阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「新刊エッセー」 猫を捨てる 村上春樹     村上春樹がはじめて綴った父親のこと、幼いころの記憶

2020年04月24日 | 音楽・絵画・映画・文芸

一部引用・・・ 〈我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか。

/言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。

固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。

一滴の雨水の歴史があり、それを“受け継いでいく”という一滴の雨水の責務がある。

我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い

集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが“集合的な何かに置き換えられていくからこそ”、と。〉

村上春樹がはじめて綴った父親のこと、幼いころの記憶――『猫を棄てる』冒頭を特別公開  引用元

父親に関して覚えていること。

 もちろん父に関して覚えていることはたくさんある。なにしろこの世に生を受けてから、十八歳になって家を離れるまで親子として、それほど広くもない家の中で、ひとつ屋根の下で、当然のこととして毎日起居を共にしていたのだから。僕と父の間には――おそらく世の中のたいていの親子関係がそうであるように――楽しいこともあれば、それほど愉快ではないこともあった。でも今でもいちばんありありと僕の脳裏に蘇ってくるのは、なぜかそのどちらでもない、とても平凡な日常のありふれた光景だ。
 たとえばこんなことがあった。
 我々が夙川(しゅくがわ/兵庫県西宮市)の家に住んでいる頃、海辺に一匹の猫を棄てに行ったことがある。子猫ではなく、もう大きくなった雌猫だった。どうしてそんな大きな猫を棄てに行ったりしたのか、よく覚えていない。我々が住んでいたのは庭のある一軒家だったし、猫を飼うくらいのスペースはじゅうぶんあったからだ。あるいはうちにいついた野良猫のお腹が大きくなってきて、その子供の面倒まではみられないと親は考えたのかもしれない。でもそのあたりの記憶は定かではない。いずれにせよ当時は、猫を棄てたりすることは、今に比べればわりに当たり前の出来事であり、とくに世間からうしろ指を差されるような行為ではなかった。猫にわざわざ避妊手術を受けさせるなんて、誰も思いつかないような時代だったから。僕はまだ小学校の低学年だったと思う。おそらく昭和30年代の初めだったろう。うちの近くには、戦争中に米軍の爆撃を受けて廃墟になったままの銀行の建物がまだ残されていた。まだ戦争の爪痕が残っていた時代だ。


次のページ  父と僕はある夏の午後、海岸にその雌猫を棄てに行った

 

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荒川の河川敷沿いの遊歩道を上流にずっと歩いてみた。     東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅まで歩いて電車に乗った   その2

2020年04月24日 | 身辺あれこれ

2020-04-21東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅を通過する特急   動画

まさか自分があの「鐘紡」の発祥の地の地名である「鐘ヶ淵」の名の駅に来る日があるとは思いもしなかった。

人間には、動いていると予想もしなかったことが起こるもんだとまたまた思った(笑)。

友人の一人が鐘紡に就職し 新入社員時 防府市の工場に配属されたこともある。

 Wikipediaから一部引用:

明治20年(1887年)に東京府南葛飾郡隅田村の通称・鐘ヶ淵(現・東京都墨田区墨田。墨堤通り沿い)に東京綿商社として創立され、初代頭取には三越得右衛門が就任した。

紡績会社として創業した企業であった。紡績工場は1889年に完成した[3]。戦前、繊維産業はかつての鉄鋼・現在の自動車に匹敵する基幹産業であり、

武藤山治が支配人・社長をつとめた明治から昭和初期にかけて、国内企業売上高1位を誇り隆盛を極めた[3]。

また、鐘淵デイゼル工業(現・UDトラックス)や茨木自動車(現在の近鉄バスの一部)などの異業種も傘下におさめていた。

なお「鐘ヶ淵」の通称は、東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅の駅名としてその名を残している

0423  エクササイズ フルセット 腕立て伏せは 初めて12回達成

 

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100分de名著  般若心経 1/4 「最強の262文字」   動画

2020年04月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

100分de名著  般若心経 1/4 「最強の262文字」

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NHKスペシャル』より『モーニングショー』が信頼できる?岡田晴恵教授と玉川徹が国の専門家会議に注文した件(水島宏明) - Y!ニュース

2020年04月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事
一部引用・・・ 緊急事態で私たちの行動がさらに次の状況に影響しかねないときは、権威ある専門家の言うことには異を唱えにくい。
 だが、どんな緊急事態であっても、あるいは緊急事態であるからこそ、権威がある人たちが言ったことでも他の専門家から見て「?」という点があるときは、そうした点もきちんと指摘することが報道の役割である。
 いきなり、ジャーナリズム(報道)ついての授業での説明のような話を書いたのには理由がある。
 政府の専門家会議が発表した内容について、ニュース番組や情報番組は「専門家会議はこう提言した」などと報じるだけの現状になってしまっている。その代表例がNHKの看板番組である『NHKスペシャル』である。政府の専門家会議などに対して、疑問を投げかけることをしない。専門家会議のメンバーが言うことをそのまま伝えるだけで異論を挟まない。
 だが、専門家会議も一生懸命やっていることは認めるとしても、彼らの提言などによって現在の新型コロナの感染拡大防止のための政策が決定されていて、感染拡大がいまもどんどん続いているのは周知の通りだ。
今回、筆者が記すのはコロナ報道でどのメディアが信頼できるのかという点で『NHKスペシャル』よりもテレ朝『モーニングショー』の方が信頼できるのでは?という実態だ

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世界10億人超に迫る飢餓、新型コロナで食糧危機に拍車 国連が警告    シンガポール、新型コロナウイルス対策に「穴」 

2020年04月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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「三密」入管収容施設  クラスター化の恐れ   東京新聞

2020年04月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事
コロナウイルスは場所や建物を選ばない。あまり報道されないが警察署の留置場やこの牛久の施設など国としてはコロナ対策に抜けがあってはならないと思うが
この東京新聞の報道によると入管収容施設の担当官は「一部屋当たりの収容人員がどうなっているか把握してない」とある。シンガポールの例もあるから心配だ。

渋谷署の留置場で5人がコロナ感染、集団感染か  こちら。
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