口ごもることなく、きびきびと、しかも聞き取りやすい音量で喋る人物がテレビ画面に映っていた。
字幕を見ると、福島原発の3号機の放水作業の総指揮を執った「佐藤康雄東京消防庁警防部長」だった。
彼の部下が実行した作業を時系列に沿って、開始から終了まで丁寧に目に見えるように説明していく。実に小気味がいい。
実務に精通している人だけが自然に醸し出す自信と余裕。
今度の原発事故関係でテレビに現れた日本人の中で、瞠目すべき人が初めて現れたような気がした。こんな指揮官が日本にはまだいるのだと、
おおげさかもしれないが何かジーンときながら説明を聞いた。
事故が起きた時点で、今回出動した放射能火災に備えた特別チームに必ず出動命令あるべしと想定したこと。
出動が確定する前に、すでに河川敷で特殊車両の3方式について、それぞれ実地訓練を行っていたこと。
机上計画を立てたうえで、現地での臨機応変対応あるべしの心構えで臨んだこと。事実、実際の作業は想定外のことが起こったこと。
すなわち津波で構内道路が荒れていて、特殊ポンプ車もホースも想定ルートを通すことが出来ず、屋外の人手の作業が増えてしまったこと。
たんたんと語っている中に、部下が全身に浴びる放射能を、規定の範囲以下で作業をさせるかに、いかに腐心したかを浮かび上がらせていく。
下手をしたらこの二つの隊の精鋭40名の生命を危険に晒す・・。
両サイドに座った二人の隊長の話も聞きながら、「職務に対する責任感、使命感」「組織の規律」「隊員の士気」
という抽象語を具現化、体現化している人たちが、今まさに目の前にいるんだと強く、強く思った。
彼らの全身が発する雰囲気は、いざ火災現場に出れば、消防隊員は常に生と死が隣り合わせの職場ということから来るのだろうか?
まことに見事な職業人がいることを教えてもらった。
我が命令を部下に一切の疑点なく周知徹底する。それが出来ないことには火消しのカシラにはなれないしなってはいけない。
そうでなければ火事を消すことは出来ないし、部下を殺すかもしれない。 彼らの会見場における、あの見事な挙措はこの会見だけのものではなく、そういう職場の職業人が自ずと24時間身につけているのだろうと感じた。
佐藤総指揮官は朝家を出て勤務についてから、福島への出動命令を受けたので、(二人の隊長も部下たちも)奥さんには「福島へ出動することになった」とメールで連絡したそうだ。
奥さんからの返事がまたいい。「日本の救世主になってね」と。
最悪のケースを常に想定して家から旦那を送り出す奥さんたちがいる職業。あまり気が付かなかったが、そういう職業は結構あるのだと思った。
胸がいっぱいになりながら説明を聞いたが、記者会見の最後が最悪だった。
記者クラブの記者の質問
「あのぅ・・、今のお気持ちを教えてください」
「今ぁ、何が一番したいか教えてください」
ガクっと倒れこみそうになった。
坊やたちの腑抜けた質問に怒りもせず、真面目に答える3人の消防署の大人たち。
質問力に報道記者の存在価値がかかっている。こんな記者たちはもういらない。
余談ながら、大手メディア業界には40代、50代のベテラン記者と言うのはいないのだろうか。
世間の会社なら部課長クラスがビジネスの前面に出ている。その分野の経験と勉強に裏付けられた突っ込みのある質問をして欲しい。
20代、30代の薄くてステレオタイプの質問では、とてもじゃないが、読者の知りたいことを聞き出すことは出来ない。
ホント、質問の相手は真央ちゃんでも石川クンでもないんですが・・・
☆2011年03月20日(日)に掲載したエントリーです。その後もyahooの検索を通じてアクセスが続くので、再掲載します。
この国家の非常事態が長く続いているとき、その後この消防隊員のような日本人があまり耳目に触れないのはなぜだろう。あらゆる場にこのような人たちはいるはずなのに。
テレビや新聞に出てくるのは、自己保身の塊のような、あるいは他人ごとの東電の松本さんとか、1年100ミリシーベルトでも妊婦や乳幼児に被害はないと言いいながら
福島県立大学の副学長になった山下教授とか(一番危険度が高かった時期が過ぎたときに10ミリ-ベルトに訂正した)、汚染水を飲み干す民主党の園田政務次官とか、
いつまでも暫定基準値を出していて平気な文部科学省の官僚などしか見えてこない。
暫定というのは、正式に決まるまでの「取り合えずの、仮の」と言う意味であると、文部科学省認定の教科書で習ったのだが。
例え官位階は下っ端でも、そろそろまっとうな日本人が、佐藤さんたちのように正確に事実を語り、果たすべき仕事をしなくてはならない。どぜうに指揮を任せている時ではない。☆
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