孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ政府  モン族「難民」をラオスへ全員送還の方針

2009-09-15 23:08:56 | 世相

(欧米来訪者から寄贈された本に見入るモン族の子供たち “flickr”より By by Rusty Stewart
http://www.flickr.com/photos/rustystewart/2265779461/)

【ベトナム戦争の傷跡】
昨年のGWに北ベトナムのサパを旅行しましたが、サパ周辺にはモン族やザオ族などの少数民族が暮らしています。
サパ周辺のモン族は、黒モン族や花モン族が中心で、独自の風俗を守りながらも、多数訪れる観光客相手にしたたかに生活しています。

しかし、ラオスに暮らすモン族のなかには、今なおベトナム戦争の傷に苦しみながら暮らす人々もいます。
そのことについては、旅行前の08年4月29日ブログでも触れています。

****08年4月29日ブログからの再録*****
モン族は中国では苗(ミャオ)、タイやラオスではメオと呼ばれ、中国雲南省からインドシナにかけての山岳地帯に広く分布しています。モンは“自由の人”を意味する言葉で、メオはタイ族が蔑んで呼ぶ言葉とか。
インドシナで戦われたベトナム戦争はモン族にも大きな悲劇をもたらしました。モン族はこの戦争で20万人の犠牲者を出しています。この数字はアメリカの犠牲者(5万8千人)の4倍近い数字です。

北ベトナムが、北からラオス、カンボジア領内を通り南に至る陸上補給路として活用した“ホーチミン・ルート”は有名です。このルートは山岳地帯の獣道同然もルートを含んでおり、元来が平地の民であるベトナム人(キン族)だけでは使えず、山岳地帯すむモン族のような少数民族の協力を必要としたそうです。

こうして北ベトナム軍やラオスのパテト・ラオ(ラオス愛国戦線)に協力したモン族もいた訳ですが、山岳地帯におけるモン族の利用価値に目をつけたのはアメリカも同様です。
アメリカは主にラオス国内でホーチミン・ルートを叩くために、モン族を右派ゲリラ組織にしたてあげました。
なお、アメリカが北ベトナムに“北爆”として投下した爆弾は約100万トンであったのに対し、ラオス領内には250~300万トンの爆弾が投下されたと言われています。

同じ民族が左右両派に分かれ、両陣営の協力者として戦うかたちになりました。結局アメリカはこの地から“名誉ある撤退”をします。アメリカはそれですみますが、アメリカに協力してアメリカ兵に代わって多くの血を流した右派モン族はこの地に取り残されます。

“アメリカの手先”となった右派モン族は、北ベトナム軍やパテト・ラオ軍の報復攻撃を受けます。
アメリカがベトナムから撤退したのが73年ですが、ラオス国境が近いタイ領内にはラオス政府軍の追及を逃れてくらすモン族の集落が今なお存在し、またラオス国内で爆弾闘争などの反政府活動を続けるモン族も存在します。
更に、先述のように大量に投下されたクラスター爆弾などの爆弾は今なおラオス領内に不発弾として大量に残存しており、村人の命を奪い続けています。(「メコン発 アジアの新時代」(薄木秀夫著)を参考にしました。)
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【「不法入国者」】
難民発生に責任があるアメリカも約15万人を難民として受け入れてきましたが、国連が1992年に難民支援の打ち切りを決めたため、2004年にこれ以上移住を受け入れないことを決定しました。
このたため、タイに暮らすモン族は難民として保護される資格を失い国籍のない不法滞在者として扱われるようになり、その数は当時で2万人以上と言われていました。

タイ政府は行き場を失ったモン族難民の受け入れをアメリカに要望する一方、2007年5月、ラオス政府との間で「ラオス・タイ国境安全委員会」を設置し、第三者機関による難民申請プロセスを行わずに、2008年末前までにモン族難民のラオスへの強制送還を実施する意向を明らかにしました。

実際にこれまですでに強制送還を実施してきていますが、国際社会からの批判もあって、いまだタイ領内に多くのモン族難民が生活しています。しかし、タイ・ラオス両政府は、改めて強制送還の方針を確認しています。


****タイ、モン族「難民」をラオスへ全員送還へ 弾圧懸念も*****
ラオス政府による「迫害」を訴えて04年以降、タイ北部に大量流入した少数民族モンの処遇をめぐり、両国の国防相が11日、キャンプにいる全員を年内に強制送還することで合意した。欧米諸国などは「難民」として保護するよう求めてきたが、両国は「不法入国者」との位置づけを変えなかった。人権団体などは送還後の弾圧を懸念しており、両国への批判が強まりそうだ。

合意文書によると、対象はタイ北部ペチャブン県フアイナムカオ村のキャンプにいる4700人。タイ政府は06年以降、17回にわたり3095人を送還しており、今回の合意で合わせて8千人近くが送還されることになる。再越境を防ぐ手段を共同で講じることでも一致した。

ベトナム戦争時に米国に協力してラオスの共産主義勢力と戦ったモン族は、同国で75年に共産政権が発足すると弾圧の対象になった。多くは国外に逃れたが、一部は山間部で抗戦を継続。政府軍の攻勢が強まったことで、タイに集団流入したとされる。
欧米諸国などは、送還すれば再び迫害の恐れがあるとして反対したが、タイ政府は経済的な困窮で流入した「経済難民」が多く、迫害についても「過去の話だ」としてラオス側と送還に向けた協議を進めてきた。

ラオス政府は中部パラック村に住宅100戸を建設。モン族が暮らす他の村と合わせて受け入れ先とし、帰国者には1人30万キップ(約3200円)を渡して新生活を支援するという。政府の担当者は「モン族の恩赦は政府の方針だ。すでに送還された人で迫害にあった人間はいない」と話した。
しかし、キャンプで医療ボランティアをしていたタイ人によると、今もキャンプに残るモン族には政府軍と戦った人が多く、「ラオス政府が最も敵視するグループ。弾圧の懸念は当然」と指摘する。

8月下旬に送還されたブアセン・リーさん(48)は、ラオス中部トンナミ村で子どもら10人と暮らす。父親は米国の協力者として00年に軍に殺され、自身も過去に警察に右足を撃たれたという。
帰国時に政府から受け取った援助金はあっという間になくなり、仕事もない。自宅には警官が定期的に見回りに来る。「常に監視され、生活も食べるのがやっと。不安と恐怖でどうしたらいいか分からない」 【9月13日 朝日】
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本来であれば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの合法的な独立の第三者機関が管理する適切な難民認定プロセスが適応され、難民認定と保護の要求を検証し、本国への帰還は自発的なものに限られる・・・となるべきところです。

ラオスだけでなく、ミャンマーからの難民も多数抱えるタイの事情もあっての今回の対応でしょうが、少なくとも、「モン族の恩赦は政府の方針だ。すでに送還された人で迫害にあった人間はいない」というラオス政府の主張を確認する国際機関によるラオスでの監視活動が必要かと思われます。

ベトナム戦争でも、イラクやアフガニスタンの戦いでも、外国軍が去った後もながく、現地の人々の暮らしにはその傷跡が深く残ります。

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