2020年5月13日ブログ掲載の記事追加再投稿
ジョン・スタインベック 日本の翻訳は1951年に出た。
大規模農業の犠牲になって流浪せざるを得なくなった農民たちと大農園主たちの間の無慈悲な闘争。
外国移民が担う以前は白人零細農民たちがアメリカの農業を支えていた。なぜこの本に手を出したかもう忘れたが、
あのアメリカにこんな歴史があったのかと驚いた。作家の筆力も凄く、現実を基にした内容は他人ごとではない実感を持って迫る。
この作品は社会小説と称されるほど全米を震撼させたと聞く。
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2021年6月3日追記 二十歳くらいの時にこの本を読み、アメリカは国家として決して一枚岩ではなく、富裕層と貧困層の格差の拡大は歴史的なものなんだと学んだ本だった。
2021.05.31 二十世紀文学の名作に触れる(5)
スタインベックの『怒りの葡萄』――離農を迫られた小作農民たちの憤り
横田 喬 (作家)
この作品をちゃんと理解するには、予備知識が要る。1930年代にアメリカ中西部を断続的に襲った大規模な砂嵐(ダストボウル:「黒い大吹雪」)の発生だ。かつては大草原だった一帯は、白人の入植によって百年ほどで大きく変貌する。野生のパイソン狩りに次ぐ牛や羊の大量放牧~大々的な草食、及び降雨による表土の流出が重なり、急速に砂漠化したのだ。
35年春には「黒い大吹雪」がなんと20回も発生。オクラホマなど近隣一帯の農地は一気に砂丘化してしまう。30年代に起こった世界恐慌に加え、人為的な過ちに由来する酷いこの自然災害。広範囲の土地で農業が崩壊し、多くの小作農家が離農を余儀なくされた。この物語は、オクラホマ州に暮らすジュード一家に降りかかる悲劇的な運命に焦点を絞る。
一家は郷里での暮らしに見切りをつけ、三世代プラス客分一人の総勢十三人で遥か遠い西海岸カリフォルニアを目指す。小作農家の同家は、地主(銀行)の代理人から立ち退き通告を受け、西部移住を薦められたのだ。出立間際、刑務所帰りの次男トム並びに一家とは古なじみの年配の元説教師ケイシーが加わった。三十歳近いトムは正義感の強い男だが、酒の上での争いで人を殺め、懲役七年。四年服役した後、仮出所している。
ジュード家は祖父の代に土着のインディアンを追い払ってオクラホマに住み着き、父親の老トムが雑草と蛇をやっつけ、開墾に励んだ。が、凶作の年に借金がかさみ、銀行が土地の持主となる。一家から見れば、「銀行は人間みたいじゃなく、怪物」。まず保安官を差し向け、さらに軍隊だ。出ていかなきゃ、「盗みをやってる同然」視され、もうお手上げなのだ。
一家の荷物を山積みにした中古の幌型ハドソン車はオクラホマ州を出発。大動脈の国道66号をひた走り、テキサス州~ニューメキシコ州~アリゾナ州と野越え・山越え・砂漠を越えて一路、ひたすら西を目指す。一行は千数百㌔にも及ぶ難儀な旅路を唯々耐え忍ぶ。アメリカ映画の西部劇でお馴染みの「幌馬車隊、西へ」の二十世紀版さながらの趣だ。
強行軍のツケが先ず弱者に及ぶ。出立後まもなく、高齢の祖父が荷台の上で卒中死する。次いで祖母も車上でのきつい移動の連続が応え、カリフォルニアの砂漠地帯で衰弱死する。
国道66号は西部をめざす車列がひしめき、キャンプ場は寝泊まりする人々でごった返す。家族の銘々は自ずと役割を心得る。十二歳の次女と十歳の四男は薪を集め、水を運びにかかる。二世代にまたがる大人の男たち七人はベッドなどを車の荷台から運び降ろす。母親と長女が夕食をこしらえ、給仕する。誰の命令もなく一切がちゃんと進行し、自ずと秩序が保たれる。みんなの当面の心配の種は、タイヤの摩耗とギヤの破損ぐらいだ。
キャンプを重ねるうち、行きずりの相手から目的地カリフォルニアに関する情報が入ってくる。同地に先着し、失望して逆戻り中のある男はこう言う。
――向こうの連中は、我々移住希望者をオーキー(オクラホマ生まれの薄汚いクソ野郎)と呼び、蔑んでいる。土地持ちはびくつき、思いやりなんか、ありゃしねえ。百万㌈もの土地持ちで新聞社を経営する男が乗り回すのは防弾ガラスの車だ。小さな意地悪い目付きをした、太ってぶよぶよの男よ。
そして、オーキーたちがいかに搾取の対象となっているか、を説いた。
――(綿花摘みやオレンジ採りで)人手の要るのが二百人とする。(連中は)それを(オーキーたち)五百人に話す。五百人が他の者に話し、約束の場所に行ってみると、千人もいて「一時間25セントだぜ」って値切られる。(がっかりして)半分位は歩いて帰るが、半分は残る。腹が減って、パンさえくれりゃ何も要らねえで働くって連中だ。
1930年代、移住希望者はカリフォルニア州へ三十万人も流れ込んだ。土地を失った農民たちの一家眷属がトラクターに追い出され、遥々やってきたのだ。州南西部の都市郊外に設けられた失業者収容集落には、大勢のオーキーたちがひしめいた。川岸におんぼろの施設が設けられ、家々はテントだったり、草ぶきの紙の家だったり。付近の街では商人たちが彼らを嫌った。物を買ってくれる金を少しも持っていないからだ。地元の自治体は彼らが投票権を得たりしないよう、キャンプから追い出しを図る。
破局がジュード一家に訪れる。果実摘みの仕事の斡旋人と保安官が赤いシボレーに同乗し、失業者収容集落へやって来る。斡旋人の勧誘話があやふやだったことから、口論になり、保安官が脅しに発砲。集落の女性が流れ弾で指を負傷し、次男トムと元説教師ケイシーは保安官を殴って悶絶させる。前科持ちのトムが一時姿をくらまし、ケイシーは独り罪をかぶり、駆け付けた警官らに連行されていく。
この間、痛ましい悲劇がジュード一家を次々見舞う。元々精神虚弱気味だった長男ノアはカリフォルニア州境で脱落~行方不明に。妊娠中の次女ローザシャーン(後に流産)の夫コニー(19歳)も前途を悲観して逃亡し、姿を消す。ケイシーは前記の顛末後に留置場から解放されるが、農場ストライキ指導の咎を受け、警官らに惨殺される。一家の実質的リーダー格だったトムはその敵討ちのため第二の殺人を犯し、キャンプ場から逃亡してしまう。
終盤、ジュード一家が宿るキャンプ場は、とてつもない豪雨に襲われる。父親ら大勢の男たちの徹夜の懸命な補強作業も甲斐なく、キャンプ場外周を流れる川の土手が決壊。一家は住まう有蓋貨車から避難を余儀なくされる。今や一家は当初の半数以下の六人。しかし、大黒柱の母親は一向に意気消沈の色を見せない。彼女はトムに対し、以前こう呟いている。
――あたしたちは本当に生きていく人民なんだよ。奴らになんか、やっつけられやしない。金持ちは出世をして死ぬよ。あたしたちは後から後から生まれてくるんだよ。何も恐れることはない。違った世の中が来かかっているんだよ。
その折、トムはケイシーの口伝えによる聖書の一節を引用して、こう答えている。
――「二人は一人に勝って骨折りのために善報を得ん」ってな。何十万って農民が飢えているんだ。腹ペコの連中が腹ペコにならねえように騒ぎが起これば、おれはそこにいるよ。
スタインベックはこの『怒りの葡萄』を著す直前の36年、カリフォルニア州内の移住労働者らのキャンプ場を度々訪問。実情を聞き取り調査し、自ら果実摘みの労働も経験している。翌年秋にはオクラホマに赴き、オーキーたちと共に国道66号沿いにカリフォルニアへの旅を続け、移住労働者たちの生活の苦しみや悩みや怒りを己のものとして体験する。作品が完成した時には数週間も寝込んでしまい、医師から文章の読み書きを禁じられたという。
表題の「怒りの葡萄」はキリスト教の聖書の記述に基づく。葡萄は「豊穣の象徴」であると共に「神の怒りの発酵」をも意味する、とか。
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2021.06.03 二十世紀文学の名作に触れる(6)
『怒りの葡萄』の著者スタインベック――「アメリカ文学の巨人」
横田 喬(作家)
1962年にノーベル文学賞を受けた小説『怒りの葡萄』は39年の出版以来数十年にわたって売れ続け、世界の三十三カ国で千数百万部を完売。著者スタインベックは「アメリカ文学の巨人」視される。彼は六十八年の生涯で書籍二十七冊を出版。内訳は小説十六冊、ノン・フィクション六冊、短編集二冊など。多くが郷里カリフォルニア州を舞台とし、サリナス峡谷や近辺の山脈などの大自然が頻出する。 スタインベックは1902年、カリフォルニア州中西部の都市サリナスに生まれた。姉二人と妹一人の独り息子。祖父は多くの農地を所持したドイツ系(ユダヤ系統)移民で、父は役所の出納吏も務めた。母はアイルランド系の小学校教師で、息子の読み書きの才を伸ばすよう手助けした。彼は少年の頃から文学好きで、ドストエフスキーの『罪と罰』やミルトンの『失楽園』、マロリーの『アーサー王の死』などを愛読した。 サリナス高校卒業後しばらく、近くの砂糖工場で働く。そこで出会った移民たちの貧しい暮らしや苦労の様子を知り、後年の作品(『二十日鼠と人間』など)に生かした。20年、スタンフォード大学英文学部に入る。翌年、授業を全休し、牧場や道路工事・砂糖工場などで様々な労働を体験する。この経験が後々の創作に際しての世界観に生きていく。 25年、海洋生物学を学んだ後、学位を取らずに同大を退学。ニューヨークへ赴き、出版を試みるが失敗し、帰郷する。三年間、山小屋やマス孵化場で働き、湖畔でツアー・ガイドを務めたりした。その合間に作品執筆に打ち込み、29年に長編小説『黄金の杯』で作家デビューを果たす。翌年にロサンゼルスへ移転。石膏製のマネキン造りを試み、最初の結婚(離婚を二度経験し、結婚は三度)をしている。 半年後に世界恐慌が始まり、資金が枯渇。父親が所有するカリフォルニア州内の別荘に移り住む。ボートを購入し、魚介類を獲ったりして自活を試みる。生活保護を受けた一時期もあったようだ。この時期に、終生の師匠格となる海洋生物学者エド・リケッツと出会う。彼はスタインベックに哲学と生物学を教えた。モントレー海岸に海洋研究所を所有し、魚介など海産資源を小学校などに販売する事業を営んでもいた。36年までの六年間、スタインベック夫婦はこの海洋研究所で雑用の手伝いをしたり、書籍類の司書として働いた。 その間、34年に発表した短編『殺人』がO・ヘンリー賞を受け、以後38年にかけて長編小説『トルティーヤ大地』、同『二十日鼠と人間』、短編小説『長い谷間』を相次いで刊行し、作家として注目を集め始める。そして、39年に発表した長編『怒りの葡萄』が評価をめぐって激しい賛否両論を巻き起こす。 否定論は作中での農民の悲惨な生活は誇張と偏見に満ち、非アメリカ的だという主張。オクラホマやカリフォルニアの地元紙は「『怒り』の物語、知事を怒らす」などセンセーショナルな見出しを掲げ、煽り立てた。地元選出の上院議員は国会で「歪んだ、ねじけた精神のどす黒い悪魔的な創造物」と呼んで、非難した。 これらの非難や攻撃に対し、良心的な社会学者や牧師、ニューディールの民主党系若手官僚などが弁護に回った。スタインベック自身は、自らが描いた移住労働者たちの悲惨な生活の事実を証明するため、写真報道誌『ライフ』のカメラマンを帯同してキャンプを訪問。そのルポルタージュと写真を同誌に掲載した。彼は飢えた三千人の移住労働者たちに二ドルずつの金を分けてやるため、ハリウッドでの自作『二十日鼠と人間』の映画台本制作の仕事を週一千ドル六週間の契約で引き受けようとさえした。 40年に『怒りの葡萄』がジョン・フォード監督によって映画化される時も、執拗なボイコット運動が続けられた。製作者のザナックは撮影に入るに先立ち、秘密調査員をカリフォルニアの各地に派遣して移住労働者の実態を調べさせた。その報告書は、実情は小説に記されたものよりさらに悪い、というものだった。 スタインベックは事態解決のため、①移住労働者が自活できるよう小さな自給自耕農場を与えるべき②移住労働局を設置し、適切な労働の割り当てと妥当な賃金の決定をなすべき③自警団及びテロの暴力は厳重に罰すべき、と提言した。識者の間では、この提案は時のルーズベルト大統領(民主党)のニューディール政策の理念と不思議に一致している、と評価されたようだ。 彼はその後52年、長編小説『エデンの東』を出版する。旧約聖書の創成記におけるカインとアベルの確執~カインのエデンの東への逃亡の物語を題材に、父親からの愛を切望する息子の葛藤と反発そして和解などを描いた作品だ。三年後、名匠エリア・カザン監督の下で映画化され、かのジェームズ・ディーンが孤独な青年キャルを好演。私事になるが、亡父と不仲だった私は強い共感を覚え、二度三度と映画館へ足を運んだ。 彼の思考法は、社会変革に対するリベラルなアメリカの伝統的な考え方を示している。批評家の多くは、スタインベックの思想をエマーソンの超絶主義(十九世紀中葉のアメリカ社会の楽観主義を支えた哲学運動)並びにホイットマンの人間愛とプラグマティズムの哲学の結合である、と見なした。 前記の通り、『怒りの葡萄』などの著作活動が評価されて62年、彼はノーベル文学賞を受ける。アメリカでは六人目の榮譽で、その作品は現在三十三カ国語に翻訳されている。68年、六十六歳で死去した。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は2日の衆院厚生労働委員会に出席し、東京オリンピック開催について、「今の状況で普通は(開催は)ないが、やるということなら、開催規模をできるだけ小さくし、管理体制をできるだけ強化するのが主催する人の義務だ」と主張。その上で、「こういう状況の中でいったい何のためにやるのか目的が明らかになっていない」と述べ、開催する場合は感染予防に向けた政府による丁寧な説明が必要だとの認識を示した。 【写真】だれも見てはならぬ!? コロナ下の聖火リレー 尾身氏は「感染リスクを最小化することはオーガナイザー(開催者)の責任。人々の協力を得られるかが非常に重要な観点だ」と指摘。その上で「なぜやるのかが明確になって初めて市民はそれならこの特別な状況を乗り越えよう、協力しようという気になる。国がはっきりとしたビジョンと理由を述べることが重要だ」と五輪開催に向け、菅義偉首相による説明を求めた。 また、衆院内閣委員会で、感染の最小化に向けて尾身氏は「オリンピックをやるのであれば、国や自治体、国民に任せるだけではなく、組織委員会も最大限の努力をするのは当然の責任だ」と重ねて強調した。 パブリックビューイングについても、「自分のひいきの選手が金メダルをとったりすれば声を上げて喜びを表すこともあるだろうし、そのあとみんなで『一杯飲もう』ということもありえる」と指摘。感染拡大のリスクを高めるような行為に対し、「一般の市民には理解しにくいというのがわれわれ専門家の意見だ」と述べた。 東京五輪・パラリンピック開催を巡っては、感染状況が「ステージ3(感染急増)だと無観客を含め大会の規模を縮小しないと、再び感染拡大につながるリスクがある」「ステージ4(感染爆発)では医療の逼迫(ひっぱく)がさらに深刻化する」などとした意見が、分科会の専門家の間で出ているという。【阿部亮介】
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