孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

トルコとアルメニア 「虐殺」問題を乗り越えて、国交樹立へ

2009-09-06 18:40:16 | 国際情勢

(08年9月6日 「サッカー外交」の舞台となった、アルメニアで開催されたトルコ対アルメニアのワールドカップ地区予選の試合会場
ガラガラに空いているところを見ると、トルコ側応援席でしょう。さすがに警備は厳重です。
スタジアムに到着したトルコのギュル大統領を迎えたのは、アルメニアのサッカーファンのブーイングとやじの大合唱だったそうで、厳しい警戒態勢のなか、ギュル大統領は防弾仕様の特別席から試合を観戦したとか。
試合は実力で大きく上回るトルコが2-0でアルメニアを下しました。
“flickr”より By onewmphoto
http://www.flickr.com/photos/24674184@N00/2834709960/)

【「虐殺」あるいは「戦乱の中で起きた不幸」】
トルコと隣国アルメニアの間には、オスマン帝国時代に遡る「アルメニア人虐殺」問題があり、これまで対立を続けてきましたが、歴史的和解に向けて動き出しています。

第1次大戦中の1915-1917年、オスマン帝国領内の少数派・辺境住民でキリスト教徒が多いアルメニア人は、敵国ロシアと内通し、独立を画策する勢力として強制移住させられ、アルメニア側は150万人が組織的に虐殺されたと主張しています。フランス国会やアメリカ下院外交委員会も、これを「虐殺(ジェノサイド)」と認定しています。
一方のトルコは「虐殺」を拒否し、実際には、アルメニアがアナトリア東部で独立のため武装しロシアの侵略軍を支持した際に、市民間の衝突で30万-50万人のアルメニア人と少なくとも同数のトルコ人が死亡したと主張しており、双方に犠牲者が出た「戦乱の中で起きた不幸」だったとしています。

****トルコとアルメニア、国交樹立へ 「虐殺」和解 両国に思惑*****
第1次大戦中に起きたとされるアルメニア人虐殺問題などで対立を続けてきたトルコとアルメニア両国は31日、国交樹立に向けて基本合意したとの声明を、仲介役のスイスとともに発表した。ロイター通信などが報じた。
両国は6週間以内に国交樹立と関係進展に関する2つの合意文書の調印を目指す。アルメニアのサルキシャン大統領は10月半ばにトルコを訪問する予定であり、そのタイミングで両国の「和解」を演出する狙いとみられる。

同通信によると、両国はそれぞれ「6週間以内に国内の政治的な協議」を終えて合意調印を実現し、議会での批准作業に入る。合意発効から2カ月以内に、トルコは1993年から封鎖しているアルメニアとの国境を開く。また、フランス通信(AFP)によると、合意文書は、アルメニア人虐殺問題を念頭に、「両国が対立する歴史的側面」を検証する合同委員会の設置を呼び掛けている。

トルコのギュル大統領が昨年9月、サッカー観戦のためにアルメニアを初訪問し、両国の和解機運が高まった。今年4月には関係正常化に向けた「行程表」で合意し、サルキシャン大統領は10月14日、トルコを訪れ、サッカーの2010年ワールドカップ出場をかけた両国代表チームの試合を観戦する予定だ。

アルメニア人虐殺問題をめぐり、トルコ国内では、アルメニアが「虐殺」の主張を取り下げるまで関係を正常化すべきではないとの声は根強い。また、アルメニアがトルコ系のアゼルバイジャン領内のキリスト教住民を支援したナゴルノ・カラバフ紛争(現在停戦中)もあり、これらの問題をどう解決するのか、不透明さは残されている。
トルコが支援してきたアゼルバイジャンは1日、「ナゴルノ・カラバフ問題が解決するまでトルコはアルメニアとの国境を開くべきでない」と反発した。
しかし、トルコは昨年8月、トルコとロシア、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジアからなる地域的な危機管理機構「カフカス安定・協力プラットホーム」創設をロシアに提案、多国間の枠組みの主導権を握り、地域での発言力を強めようとの姿勢を打ち出している。
また、トルコとアゼルバイジャンに挟まれたアルメニアにとって外に向けた主な通商窓口はグルジアだったが、昨年夏にはグルジアでもロシアとの紛争が再燃。トルコと和解し、国境封鎖を解くことが現実的な必要性として浮上してきたとも指摘されている。【9月2日 産経】
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【ナゴルノ・カラバフ問題】
記事にある、「虐殺」問題と並んで両国の関係改善の障害となっている「ナゴルノ・カラバフ問題」とは、アルメニアの東隣のアゼルバイジャン領内にあるナゴルノ・カラバフ地区をめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの間の帰属問題です。
同地区はイスラム国家であるアゼルバイジャンの自治州でしたが、キリスト教徒のアルメニア人が居住しており、ロシア革命の頃からその帰属でもめています。
1992年にナゴルノ・カラバフ側が一方的に「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立を宣言、これをきっかけに紛争が勃発。
ナゴルノ・カラバフ側にはアルメニアが軍事介入し、本格的な戦争に発展しました。
その後、ロシアとフランスの仲介で停戦が成立していますが、「ナゴルノ・カラバフ共和国」は国際的には承認されていません。
アルメニアの軍事介入に反発したトルコは93年にアルメニアとの国境を閉鎖して、現在に至っています。
この紛争により、2万人の死者が発生し、100万人以上の難民が発生したと言われています。

なお、地図を見ると、アルメニアをはさんで、アルメニアの南西部にはアゼルバイジャンの飛び地(ほぼナゴルノ・カラバフと同じ程度の面積)が存在しています。
このアルメニアに接するアゼルバイジャンの飛び地と、アゼルバイジャン領内のナゴルノ・カラバフを“交換”できれば話は簡単なのですが、大勢の住民が居住していますので、そういう訳にはいきません。

そんな「虐殺」問題や「ナゴルノ・カラバフ」問題を乗り越えて、トルコ・アルメニアの間で関係修復の動きが出てきたことは08年9月7日ブログ「アメリカ・リビア、トルコ・アルメニア 「永遠の敵はいない」」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080907)でも取り上げたところです。

【「東西の懸け橋」】
以前、日中間でピンポン外交と言われる動きが国交回復に先立ってありましたが、こちらは、トルコのギュル大統領がアルメニアを初めて訪問し、両国代表が対決するサッカーのワールドカップ予選を観戦する「サッカー外交」です。

トルコがアルメニアとの関係修復に動き出した理由は、記事にもあるように、カフカス地域での存在感を高めていこうするものです。
また、キプロス問題でも南北間の対話が始まっていますので、併せてアルメニアとの関係も修復できれば、悲願のEU加盟の障害となっていたハードルがクリアできます。
地域大国としての存在感が高まり、EU加盟も実現できれば、西洋とイスラム世界の間の「東西の懸け橋」としての役割を発揮することも可能になります。
今年4月、オバマ米大統領が就任後初めて訪れるイスラム国家にトルコを選んだのは、国民の大半がイスラム教徒でありながら世俗主義を貫くトルコに、西洋とイスラム世界の橋渡し役を期待しているからだと言われています

アルメニア側の事情としては、唯一の通商窓口であるグルジアがロシアとの紛争で混乱しており、孤立感を深めていることがあげられています。
トルコとの関係改善・通商開始による経済的利益に加えて、アルメニアを迂回してグルジア経由でトルコに向かっているカスピ海と地中海を結ぶ欧米主導の石油パイプラインが、ロシアとグルジアの軍事衝突を受け、グルジアに代わりアルメニア経由のルートになる可能性もあるとか。【08年9月7日 毎日より】

【歴史的問題】
そうした両国の思惑によって動き出した関係修復ですが、とにもかくにも緊張が緩和し、関係が正常化することは喜ばしいことです。
世界的に見ると、「虐殺」問題や「ナゴルノ・カラバフ」問題などのように、多くの国が“歴史的問題”を近隣国との間で抱えており、その処理に苦しんでいます。
そうした視点で見ると、日本が中国や韓国と問題を抱えているのも“ごく普通のこと”のようにも思えます。
現在密接な関係を維持できているのは、むしろ“うまく処理できている”ようにも思えて、ときに噴出す反日行動なども、“まあ、そんなこともあるでしょう”ぐらいに、余裕を持って対応できるのでは。

コメント
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