船内は何階建てものビルのようなものだから一度甲板で一休みした。
消防艇が訓練?しているのが遠くに見えた
一休みして下舷の三等船室の方に降りた。船の等級などの用語はそのまま空を飛ぶ船ー飛行機にも共通語として使われている。
キャプテンもフィーストクラスもギャレーも。
三等船室やギャレー(厨房)は窓のない舷側から下の機関室に近い階にある。若い時に新居浜への出張で神戸の青木(おうぎ)
から高松まで加藤汽船の夜行便に何度乗ったかわからないが、あの雑魚寝の三等船室はやはり窓のない世界だった。
さすがに氷川丸の三等船室は寝台の相部屋だった。
三等船室やギャレー(厨房)は窓のない舷側から下の機関室に近い階にある。
機関室に降りた。航海中はこの空間の中で24時間を過ごした人たちがいて、船はアメリカや欧州まで動いた。
子供たちの見学者も楽しそうにレバーを触ってみたりしていた。
人の暮らす都会の上下水道から発電から全てのユーティリティが船腹にきちんと収められて動いてこそ、長期のクルージング
は成り立つんだと実感した。いくらITの時代になってもこのハードウェアの世界の技術が衰亡すると人間社会は困るはずだ。
長い航海の運航のためにメンテに練達のマルチ職人技術者が船員として乗船していたのだろう。
なお、船の心臓にあたる内燃機関はコペンハーゲンのバーマイスター・アンド・ウェイン造船所の製品だった。
氷川丸は貨客船として設計されたので、輸出用の絹製品を格納する空間などもあった。
この船に乗られた皇族方やチャップリンさんやアインシュタイン博士、宝塚歌劇団アメリカ公演団の生徒はんなどの
乗船時の写真が多数掲示されていました。