一部引用・・・「見知らぬ他人」には声をかけない日本人
みなさんは、駅の階段やバスの降車時にお母さんがベビーカーを運ぼうとしていたら、どうしますか?
アメリカ・ニューヨークで子どもを産んだ私は、エレベーターのない地下鉄の駅で、何度となく見知らぬ人にベビーカーの上げ下げを手伝ってもらいました。「May I help you? (手伝いましょうか?)」と通りがかりの人がごく自然に声をかけてくれ、本当にありがたかったのを覚えています。
重い荷物を上げ下げするときも同様でした。「困っている人がいたら、助けてあげる」という当たり前のことを当たり前にしてくれる人が大勢いたわけです。
帰国してショックだったのは、そういう姿をあまり見かけないことでした。重い荷物をもった人や高齢者など街中で「困っていそうな人」がいても、声をかける人が少ない……。
「日本人は見知らぬ他人に冷たい」のではないか。こんな印象をずっともっていたわけですが、先日、ネットに、「駅で困っているベビーカーの女性を助けず、素通りする人たち」という記事がありました。
筆者の方は「街中で困っている人に声をかけ、駅の階段でベビーカーを運ぼうとしているママがいたら手を貸すといったことが自然にできるようになった」としたうえで、「もうちょっと気軽に、誰もが助けたり、助けられたり、できないものだろうか」と問いかけていたのです。
私は非常に共感したわけですが、意外にもコメント欄が反対意見であふれかえっていたのに驚かされました。主な意見は、次のようなものでした。
②助けてもらって当たり前、礼も言わないという態度が嫌だ。
③拒絶されたり、嫌がられたりするケースが多い。
④声をかけたら、不審がられるのではないかと気を遣ってしまう。
⑤そもそも困るのなら、電車に乗るべきではない。
⑥だっこひもを使うなど、自分で対処すべき。
確かに、助けられる立場の人の中には、「知らない人から声をかけられるのが嫌だ」という人も一部にはいるようです。
「役に立ちたい」思いが「苦情」に転じる現実
以前、私は取材の中で、ある60代の男性からこんな話を聞きました。
「教師という仕事にやりがいを感じていたが、定年退職後、虚しさと孤独感を覚えていた。同じマンションに障がいをもった子どもの母親がいて、いつもひとりで車いすを押し、大変そうだったので、『私は元教師で、障害をもった子どもの教育にも携わった経験もあるので、何かお手伝いできることがあったら言ってくださいね』と声をかけた。するとマンションの管理組合から、『知らない人には話しかけないでほしい』と通達がきた」というのです。
「人の役に立てることはないか」と勇気を振り絞って声をかけただけに、不審者のような扱われ方に心底、絶望していました。
実際、お年寄りに席を譲ろうとしたら、「拒絶された」「怒られた」などという話もよく聞きます。
何しろ「自己責任」と「迷惑」の国。「人様に迷惑をかけてはいけない」「自分で責任を取れ」「誰かに頼るな」ということを刷り込まれ、
人の厚意を素直に受け取ることができない人も少なくないようです。 画像クリックで全文に飛びます。
日本人はなぜ、「ベビーカー運び」を手伝えないか 日本人に多い「他人恐怖症」、その根本原因は? | リーダーシップ・教養・資格・スキル - 東洋経済オンライン https://t.co/FxrN5IGid9 #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより
— achikochitei (@achikochitei1) June 19, 2021
開店してすぐ入ったがもう女性の二人連れや女性一人の客もいてみな楽しそうに飲んでいた。おっさん連中は六時過ぎから来るのかもしれない。
ワンコインセットは生ビールをオーダー。串カツ3本とカニ足と生ビールで500円。追加は泡盛の残波のロックとハムステーキ。〆て1226円だった。
船橋社中の社主さんからマガモの近況について連絡がありました。野鴨カップル(マガモ一家だそうです)に7羽の雛が生まれたそうです。
お父さんが、池に遊びに来ていました。
俺の子供達は、元気だよ。飛べないからまだ池には来れないないけどな。
蓮も咲きそうです。もう少し大きくなれば全員が池に勢揃いでしょうが、今は危険があればすぐに隠れることができる
巣の近くの背の高いやぶの中にいます。蛇もカラスも雛を狙っているようです。お母さん頑張ってください。
お母さんと子供達。撮影はH, Saekiさん。