続 病院で死ぬということ―そして今、僕はホスピスに文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
■出版社/著者からの内容紹介■
日本人の90%が病院で死ぬ。
年間24万人がガンによる死である。
なのに、末期医療のなんと粗末なことか。
これが“日本で死ぬということ”なのか!?―医師のこの痛切な反省が、日本にホスピスの理念をもたらした。
これは、本当に人間らしく死を迎えるにはどうしたらいいかを考えつめた医師の愛と願望の書。
【読んだ理由】
題名にひかれて。
【印象に残った一行】
『病院では,命にかかわることのない小さな切り傷でも、今血を流している外来患者のほうが、三日後には死んで行くかもしれないが今死んでいくわけではない患者よりも優先されるのだ。
たとえば、その死を目前にした患者が、僕に何か言おうとしていることがわかったため、その部屋に行こうとしたときに、どんな軽傷でも外来に患者が来れば、僕は外来に行かなければならない。
結果として、その末期患者のところへはいけなくなったこともある。しかし、次の日には、その末期患者は意識がなくなっているかもしれないのだ。
多くの末期ガン患者が,人間らしいおだやかな時間や環境の中で、偽りの説明やむなしい希望にすがりながら時を過ごし、結果として裏切られるようにして死んでいく。』
『相手は「病気」ではなく「病人」であり、病気を治すのではなく、病人を治すことが,安らかに死を迎えることにもなる。』
【コメント】
私は今日(6月4日)まで20,371日生きてきたが、近いか遠いかは別としてそのXディが事前にわかったときにその日をどういう環境のなかでどう迎えるかを考えることは、とりもなおさず今をどう生きるかの問題にほかならない。
病院では死を迎えた患者の尊厳よりも病院の論理が常に優先されるということだ。
そういえば最近は様をつけて名前を呼ばれるが、お金を支払うお客様である患者は粗末な丸椅子に座らせられ、先生は豪華な椅子に座っておられますな。
「夜間や休日の急病時」