日本男道記

ある日本男子の生き様

42:駿州大野新田(View from Ohno Shinden in Suruga Province)

2011年08月28日 | 富岳三十六景

42:駿州大野新田(View from Ohno Shinden in Suruga Province)
東海道の原と吉原の間で、「浮島ケ原」といって沼地あり、芦がしげり風情のあるところとして古来歌枕にもなっている。
その芦を刈った農夫たちが、夕やけの富士を背にして家路についている。
5頭の芦をつんだ馬と 芦を背にした農婦が2人、これら人馬の描写が細密である。
ここらは富士が真正面である。白鷺が沼の上を飛んでいく。芦のしげる湿地帯を描いてその情緒がよく出て いる。

富岳三十六景
「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いている。
初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。[1]版元は永寿堂西村屋与八。
発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。また西洋画法を取りいれ、遠近法が活用されている事、当時流行していた“ベロ藍”ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える。
「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。
日本のみならず、ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。
当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Daily Vocabulary(2011/08/28)

2011年08月28日 | Daily Vocabulary
11646.sock away(お金をためる)
They socked away enough savings.
11647.be in for a rude shock(突然の激しいショックを受ける、厳しい現実を思いしらされる)
They are in for a rude shock when they decide to call it a day and leave the working world.
11648.boil down to(結局は~である、つまり~ということになる)
I guess it boils down to doing some financial planning.
11649.pay off(うまくいく、利益をもたらす、割に合う)
It is an investment that pay off over the long haul.
11650.figure out(~を計算する、答えなどを見つけ出す)
The first thing you need to do is to figure out how much money you'll need each year after you stop working.
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西国三十三ヶ所 第二十九番青葉山松尾寺/京都府舞鶴市(2011/03/07)



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