京都二十四節気 その十四 処署
暑さが峠を越えて 後退し始める頃 新暦八月二十三日~九月六日(頃)
野分(処暑の自然)

立秋が過ぎ、猛暑が一段落すると、台風がやってきます。「台風」という言葉は明治以降に使われ始めた言葉で、それまでは「野分(のわき)」と呼ばれていました。野の草を分けるほど強い風、という意味です。『枕草子』には、<野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ>と、台風一過の清々しい様子が記されています。野分が去ると、「風見舞い」といって、人々は親しい人の安否を気遣い、家を訪問しました。日本には数々の「見舞う」風習がありますが、人生にも嵐が吹くことを知っていたからこそ、励まし、慰め合って生きていたのかもしれません。 地蔵盆(処暑の暮らし)

コンセプト
四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。
日本人は、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分け見つめてきました。
私たち日本人が使ってきた旧暦の中では二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありました。
それと同時に、永遠にめぐる四季の中で移ろい変わっていくものと、その変化の裏にある不変のものを感じとってきたのです。
新しいものがあふれていく現代社会のなかで古くから日本にある伝統を見つめなおすことそれは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。
ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさとそれとともにある大切な文化を伝えていきたいと思います。
その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくるこの国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢える誇りとよろこびを共にしていきたいと思います。