
(広島の原爆投下後の様子 こうした写真を目にすると、核の傘云々の議論も、また違った視点で見えてきます。
“flickr”より By neepster
http://www.flickr.com/photos/neepster/3144213423/)
【中国・ウルムチの報道規制】
報道写真は、現地で起きていることをダイレクトに我々に知らせてくれます。
(もちろん、何をどのように撮るかで、そのイメージが大きく変わりますので、1枚の写真に写されたものが真実の全てであるという即断は控えるべきでしょうが。)
そして、ときに(あるいは、常に)為政者は、何が起きているのかを国民の目から隠したがるものです。
再び不穏な空気が満ちている中国・ウルムチでは、厳しい報道制限が敷かれています。
****「写真消せ」、ビデオは没収 厳戒ウルムチ、取材規制*****
数万人規模のデモの責任を問われ、共産党委書記が解任された中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市は6日、戒厳下に置かれ、外国メディアの取材も厳しく制限された。自治区公安庁のトップも更迭するなど、中国で人口の約9割を占める漢族の抗議活動を胡錦濤(フー・チンタオ)指導部が深刻に受け止めていることをうかがわせた。
3日に群衆のデモが押し寄せた市政府周辺。武装警官を満載した草色のトラックが横一列に並び、道路を封鎖して「団結安定は正しい、分裂動乱は過ち」とのスローガンが掲げられた。撮影しようと記者がカメラを向けると、自動小銃を抱えた武装警官2人が駆け寄ってきた。
「何を撮ったんだ。今すぐこの場で消去しろ」
香港のテレビ局カメラマンは4日、デモを取材中に武装警官に押し倒され、額と足を負傷。撮影したビデオも没収された。
6日には香港の記者ら計5人が取材中に拘束された。日本の通信社カメラマンも、写真を保存した記憶メディアを取り上げられている。
ウイグル族のデモに端を発し、当局の発表で197人が死亡した7月の騒乱では、地元当局が取材ツアーを企画するなど現場をメディアに開放した。ウイグル族の「暴動」が多くの犠牲者を生んだという構図を国内外に印象づける狙いも指摘された。
しかし、今回は中国政府が発行した記者証と現地の取材許可証を持っていても「関係機関が駄目と言えば駄目」(市当局)との立場だ。5日には自治区公安庁長も更迭。現地入りした孟建柱公安相が党中央の意向を背景に大なたを振るったとみられる。【9月7日 朝日】
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【死に行く兵士 アメリカ】
為政者が見せたいもの、見せたくないものと、報道写真の衝突は、ひとり中国だけではありません。
今、アメリカではアフガニスタンでの戦闘で傷ついた兵士(その後死亡)と仲間の兵士を従軍女性カメラマンが撮った写真が論議を呼んでいます。
問題の写真は、ニューヨーク・タイムズのウェブサイトhttp://lens.blogs.nytimes.com/2009/09/04/behind-13/ で、冒頭写真の(2)を選択してもらうと見られます。
TVや映画でむごたらしい場面を見慣れた目には、それほどリアルな写真とは思えません。拡大しないと何が起きているのかよく理解できないぐらいです。
****遠い国で自分の息子が死んだ時、戦場の悲惨を写真で見せる是非********
アフガニスタン南部ダハネで8月14日、米海兵隊員ジョシュア・バーナード上等兵(21)が、手投げ弾(ニューヨーク・タイムズ記事によれば、RPGのような“無反動ロケット砲” aziaonokze注)攻撃から足に重傷を負い、後に治療中に死亡したのが発端でした。このとき小隊に同行していたAP通信のカメラマン、ジュリー・ジェイコブソン記者が、望遠レンズを使って離れたところからこの一部始終を撮影。
米軍とマスコミが交わす従軍取材の覚え書きでは、死傷者の写真は遠くから撮影し、掲載する際は当事者の顔や名前、ケガの様子などが分からないようにするという約束があるそうです。
けれどもAP通信は、この写真を配信することを決断。亡くなったバーナード上等兵の両親を訪問し、事前に写真を見せて状況を説明した上でのことです。海兵隊曹長だった父は、写真を使わないようAPに要請。「この写真を配信すれば、息子の思い出を傷つけることになる」と。
そしてAPは当初、現地の作戦基地で行われた上等兵の追悼式の写真のみを配信しました。
けれどもAPは9月初め、問題の写真については9月5日の解禁日時を指定した上で、アフガニスタンの戦場についての記事と複数写真をパッケージにして加盟各社に配信。
この間、バーナード上等兵の家族は重ねて掲載に抗議し、ゲーツ国防長官もAP通信社長に書簡と電話で、配信しないよう強く要請。「なぜ貴社が遺族の願いにわざわざ背くのか、そんなことをすれば遺族の悲しみを増すだけだと分かっているのに、なぜそんなことをするのか、私にはとてもではないが理解できない」と。
悲しむ遺族の大事な「息子が傷つき倒れ伏しているこの写真を、アメリカの新聞各紙の一面に載せようとするなど、なんて情愛と常識に欠けた、とんでもない行為か。問われているのは法律や政策や憲法上の権利の問題ではなく、適切な判断と当たり前の良識の問題だ」と。
一部の報道機関は配信されたこの写真を使いませんでしたが、AP通信によると、ニューヨーク・タイムズなど約20社がこれを掲載(ほとんどは一面には使わず)。これを受けて国防総省は、AP通信にあてた長官の抗議書簡を公表。そしてネットを中心にあちこちで、議論が始まったのです。
死傷した兵士の写真を、顔や名前や負傷の程度が分かる状態では使わないというそれまでの慣例を破り、なぜ配信したのか。AP通信の編集局長は「この写真は、犠牲を物語り、勇気を物語っていると思った。人々はこの物語を直視して、そして知る必要があると思った」「戦争の複雑さと、犠牲と、そして残虐さを示すことに、この画像の価値があると考えた」と説明。
掲載したニューヨーク・タイムズの編集局次長は「ニュース価値のある写真で、(アフガニスタンの現場で)起きたことを思いやり深く描写している。ただむやみにどぎつい写真ではない。戦争というのはこういうもの。兵士は死に至る重傷を負い、同僚たちは戦友をなんとか助けようと急いで行動するもの。それがこの写真には表現されている」と説明。
さらに、この写真を撮影した当のジェイコブソン記者も、息子のこうした写真を報道されたくないという家族の気持ちはもちろん分かるとした上で、「けれども同じ部隊のほかの兵士たちにこの写真を見せたとき、みんな(上等兵が倒れた写真で)一瞬手を止めるのだけれども、文句を言う人はなく、誰も怒ったりしなかった。こういうものなんだと、みんな分かっていたから。彼は仲間だったけれども、これが現実なんだと、みんな分かっていた」と書いています。そして、戦場で死傷者がでた場合、近親者に知らせた後にその名前だけは記事にしていいことになっているのだが、「名前だけでは、その犠牲に人間味を持たせることはとてもむずかしい」と。つまり画像があれば、一人の戦死者の名前に顔がつき、「若者が戦闘で死んでいくというのが、本当にどういうことなのか、知らせることができる」と。(後略)【9月7日 gooニュース 加藤祐子】
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【尊重されるべきもの】
頭で考えれば、戦闘行為に負傷や死が必ず存在することは当然のことですが、単に“どこそこでどんな戦闘があった”“その戦闘で何名が犠牲になった”という記事だけでは、あるいは、犠牲者の名前が報じられたとしても、茶の間でくつろぐ私達の感性には、その負傷や死が一体どういうものであるのか、言い換えれば、戦争というものがどういうものであるのか、それは決して画面上のゲームのようなものではないということ・・・そういうことが伝わりません。
手足がちぎれた死体も日常茶飯事であろう現実の戦場からすれば、随分と抑えたとも見える問題の写真などを目にすることで、ようやくおぼろげながら戦争の真実に我々も気づきます。
しかし、戦争を遂行するゲーツ国防長官のような立場にあれば、国民にはそうした戦争の真の姿などは知ってほしくない、いかに我が軍が勇敢に戦っているかだけを知って欲しいと思うのでしょう。
確かに、従軍取材であることを考えると、約束に反するという怒りはわかります。
また、遺族が公開して欲しくないと言っているときに、その意志に反することがどうか・・・という問題はあります。
ただ、より大きな問題として、国民にこうした戦争の姿を知らしめないままに、戦闘拡大、増派などの政策決定がなされていくことの不誠実さ、或いは“欺瞞”の問題があります。
国民が、戦争で敵・味方が蒙る痛み・悲しみを自分のものとして感じたうえで、それでも“闘うべき”と判断するのであればそれは尊重すべきでしょうが、極力そうした負の要素を覆い隠した形で進められる戦争は、国民を欺いているというべきでしょう。
問題となった写真などを見て、死や負傷への恐怖を感じるのであれば、その感情は“愛国心”といったものでごまかすことなく、素直に国家の意思決定に反映されるべきものです。