンゴが落ちています。
丹精こめて育てて来た農家の方の気持ちはいかばかりでしょう。

累々とは、同じようなものが積もったり、折り重なっている
様子を表現する言葉。よく使われる熟語に死屍累々があります。
死屍は死体の事。死体が積み重なった様を指しています。

林檎が地に落ちている様子を、累々と捉えてところが秀逸です。
上五の「嵐あと」が少し説明になっている感じもしますが、

  累々と大地に還る林檎かな

これでは状況が分からなくなります。
どうしたら良いのでしょうか?    遅足
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「六根清浄 お山は晴天」~巡礼の道~ 竹中敬一

2016年11月11日 | Weblog
40年前、ドキュメンタリー「木曽の四季」を制作しました。
その取材で、御嶽山へ登ったのですが、当時、山頂を目指すのは、
圧倒的に六根清浄を唱えながら杖を手にした白装束の人たち。
山頂の御嶽神社奥社への登拝が目的でした。

御嶽神社の神官、武居家に残る室町時代の資料によると、
御嶽登拝は百日精進などの重潔斎をした者だけが、
年に一回6月14日に許される習わしだったそうです。

それが、江戸時代になって、春日井出身の覚明行者が黒沢口から、
武蔵の普寛行者が王滝口からのそれぞれルートを開き、以後、
御嶽講が組織されて、全国的に信者が広がっていきます。

私の住む日進市には、岩崎御嶽山があります。
尾張地方に御嶽講が結成されるようになったのは、1800年代初めのことで、
その拠点となったのが、岩崎御嶽山です。(日進市史)

米野木地区に伝わる御嶽詣でに関する資料が残っています。(日進町誌)
明治19年 (1886 )、村の戸長に提出した「旅行御届」というもので、
差出人は米野木地区四ヶ村の農民。(意訳します)

「右の者、今般、長野県下信濃国の御嶽神社へ志願につき、
参拝の仕度をしております。
本日、出発して、同11日まで、日数は10日間です。
旅行受け人とも連署をもって、この段、御届け申し上げる次第です。

      明治19年9月2日 武田市五郎 加藤栄重 (旅行受け人)

四ヶ村 戸長 武田弘 殿」

御嶽詣でだけではなく、伊勢神宮や善光寺へ行く時にも、村の責任者に
旅行日程を提出するよう義務づけられていたようです。

先達以下、村の代表10数名は、今の国道19号線、下 (した)街道
(江戸から中山道と名古屋城下を結んだ脇街道 )を歩いて、春日井に入ります。

郷土誌「かすがい」によると、「春日井では新しいワラジにはきかえて、
内津峠 (うつつとうげ )で昼飯、釜戸か大井で一泊。木曽谷でもう一泊、
御嶽山に近い村で更に一泊して4日目から頂上を目指した」とあります。

明治43年 (1910)中央線が木曽福島まで開通すると、下街道からの
御嶽詣での人たちの姿は消えていきました。

御嶽山の麓には、夥しい数の霊神碑がありますが、御嶽山五合目には米野木地区の
霊神場があり、今でも夏場、信者が20人位が参拝に訪れているそうです。

専門機関の調べでは、御嶽山は2万年前までに、何回か大噴火を起こしており、
ある時は火山灰や軽石 (テフラ)が関東地方にまで降っています。
また、大規模な山体崩壊で、土砂が王滝川、木曽川流域を埋め尽くして、
下流の愛知県犬山市に、その泥流の堆積物が残されているということです。

精進潔斎した者だけが年に一回だけ、御嶽山への登拝を許されるという厳しい掟は、
遠い遠い昔からの言い伝えをもとにしたものとも考えられ、今の私たちに
何か警告のシグナルを送っているように思われます。

               

写真は、画用紙にペンで描いた作品。「狛犬」です。(縦10cm X15cm)
作者は、敬一さんの息子さん。竹中健さんです。
               

(ちょっと箱根へ行ってきます。遅足)


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母の一日一句   麗

2016年11月10日 | Weblog
法事で大阪に帰省中。
母の日記を読むと、この頃一日一句を作ってそれを書き留めているようです。二月生まれの母の俳号は如月。
俳句のような川柳のような575です。

陽が落ちて茜に染まる白い道

おままごと遊んだふるさと遠くなる

ホームから帰れば美知代に迎えられ

これは、母がデイサービスに行っている間に私が帰省し、玄関先で迎えた時のことを詠んだもの。日記とともに最後に書かれていました。

年取ればこの哀しさはつきまとう  如月

がんばれ!おかあさん。
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11月句会が近づいてきました。  遅足

2016年11月09日 | Weblog
今回の題詠は「鳥渡る」です。

秋になると日本へやってくる鳥。代表的な鳥は鴨。
先日、北風の強く吹いた日、名古屋城のお堀を散歩。
もう鴨の姿がありました。第一陣でしょうか。
この他、ツグミ、ヒワ、ヒヨドリなどの小鳥もわたってきます。
これは「小鳥来る」と言います。

芭蕉の句。

  鷹一つ見つけてうれし伊良湖

これは伊良湖岬に集まって南にわたるサシバを詠んだもの。
伊良湖に流罪になった杜国のことを詠んだ句と言われています。
冬にあたたかい南へ渡ってゆく鳥も渡り鳥。
「鷹渡る」という季語もあります。

また自由題は「葱」を詠んで下さってもOKです。

            

青空。北風が冷たい。
朝早い保健委員の仕事もちょっとつらくなる季節です。

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夢に見る下宿のおやつ焼き林檎   立雄

2016年11月08日 | Weblog
どうも林檎の味がイマイチ。こんなときは「焼きりんご」に。
固くて酸っぱいりんごが、甘いりんごに早変わりするそうです。

立雄さんは尾道の高校を卒業して東京の大学に。
法科を2年、経済を2年勉強したそうです。
大学が紹介してくれた下宿。お屋敷だった広い家でした。
離れが学生の下宿に。
おばさんがおやつに出してくれたのが焼き林檎。
甘くて美味しかったそうです。
林檎という題詠で、記憶の底に眠っていた焼き林檎が目覚めました。

レシピを見ると、焼き林檎は、芯をくり抜いて
砂糖やバターを詰め込み、焼き上げるとあります。
句の焼き林檎には砂糖もバターも入っていませんでしたが、
それでも夢に見るほど甘かったのです。

            

りんごの皮にはポリフェノールという成分が含まれており、
これには便秘改善効果もあるといわれています。
焼きりんごにすることで、この成分を吸収しやすくなるとか。
私も、毎朝、リンゴ4分の1を皮付きのままで食べています。

                       遅足

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推敲のチエックポイント・4 ~5・7・5の定形になっているか~(等) 

2016年11月07日 | Weblog
俳句は難しい言葉を使って、特別なことを詠む必要はありません。私たちが普段見慣れていることから、何か発見があったり新しいことに気づいたら、それを5・7・5の形に乗せて句にすれば良い・・・、と言われています。
私ごとで恐縮ですが、女房が最近「座骨神経痛」になって旅行などに出難くなり、句材にも不自由になりました。やむを得ず私の近辺にあるもの、起こったものを詠むことが多くなりましたが、これによって私の新しい俳句の道が開けたように思っています。

さて元へ戻って、だから俳句は不自由なようで自由なので、決め事は①5・7・5のリズムに乗せる②季語を一つ入れる③出来れば”切れ”を入れるの3つだけです。

私は先日NHKの句会で「栗を焼く大きな栗の木の下に」という句を出しまし、先生をはじめ何人かが採ってくれました。ある人は”歌も俳句になるのだ”と驚いていましたが、この5・7・5の形は、日本語の詩歌の長い歴史の末にたどり着いた、極限の美しい韻律だそうで、歌や標語、CMなどにもコノリズムが多用されています。
「右左見て車は急に止まれない」とか、CBCの社歌「光あふれる東海の文化の花の・・・」など、日本人の体のDNAに織り込まれているのです。

でも最近は”字余り”の句が往々にして見られ、
 「この樹登らば(7)鬼女となるべし(7)夕紅葉(5)」
 「花衣(5)ぬぐや纏わる(7)紐いろいろ(6)」
などの名句は5・7・5のリズムになっていませんが、”中7”はキチンと守っています。つまり中7は句の要で、”字余り”はだらしない印象になるからです。

場合によっては、”上5、下5を字余りにすることで効果が出る”という人もいますが、我々初心者にとってはやはり基本をり、”どうしても”という時は、勇気を持って字余りにすることが大切でしょう。 
                                     (等)
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林檎剥く色変わる間の記憶かな   すみ

2016年11月06日 | Weblog
認知症の義母さん。林檎を剥いてあげながら世間話を。
おや?さっき話していたことを、また繰返しているのでは?
記憶の続く時間がとても短いことに気付きました。
昔のことは忘れないのに、さっきのコトは覚えていないのです。
小さな悲しい驚きです。

この句、お母さんのことと分かると良いと思い・・・

  林檎剥く母の記憶の色錆びる

としてみましたが、言葉に無理を強いているようです。
はやり最初の句が良いと思います。

          

歌人の小島ゆかりさんも同じことを詠っています。

  10分も記憶つづかぬ姑(はは)の日々 泥の日向のやうに明るし

泥の日向のやうに明るし、と温かく受け止めています。  遅足
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嗅ぎわけて林檎にせまる象の鼻   亜子

2016年11月05日 | Weblog
林檎と象の鼻。映像がきっちり浮かんできます。
嗅覚から林檎を詠むという着眼点もユニーク。
最高点にふさわしい句です。

動物園の象の食事は、牧草、リンゴ、ニンジン、さつまいもなど。
長い鼻が、まず林檎へを選びました。
「せまる」という表現が秀逸ですね。
一番おいしそうな匂いもするのでしょう。

象は、鯨を除けば地球上で最大の動物でしょう。
巨体を維持するために食事の量も並ではありません。
一日に150キロ。水は100リットル以上が必要とか。
もちろんウンチの重さも。一日250キロの記録も。

           

ウンチといえば、穗村弘さんにこんな歌があります。

  サバンナの象のうんこよ聞いてくれ
            だるいせつないこわいさみしい

誰もいないサバンナ。生きものの気配といえば象のうんこだけ。
主人公はうんこに語りかけずにはいられない。
だるい。せつない。こわい。さみしい・・・、と。
東京サバンナに棲む人のこころでもあるのでしょうか。
切ない風のふいている歌です。

                    遅足
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「木曽の四季」~この風を持って帰りたい~ 竹中敬一

2016年11月04日 | Weblog
私は昭和49年 (1974) にドキュメンタリー「木曽の四季」を制作しました。
(昭和50年度の芸術祭優秀賞を受賞した思い出深い作品です)

およそ40年前、それは高度成長の末期でした。
山深い木曽も開発の波に呑み込まれようとしていました。
霊山、御嶽山の麓もスキー場やゴルフ場など観光開発が進んでおり、
変わり行く木曽の有様を、四季を通じてカメラで追いました。

テーマは「別れ」。取材した一年だけで、木曽馬がいなくなりました。
森林鉄道の廃止、廃村も相次ぎました。滅びいくものへのリクェイムとして、
「これで、いいのだろうか」と静かに訴えた作品です。

この番組の取材で何回か御嶽山にも登りました。
当時、山頂を目指すのは多くが白装束の御嶽信仰の人たちでした。

あれから40年余、木曽はどう変わったでしょうか。
御嶽山は、気軽に登れる山として、観光客で賑わうようになりましたが、
昭和54年には、有史以来、初めて噴火しました。
続いて、昭和59年の長野県西部地震では御嶽山が大崩壊、
そして平成26年には又、噴火して多くの死傷者を出しました。

御嶽山の麓にある王滝村の人口は昭和50年2039人だったのが、
平成26年の御嶽山噴火後は、859人になっています。(国勢調査による)

「おんたけスキー場」は、牧尾ダムの補償金をもとに、昭和36年に造られました。
しかし、王滝村は年々、疲弊して行くばかりで、借金返済の重みで
村の財政は、平成20年頃には全国ワースト1となってしまいました。
村営の「 おんたけスキー場 」の債務が、村の財政を大きく圧迫していたようです。
その後、スキー場は民間の企業に、また村営に、今は別の企業の委託運営となっています。
「木曽の四季」の取材では、王滝村役場の人たちに大変お世話になっただけに心が痛みます。

村では、現在、木曽馬や森林鉄道の復活が試みられているようです。
40年前、「これで、いいのだろうか」と、静かに訴えたことが、
今、改めて間違いではなかったように思い出されるのです。

            

「ああ、この風を持って帰りたい・・・」
離村した女性が、今は無人となった家を訪れた時、思わずもらした一言。
けがれのない風が、テレビの前の私のなかを吹き抜けていきました。(遅足)


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秋晴れ    麗

2016年11月03日 | Weblog
今日は文化の日。晴れの特異日らしく今年もきっぱりと晴れましたね。

先日、初めて愛知牧場を訪れました。一面のコスモス畑が満開で、秋風に揺れて本当にきれいでした。100円でコスモス畑の迷路に入れます。
風の強い日だったので一斉にコスモスが同じ方向に揺れるのはまさに透明の風の形が目に見える風景でした。
遠くの野外の教会の大きな十字架もそびえてここはどこ?北海道?という新鮮な気持ちに。
折りしもハロウィーンの近くだったので山羊に仮装をさせたり、大きなカボチャの重さを当てるクイズがあったりとなかなか楽しい牧場でした。
おみやげにおいしい牛乳とソーセージを買って帰りました。
秋の一日、お出かけになってみてはいかがでしょう?

            一面のコスモス畑風を見る  麗
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賢治哭く苹果(りんご)の頬のいもうとに   佐保子

2016年11月02日 | Weblog
宮沢賢治が妹との別れに際してつくった詩「無声慟哭」

  こんなにみんなにみまもられながら

  おまへはまだここでくるしまなければならないか

で始まります。句に引用されたのは、この部分です。

  ほんたうにさうだ

  髪だつていつそうくろいし

  まるでこどもの苹果りんごの頬だ

  どうかきれいな頬をして

  あたらしく天にうまれてくれ


死んでゆく妹に、新しい天でも林檎のようなきれいな頬をして・・・、
と詠う賢治。最愛の妹を失う悲しさが伝わってきます。

「苹果」という表記は珍しいと思います。
「林檎」と「苹果」では意味の違いがあるのでしょうか?
中国では、古く西洋から伝わったリンゴを「苹果」と記し、
中国原産のものを「林檎」と表記してきたそうです。

これにならって、日本でも「林檎」は小粒の古くからのリンゴを、
西洋リンゴを「苹果」と書き表しているようです。

          

昨日は北風の冷たい一日でした。名古屋城のお堀にも鴨の姿が。
「鳥渡る」の季節を実感しました。
                    遅足





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林檎剥く希望つなげて明日を剥く   郁子

2016年11月01日 | Weblog
林檎の皮を切らぬよう長く剥く。
豊橋の小学校でしたか、そんな競争がテレビで紹介されていました。
ナイフを持たなくなった子供たちに刃物の使い方を学ばせるためとか。
今も行われているんかな?

そういえば、鉛筆削りも昔は小刀でした。

  鉛筆の芯尖らせて今朝の秋  亜子

この句は当然、小刀。と思ったら鉛筆削り器という方も。

希望つなげて明日を剥く。皮を切らずにつなげていくこと。
それを希望繋げて、と自分の気持ちに重ねたのでしょうか。

  明日へと希望つなげて剥く林檎

という意味と読みました。  遅足
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