夕方涼しくなって旧中川の「ふれあい橋」にあじさいを見に出かけた。
沢山の若い人が写真を撮っていたが近づくとみな中国語を喋っていた。この辺りに多い日本語学校の学生が戻ってきたのかもしれない。
ふれあい橋から脚をのばしてお蕎麦屋さんの「愛知」へ行った。相変わらず旨い手打ちの二八蕎麦だった。
歩行数 5136歩 歩行距離 3.1㎞
愛媛県新居浜市の住人泉谷さんから「松山レポート」が入りました。
⇒久し振りに松山の近くに行ったので短時間でしたがブラリとしてきました。
最近は愛媛県では観光振興対策の一つとして鯛めしブームに力を入れている。 鯛を使ったいろいろな料理を研究し評判も良い。
丁度この日もオープンしたばかりの店に遭遇した。👆
松山城ロープウエイのりば。 大街道から徒歩で約6~7分と近い
ロープウエイ乗り場に入ると初山城模型が飾られていた。 石垣は想像以上に高く築かれていた様子が分かる。
加藤嘉明公(1563~1631)の銅像がロープウエイ乗り場の近くにある。
羽柴秀吉の旗下として多数の武功をあげのちには徳川家康に仕え松山城主となり26年間にわたり治水、農業振興など領民の
生計安定に心血を注いだと言われた。
大街道から見た銀天街
中央の山の頂上に松山城が見えます。 右手の白色の建物が愛媛県庁で四国では人口的、経済的にも一番の行政を誇る。
(シルバー川柳抜粋).....御存じかもしれませんが。
起きたけど 寝るまでとくに 用もなし
三時間待ち 病名「加齢です」
延命は 不要と書いて 医者通い
誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ
「いらっしゃい」 孫を迎えて 去る諭吉
歩こう会 アルコール会と 聞き違え
聴力の検査で 測れぬ地獄耳
老いの恋 惚れる惚けるも 同じ文字 (ほれる、ぼける)
デジカメは どんな亀かと 祖母が訊く
妻旅行 おれは入院 ねこホテル
☆大街道にはいい飲み屋が仰山あると聞いてもう長いんよね。次に新居浜へいたときには松山や高松などにも寄りたいとこが目白押しじゃわね。
シルバー川柳までつけてもろていよいよありがとね。
午後一時に宝塚動物霊園から車が着きました。玄関で遺体の見送りをする家族をあとにして、六甲山を越える道を同乗して宝塚へ向かいました。
一年365日、24時間受付の霊園には5年前の2月に雪の降る高速を運転してパテイの遺体を運んで以来です。
順番にお経を上げてもらいます。
最後のお別れをしました。
ここに入ります。
元気なころのむう。
帰りは宝塚駅まで霊園の送迎車で戻りました。
2015.06.07 ~ 2015.06.13、閲覧記事数:16349 PV、訪問者数:1419 IP、ランキング:3157 位 /2,200,989ブログ
伊予路を走るJRの車窓から、丁度今、たわわに実ったビワの黄色い実があちこちで見られます。
その伊予の国、愛媛県西条市(旧周桑郡丹原町)に実ったビワを沢山送って頂きました。
昔ながらのビワの香りが強い、野性味に満ちた小粒のビワの実。留守の間に届いて冷蔵庫で冷やされていたビワを食べ始めたら、あっと言う間に10個が口に入っていました。
阿智胡地亭は小学生のころ、当時 の福岡県若松市二島町、現在の北九州市若松区二島の島郷第二小学校(現花房小学校)に入学してからの3年間、
学校からの帰りは家まで通学道を外れた野山を、一人であちこち3キロほど歩くのが楽しみでした。
今頃の季節には、野生のビワの木を見つけて、熟した木の順番にもいで食べるのが一番の楽しみでした。
梅雨の季節でもあり、ハゼの木と知らずに木の下を通り、落ちた雨水が顔や手にかかり、ウルシにかぶれて顔が真っ赤に何度も腫れあがったことがあります。
そんな時に食べたビワの味と同じ味がします。販売用に栽培されたものではない、甘みの少ないのがおいしい。丹原町今井にお住いの今井さんありがとうございました。
このビワは「放浪記」の作者“林芙美子”の実父、宮田麻太郎が生まれた旧周桑郡新町(吉岡地区)の近くの今井さんの自宅で成った実です。
現西条市新町も車で通ったことがありますが、“林芙美子”の母親が生まれた鹿児島の「古里温泉」の街中も、観光バスで通り過ぎたことがあります。
旅の行商を稼業とする夫婦の子として門司で生まれた“林芙美子”は、生涯に一度だけ、早くに生別した父親の出生地壬生川を訪ねたことがあり、
壬生川駅に父親に宛てた手紙の一節が石碑に刻まれて残っているそうです。
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2009年6月18日に掲載した下記のエントリーの写真は当時現役で東予工場勤務時代の今井さんが撮影して送ってくれました。
JR予讃線の壬生川駅にある林芙美子のモニュメントです。壬生川駅正面 左方向が新居浜。 林芙美子の手紙全文と、解説。
手紙の最後の部分の林芙美子の筆跡の石碑。
今井さん、出勤前に駅に寄っていただき恐縮です。森光子さんが公演を続けている「放浪記」の原作者ー林芙美子!
彼女は周桑郡の血が体内を流れている半分東予の女なんよね。 若いときはカフェの女給さんやったり、作家になってからは1人でシベリヤ鉄道に乗ってパリまで行ったり、
従軍記者やったり、明るくてタフな女性でしたが、 若いときから頑張って生きた無理が祟ってか、50歳前に急死したのは惜しまれてならんです。
「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」は彼女の句らしいです。
websiteから:壬生川は愛媛県中東部、西条(さいじょう)市の一地区。旧壬生川町。燧灘(ひうちなだ)に面し、江戸初期からの港町。
松山藩の新田開発に伴って新川を改修して港がつくられ、蔵米積出しでにぎわった。
卸・小売業が多く商業の中心地区であるが、現在、JR予讃線壬生川駅前地区に商業の中心が移りつつある。図書館を併設した東予郷土館がある。
牧志市場の旨そうな食材の中に、中国、台湾、韓国、日本の関東圏に共通する豚肉食文化が感じられます。
沖縄県では豚肉は下調理で充分に蒸して脂肪分を徹底的に落としてから、色々な料理に使います。
つまり各種レシピに応用が効き、カロリーが低い健康食材なんだそうです。(小桜の大将から聞きました)。
確かに口に入ってもさっぱりしていて自然食の感じがします。今回の画像は市場の売り物の肉類と漬物類です。
これは「中身」、まさに言葉そのままの内臓(ホルモン)。
手前は島ラッキョウですが、シーズン的にちょっと大きめ。
次々退職団塊世代が夫婦で移住しているので沖縄県は人口が増えているそうです。
沖縄フリークの若者も多いようです。何しろ食べ物がおいしい。