阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

映画「ぼけますから、よろしくお願いします」  どうも見逃せない映画のようだ。

2019年03月07日 | 音楽・絵画・映画・文芸

認知症の老老介護を撮り続けた娘が、「両親は被写体として魅力的だな」と感じた理由

『ぼけますから、よろしくお願いします』が奇跡のドキュメンタリーになるまで

「包丁持ってきてくれ! 死にたい、邪魔になるけん、死にたい!」

 髪を振り乱し、泣きながら87歳の妻が叫ぶ。その言葉に対し、95歳の夫は「ばかたれ! 何をぬかすんか!」と怒鳴る。認知症を患った妻を、献身的に支えてきた夫。この老夫婦の壮絶な修羅場を撮影しているのは、実の娘である。

「これこそ、映画にすべきだ」

『ぼけますから、よろしくお願いします。』

 広島県呉市に住む、どこにでもありそうな家族の日々を記録したドキュメンタリー映画が、異例のヒットを続けている。2018年11月に都内1館でスタートしたこの映画は、2019年2月末現在で全国70館を超える劇場での上映が決定している。観客動員数は、1万人を超えれば大ヒットというドキュメンタリー映画にもかかわらず、すでに7万人を超えた。

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「現代の死に方」というアイルランド人の医者が書いた本を読んでいます。

2019年03月07日 | 乱読は楽しい

一部引用・・・私はなぜ今日の急性期病院では良い死に方ができにくくなっているのかについて説明し、総合病院とホスピスでの経験を対比してみたい。
「隠された死」に至る歴史的、社会的要因を調べ、なぜ現代人は臆病で死と終末を直視できないのか調べたい──故キーラン・スウィーニーが
「勇敢であることへの躊躇い」と呼んだことだ。現代医学の多くは過剰と不正直の文化に特徴があり、この文化は終末を迎えた人間のためにならない。


◎このアイルランド人の医者が書いた翻訳本を読みだしたら、一般論ではなく個別の実際の死のケースが次々書いてあり、途中で止められず
半分の100ページほど一気に読んでしまった。
欧米でも社会状況がどんどん変わり、人の死が本人の希望通りにならなくなっていることがわかってくる。
 作者の医者の現実に対する誠実さがこちらに伝わってくる。

内容紹介
医師として長年患者の死に立ち会ってきた著者が、今日の人の死の有り様への懐疑を訴え、そこに集約されている医療問題、倫理・社会問題、道徳観、死生観、哲学、歴史的考察を通じて何を正すべきか、家族や親しい人の「死」をどう受け止め、また、自分の死とどう向き合うべきかを問いかける。

実に正直で人間味あふれる本であり、挑発的だが、とても重要だ。(ガーディアン評)
本書の核心は、過度の終末期医療である。医療の中心的役割を患者への慰めと救いに求め、それが死の床にある患者のためになると説く。(パブリッシャーズ・ウィークリー評)
内容(「BOOK」データベースより)
人生の最期から見た生き方。最前線で治療に携わってきた医師が、技術一辺倒に陥り、サービス産業化する現代医療に危機感を募らせる。著者は「生と死」の現実と哲学に寄り添い、人間存在の弱さと、苦難を乗り越える勇気を読者に問いかける。

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