忠兵衛は大和の百姓のイエの生まれだが、「敷銀」(持参金)付きで大坂淡路町の飛脚のイエ:亀屋の後家・妙閑のところに養子に入った。
この際「敷銀」が授受されるのは、普通に考えれば忠兵衛が逃げないようにするためだろう。
つまり、忠兵衛も梅川と同様、「カネによって自由を奪われた人間」であり、イエとイエの間のレシプロシテの蟻地獄に囚われた状況が出発点である。
ちなみに、この「主人公が養子」という設定は「曾根崎心中」とも共通しており、徳兵衛の方は結納金を返済できなくなって心中したのだった。
このように近松は、「自由とカネ(あるいは信用)」というテーマをくどいほど追求したのだが、ここで注目すべきは「他人のカネ」と「自由」との関係である。
・・・「封印切」に戻ると、忠兵衛は身請け金のうち50両を手附金として支払ったが、これは八右衛門から借りた金を流用したもの、つまり「他人のカネ」である。
ところが、その八右衛門が、梅川の身請けを申し出る。
「実はこの八右衛門も梅川を身請けするつもりでここへやってきています。お金持ちなのでまとまったお金をぽんと出して自慢気だったのですが、井筒屋のひとびとにはなにやら冷たくあしらわれてしまいます。
ははーん…これは忠兵衛の奴のせいだな?あいつめ…とおもしろくない八右衛門は、どうのこうのどうのこうの、ほんとは金なんかないんやろ、あいつが持ってるのは人の金やで、などと忠兵衛の悪口を言ってその場をいや~な空気にします。
実はこの悪口を、忠兵衛は二階のお座敷でしっかり聞いていたのであります…忠兵衛は優男ではありますが意外とカッとなるタイプのようで、頭に血がのぼったまま八右衛門のもとに駆け下りてしまい、金はある!お父さんからお小遣いをもらったばかりやで!三百両もあるがな!などとよせばよいのに見栄を張ってうそをついてしまうのです…・・・
八右衛門のおちょくりに応じてしまった忠兵衛は、やがて引っ込みがつかなくなり、とうとう金包みそのものを見せることになってしまいます…
そもそも忠兵衛が持っているのはお仕事で預かった「公金」
こうした取引に使うお金というのは横領を防ぐため丁重に紙で包んであり、役人による封印がしてありました。この封印を切ることはすなわち横領、死刑確定の罪であったのです。」
忠兵衛としては、ブラフを使ってでも八右衛門を競売から下りさせればよい。
そこで「カネ」を見せつけたのだが、その際、封印を切ってしまう。
ところが、これは飛脚屋が預かっている「公金」、つまり「他人のカネ」である。
しかも、その封印を切ることは「横領」に当たり、死罪に処せられることとなる。
そこで吹っ切れた忠兵衛は、カネをその場にまき散らし、梅川の身請けの支払いに充てる。
喜ぶ梅川とふたりきりになった忠兵衛は、「実はあの金は公金で、今すぐ逃げなければならない、そして一緒に死のう」と打ち明ける。
梅川は、大いに驚きながらも、「わしゃ礼言うて死にますわいな。どうか三日だけでも夫婦でいられたら」と切ない望みをかける。
忠兵衛と梅川は、廓の人々に見送られ、残った金を頼りに、大門の西から冥途の旅に出るのであった。
ちなみに、浄瑠璃では、この後夫婦となった二人が逮捕される場面で幕となる(心中ではない)。
・・・近松も言うとおり、「栄耀栄華も人の金」、これを裏返すと、
「他人のカネで自由を手に入れようとしてはならない」
のであり、これに背いたときの代償は高くつく。
何しろ、二人は命を失ったのだから。
というわけで、「恋飛脚大和往来」の「封印切」においては、「他人のカネ」を横領した代償として忠兵衛と梅川が死罪に処せられるので、ポトラッチ・カウントは、10.0(=5.0✕2人):★★★★★★★★★★。
・・・ところで、最近、
「自分のカネなら自由を手に入れることが出来る」
という仮説(便宜的に「逆近松仮説」と呼んでおく。)を実証した事件があった。
「・・・2023年6月の出来事はどのようなものだったのか。・・・ここで、強制性交罪で懲役4年の実刑判決を受けた新井浩文さんの案件を紹介したいと思います。・・・被害女性が拒絶していたということであれば、今回紹介した判決と同じになるし、・・・強制性交罪に当たるということになると思います。」
示談金が9000万円かどうがについては疑義があるようだが、これによって刑事処分を免れたということであれば、
「自分のカネなら自由を手に入れることが出来る」
という「逆近松仮説」を実証したということになるのではないだろうか?