(国連総会議場 “flickr”より By dawvon
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【「今の安保理は正義ではない」】
鳩山首相の外交デビュー、オバマ大統領の「核なき世界」への方向付けや国際協調路線の明確化など、何かと話題も多い国連総会ですが、リビアの最高指導者、カダフィ大佐も彼らしいパフォーマンスです。
****カダフィ大佐:「安保理はテロ理事会だ」国連総会で初演説*****
国連総会の一般討論初日の23日、リビアの最高指導者、カダフィ大佐が演説した。大佐は、安全保障理事会で常任理事国だけに拒否権があることなどを批判し、「安保理はテロ理事会と呼ぶべきだ」と主張した。また、国連憲章の冊子を読み上げながら、憲章の精神が守られていないと冊子を放り投げるなど「カダフィ節」健在だった。
大佐の国連訪問と演説は初めて。オバマ米大統領の演説を、大佐はリビアの席で最後まで聞いた後、総会議長に促されて登壇。気候変動、経済危機、食料危機など現在、国連はさまざまな挑戦に直面していると説明した。その後、国連憲章を読み上げながら、加盟国に同じ権利が保障されているはずなのに一部の国が拒否権を持っていると批判し、憲章の冊子を破ろうとした。
また、大佐は「安保理で各国が同じ権利を有するには全理事国に拒否権を与えなければならない」と述べ、「今の安保理は核兵器を所有する国が特権を持っており、正義ではない」と主張した。
大佐は途中、「国連が認めている武力行使は世界の平和にとって脅威になる場合に限られるのに、過去の世界の戦争のほとんどは1カ国か数カ国のために行われ、国連はそれを止めることもチェックすることもできなかった」と、安保理の機能に不満を示した。【9月24日 毎日】
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ベドウィン出身のカダフィ大佐は、ベドウィン文化に忠実でありたいとして、訪問先ではキャンプに野営しており、ローマ中心部の広場から、パリのエリゼ宮近くの庭園など、ありとあらゆる訪問先で野営地を設営してきており、今回の国連出席でも野営すると伝えられていました。
しかし、先日、スコットランド自治政府が釈放しリビアへ帰国したロッカビー事件(パンアメリカン航空機爆破事件)の受刑者をリビア側が大歓迎したことに対して、大勢の犠牲者遺族を抱えるアメリカは強い反発を示していました。
“フランク・ローテンバーグ米上院議員(民主党)は、米国務省に対し、カダフィ氏が国連施設区域の外へ出ることを禁止し、ニュージャージー州イングルウッド郊外にあるリビア外交施設の敷地内に野営地を設営することを阻止するよう要請した。ニュージャージー州選出のローテンバーグ議員によると、イングルウッドはパンナム航空機爆破事件の犠牲者の遺族が多く暮らしているという。”【8月26日 AFP】
結局、カダフィ大佐の野営問題はどうなったのでしょうか?
【国連安保理改革】
そんなことはともかく、今回のパフォーマンスについては、“(パンアメリカン機爆破事件の張本人である)彼にテロ理事会云々を言われたくない”というのは至極もっともなことです。
ただ、彼が指摘している問題、国連の実質的決定権がかつての戦勝国であり核保有国である安保理常任理事国の拒否権という形に集約されていること、これまで国際関係調停に国連が有効に機能してこなかったことは、多くの者が認めるところでしょう。
“国連なんてそんなものさ”と言ってしまえばそれまでですが、世界の総意を表す場としてはやはり他にはありませんので、なんらかの改善が望まれるところです。
安保理常任理事国の拡大ついても議論されているところですが、拒否権の問題や、候補国とライバル関係にある国の反対などで進んでいません。
****日本の常任理入り支持=仏大統領*****
フランスのサルコジ大統領は23日、国連総会で演説、安全保障理事会の正統性を維持する観点から理事国枠拡大の必要性を訴え、常任理事国候補として日本の国名を挙げて支持を表明した。
同大統領は「日本やドイツは常任理事国のリストから除外されており、これは受け入れ難いことだ」と強調。ブラジル、インドも候補として言及したほか、アフリカ大陸に常任理事国枠が与えられていないことも問題視した。【9月24日 時事】
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【理不尽な世界で、すべての人々が等しく決定権を持つ場】
ただ、こうした安保理改革ではなく、あるべき論で言えば、本来は国連総会が、単なる意見・パフォーマンス披露の場ではなく、世界の総意を決定する最高決議機関であるべきと思われます。
実際には、独立したばかりの人口数十万の小国や、一般の人々は聞いたこともないような国・・・そうした国々がアメリカや日本と同じ1票を行使する国連総会での決議については根深い不信感があります。
思いつきで言えば、そうした弊害をなくすためにも、国連が全世界の人々の総意をあらわすためにも、各国の持ち票は人口にある程度比例したものであるべきではないでしょうか?
単純に人口比例させると、中国は日本の10倍の決定権を持ち、中国とインドの票で総会決議が左右されることにもなります。(世界政府・全人類総会であれば、それもある意味当然のことでしょう。)
人口段階に応じて、100万人以下の国は1票、100万超1000万人以下なら2票、1000万超5000万人以下なら3票、5000万超1億人以下なら4票、1億超5億人以下なら5票、5億以上は6票、10億以上は7票・・・といったものもあるかも。(もう少し小さな刻みにしたほうがいいような・・・、まあ、どっちでもいいことですが)
現在の“国家”を単位とする世界のシステム、国家の参加機関としての国連のシステムとは相容れないものでしょうし、“国連は世界政府じゃないんだから”“中国が日本の10倍なんて・・・”ということで“そんなアホな・・・”ということになるのでしょうが、考えてみると、世界の運命を決めるような場面で、12億の人口の国も100万人の国も同じ1票・・・という方が理不尽です。
人口だけでなく、世界経済への寄与度なども加味してウェイトをつけることができれば、それもひとつの方策でしょうが、それを言い始めると、“文化的寄与度は?フランス文化は世界の文化向上に大いに寄与している”“歴史的寄与度は?ギリシャはヨーロッパ文明の源である”といった意見とか、“植民地支配していた国、戦争に責任を有する国にはペナルティーを与えるべき”とか、いろんな意見が出てきて収拾がつかなくなりそうです。
私たちが暮らす世界はもとより理不尽な世界です。
日本でグルメ番組・大食い競争番組が多く見られる一方で、貧しい国では多くの人が飢えで苦しんでいる。
日本で膨大なコストをかけて延命治療が行われる一方で、多くの国では簡単な治療・医薬品さえつかえず人々が死んでいく。
私は今インドネシア・バリ島を休暇旅行中ですが、普段“金がない”と言いつつ、現地の人には手が届かない金額を遊びに浪費しているのも、またそういった理不尽さの類でしょう。
そうした理不尽な世界に暮らしているのは事実であり、それを前提にして生きている訳ですが、せめて国連総会という場においては、すべての国のすべての人が等しい価値をもつものとして扱われていいのでは・・・と考えた次第です。
この文章を書きながら思いついたことを並べただけの“そんなアホな”話ではありますが、ひとつ言いたかったのは、現在の国連・安保理のシステムもやはり“そんなアホな”類ではないか・・・ということです。