孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

スーダン  抗争が続く南スーダン 危ぶまれる選挙・住民投票

2009-09-17 23:07:35 | 国際情勢

(北の主人により奴隷状態にあった南スーダンの女性たち “flickr”より By Dan Patterson
http://www.flickr.com/photos/creepysleepy/2352130221/)

【ダルフール 安定?】
世界最悪の人道危機とも言われているスーダン西部ダルフール地方は、以前に比べると安定してきたとの報道があります。「戦争は終わった」との発言も。
そうであるなら、非常に喜ばしいことです。

****ダルフール紛争 平和維持部隊司令官「戦争は終わった」*****
世界最悪の人道危機と呼ばれるスーダン西部ダルフール地方の紛争について、国連とアフリカ連合が合同で現地に展開している平和維持部隊(UNAMID)の司令官が26日、離任を前に「戦争は終わった」と語った。
ロイター通信によると、ナイジェリア軍からUNAMID司令官として派遣されていたアグワイ将軍は「この数カ月間は山賊行為くらいしか起きていない。戦争は終わったと思う」と語った。

ダルフール紛争は03年、黒人住民らが中央政府に対し蜂起し始まった。政府寄りのアラブ系民兵を巻き込んで泥沼化、国連によると30万人が死亡、270万人が家を追われた。国際刑事裁判所は今年、人道に対する罪などで、バシル大統領に逮捕状を出した。
反政府勢力は現在、約20の集団に分裂し、本格的な戦闘は今年に入ってほとんど起きていない。だが、ダルフール情勢が安定するかどうかは、紛争当事者である政府の対応次第で、司令官の発言は誤解を招きかねないとの指摘も出ている。【8月28日 朝日】
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【紛争続く南スーダン】
西部ダルフールが安定したかどうかとは別に、時折今でもスーダンから民族抗争のニュースが届きますが、これは主に南部スーダンの状況のようです。

****覆面集団が襲撃、民族抗争で計25人死亡 スーダン南部*****
ロイター通信などによると、スーダン南部の村で4日朝、民族間の抗争があり、25人が死亡した。国連によると、今年に入って南部では住民同士の抗争で2千人が死亡し、25万人が家を追われている。
現場は上ナイル州の州都マラカル近郊、南部の主要民族ディンカの住む村。武装した覆面の男約50人が村の長老の一家を含む20人を殺した。住民は対立する民族シルクの仕業とみて同民族の村を襲い、5人を殺した。数日前には別のディンカの村が襲われて46人が死亡したという。背景は不明だが、南部では土地や家畜、水場の所有権をめぐる争いが頻発している。
スーダンでは来年4月に大統領選が、11年には南部の分離独立を問う住民投票が予定されている。南部スーダン自治政府側は、こうした政治日程に向け、北部の中央政府が南部情勢の不安定化を仕組んでいると疑っている。【9月6日 朝日】
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遡ると、“スーダン南部のジョングレイ州アコボ近くで8月2日、部族間抗争により女性や子ども約100人を含む185人が殺害された。アコボやその周辺では今年3月以降、部族集団ムルレと少数民族ロウ・ヌエルの衝突が頻発。同州やその周辺は食料事情が悪く、ムルレとロウ・ヌエルは土地や家畜、食料などを巡り対立している。”【8月4日 毎日】との記事も。

“スーダン南部でアラブ系部族が2日間にわたり衝突し、事態収拾のため配備された警官を含む244人が死亡した。南部では08年に部族間衝突で女性や子供など900人が死亡しているという。
衝突が発生したのは、西部のダルフール地方と南部の南コルドファン地方の境界付近。南コルドファンはスーダンの南北内戦の激戦地だった。石油資源が豊富で中国やインドなどの企業が採掘活動を行っているが治安は依然不安定だ。
スーダンのハミド内相によると、ミセリヤ、リゼイカトの両部族で169人、警官75人が死亡した。
AP通信によると、ミセリヤの部族長は、リゼイカト族の2000人が26日、馬やトラックに乗って攻撃してきたと話している。スーダン政府は原因を調査中。両部族は、過去にも家畜の飲み水などをめぐり衝突を繰り返した模様だ。”【5月30日 毎日】という記事もありました。

各記事に登場する部族はさまざまで、多数の部族同士が土地、家畜、水場、食糧をめぐって争っている状況が窺えます。

【見捨てられた人々】
もともとスーダンでは、北部アラブ系イスラム教徒と南部の黒人を主とする非アラブ系の間で、1955年から72年の第一次内戦、83年から2005年までの第二次内戦が繰り広げられました。
約190万人が死亡、400万人以上が家を追われたと言われています。

政治的実権を握る北部アラブ系と、これに反発する南部黒人という構図のほかに、南部に産出する石油利権をめぐる争いでもあります。
この石油に関心を持つアメリカの仲介等もあって、2005年にバシール大統領とスーダン人民解放軍(SPLA)の間で暫定政権樹立の包括和平合意(CPA合意)が成立しました。

主な合意内容としては、1)自治権を有する南部スーダン政府の成立、2)南部スーダンの帰属を問う住民投票の実施(2011年実施予定)、3)南部の宗教的自由(イスラム法の不適用)、4)南部スーダンで産出される石油収入の南北原則均等配分などがあります。
2005年7月9日、バシールを大統領、SPLAのガラン最高司令官を第一副大統領とする暫定政府が発足しました。

その後、南北間の緊張が高まる事態もありましたが、今もCPA合意に基づき南部スーダン政府が自治権を有する形で南スーダンを統治しています。
しかし、頻発する紛争に対し、南スーダン政府当局者は、紛争が起きつつあるのを知りながら、紛争を予防する手段や民間人を保護する手段をとっておらず、また、国連ミッションも、差し迫る暴力に対処しなかった、とヒューマン・ライツ・ウォッチは批判しています。

“南部スーダン政府軍であるスーダン人民解放軍は、被災地域の近くに基地があるにも拘らず、兵士と武装した民間人との衝突がおきる懸念から、兵士たちに対し、民間人保護のための介入をすることを禁じた模様である。”【6月21日 ヒューマン・ライツ・ウォッチ】

【大統領選・総選挙と住民投票】
スーダンでは来年4月に大統領選・総選挙が、11年には南部の分離独立を問う住民投票が予定されています。
こうした政治日程を控えて、一段と情勢が悪化することが懸念されています。

****スーダン:南北間の対立続く 来春、内戦後初の総選挙*****
アフリカ・スーダンで、南北内戦終結後初めてとなる来年の大統領選・総選挙の実施が危ぶまれている。石油資源を巡る南北対立が完全には解消していないのが一因だ。南部では最近、民族抗争で多数の死者が出て、南側は「北側の陰謀」と非難、南北間に緊張が走った。帰還した難民の定着も、南北対立やインフラの未整備で困難に直面している。

ロイター通信によると4日、南部の村で住民25人が死亡した。民族抗争とみられるが、南部・暫定政府は、北部・中央政府の与党が片方の民族に武器を援助するなど「南部の不安定化を謀った」と非難した。北部側は否定している。国連によると、南部では1月以降、民族抗争で2000人以上が死亡した。
北部と南部は、石油資源が豊富な中部アビエイ地区の帰属を巡り対立してきた。ハーグの常設仲裁裁判所は今年7月、アビエイ地区の範囲を画定する判決を出し、双方は受け入れたが、その帰属については南北間の駆け引きが続いている。背景には南部政府が収入の98%を石油に依存している事情がある。
大統領選や総選挙は来年4月、南部独立の是非を問う住民投票は11年の予定だ。選挙に向け人口調査が実施されたが、南部は「実数より少ない」と結果受け入れを拒否した。
日本の外務省関係者は「選挙ができるのか。国際社会で疑念が強まっている」と話す。(後略)【9月10日 毎日】
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来年の大統領選・総選挙も大変ですが、11年に予定されている南部スーダンの帰属を問う住民投票になるともっと厄介です。
単純に考えると、これまでの北部アラブ系との抗争の経緯から、独立支持が圧倒的多数をしめるのでは・・・と想像されます。「南部住民の90%以上が独立に投票」との世論調査もあるようです。
もっとも、先述のような部族抗争が続くなかで、異論もあるようですが。

しかし、そうした住民投票を、北部に基盤を置くバシル大統領が素直に実施して、その結果を受け入れるのでしょうか?
仮に、住民投票が実施されて「独立」となったとして、今も揉めている各部族間の抗争が一層悪化することも懸念されます。

過去も現在も悲惨な話が多いスーダンですが、将来に向けても難題が山積しています。

コメント
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