東京都の下町三区と言われる台東区・墨田区・江東区のそれよりまだ東寄りに、東部三区と言われる埼玉県や千葉県と接する三つの区があります。
足立区や、寅さんとさくらさんが今も住むといふ「葛飾柴又」がある葛飾区や、江戸川区がそれです。
東部三区の殆ど全面の用途地域は商業地域や準工業地域と第一種、第2種住居地域が混在しているようです。
つまり早い話が庭のあるお宅はほんのわずかしか存在しません。
ということで、墨田区・江東区や千葉県の市川市や浦安市と接している当江戸川区では、住民は事務所や住まいの前で花を絶やしません。
江戸川区の人口が70万人もあり、最近まで身近だった関西の西宮市の49万人、明石市の30万人、姫路市の53万人をはるかに凌駕しているとは
引っ越して初めて知りました。確かに同居の少年たちのクラスの友人達は3人や4人の兄弟姉妹が普通で、三世代同居家族も多く、道を歩けば
赤ちゃんや幼児を乳母車、もといベビーカーに載せて歩くお母さんを必ず見かける、自分が育った昭和20年代、30年代の日本がそのまま当地には残り、
今も首都東京とは別に、❝戦前からの昭和❞の「在の東京」は当区にしっかり生き延びています。
阿智胡地亭と同居している小学生、中学生は二人とも公立小中学校のクラスで友達同士 互いに苗字では呼び合わなく、下の名前を呼び合っています。
男の子も女の子も同じで、先生方も 三太とか伸介とかサクラとかコノハとか生徒のことを呼び捨てにしています。最初当地は「二十四の瞳」の小豆島かと思いましたよ(笑)。
この「在の東京」の住居費や生活費の低廉さはよく知られているらしく、加えて社会福祉の行政支援の充実も相まってか、沢山の年金生活者や若い家族持ち世代だけでなく、
世界110数か国の国籍の人も棲みつき、日本国籍を取ったインド系の区会議員さんもいて いまや「在の東京」も時代と共に世界の変化を受け入れています。
少年の中学のPTA役員の抽選でロシア人のお母さんが二人当たった時は、さすがにまだ日本語がおぼつかないので日本人のお母さんが代わってあげたそうですが
公立小中学校の各学年のどのクラスにも外国系の子弟がいて、それが普通の地域が「在の東京」にあるのはまた別の意味で時代だなと思います。