椎名誠という人とは現役時代毎週会っていた。つまり週刊文春に彼は1990年から23年にわたって「風まかせ赤マント」という
連載エッセイを書いていたのを当時は毎週仕事で一回は乗る新幹線の車中で欠かさず読んでいた。この連載は通算1126回になったそうだ。
椎名誠の存在は「本の雑誌」が発刊されて彼が発行人や編集長をしているころからだから週刊文春以前から知っていた。
彼は自分とは全く違うタイプで違う人生を歩いている人と思い、最初から憧れた。もし彼と同じクラスになっていたとしても、
自分は彼の眼の端にも止まらない文弱の徒だという思いは今も変わらない。
彼はなにせ今も毎日スクワット300回、腕立て伏せ200回、腹筋100回をやり大酒を毎日飲みながら、体脂肪率7.1%の人間だ。
椎名誠のこの小説はある意味生まれてから少年時代までの彼の自伝だが、当然家族の物語(Narrative)でもある。
小学校5年生の時に亡くなった父親は公認会計士で神田岩本町に事務所を持ち大型バイクを足代わりに使い、二人の妻との間に9人の子を残した。
生家は世田谷の500坪のお屋敷で4歳の時に父親の仕事に何かが起こり千葉県の酒々井に移る。一年で幕張に転居して彼は高校までそこで育つ。
「振り返ると、人が家族揃って賑やかに夕食を食べる期間は人生の中でほんとうに短いんだと気が付いた」という表現が数回でてくる。
同じ両親から生まれても、兄弟姉妹は各人が持って生まれた遺伝子の組み合わせの結果で、それぞれが他人と言っても言い過ぎではないともこの本を読んで思った。
椎名さん、持って生まれた動物生命力や集団社会生命力を、周囲の沢山の人との付き合いの中で育てて、自由に生きてこられた理由の一端がわかりました。
若い時の喧嘩のせいで痛めた目はその後どうですか? いずれにせよ本人はどう思うか知らないが、昭和19年生まれの椎名誠のほぼ同時代人の自分としては
これからも悔いのない人生を送ってくださいと言いたい。
彼の連載が終わると週刊文春を読む楽しみがなくなり、週刊文春も今はネットのDマガジンで時々読むだけになった。
図書館から予約していた絵本の準備が出来たとメールがきた。返却の本も三冊持って図書館に行ったがトートバッグが軽いので開架式のラックの中に入り
ぶらぶら見ていくと「し」の箇所に苗字が「し」から始まる多数の作家の本が並び 椎名誠の本も5冊並んでいた。その中に出版されたことを知らなかった
この本があるのに気が付きすぐ借り出した。
真っ直ぐに帰らず、本の森の中をぶらぶら散策したおかげで嬉しい出会いがあった。
⇒椎名誠「家族のあしあと」発刊インタビュー