Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

1月のポトラッチ・カウント(6)

2025年01月30日 06時30分00秒 | Weblog
 「鎌倉時代に実際に起きた曽我兄弟の仇討ちの物語は、江戸歌舞伎で初春の吉例として上演された祝祭劇。『寿曽我対面』はその集大成とされ、時代を超えて親しまれています。源頼朝の重臣・工藤祐経の館で催されている祝宴に、小林朝比奈の手引きで曽我十郎と五郎の兄弟が対面を許されてやって来ます。父の仇を討とうと逸る五郎が、工藤に詰め寄ると…。

 壽初春大歌舞伎・昼の部の最初の演目は、「寿曽我対面」。
 敵討がテーマであり、レシプロシテの塊のようなこの演目は、江戸歌舞伎では何と「祝祭劇」とされていた!
 これだけをとってみても、当時の日本が病める国であったことは一目瞭然である。
 さて、この演目は、観ているだけでは分からない設定のところに重要な事実が潜んでいる。

 「曽我兄弟の父は、18年前、一族の紛争にまきこまれて、工藤に暗殺されている。工藤と河津は従兄弟同士であるが、事件の真相は必ずしも明確ではない。河津の死後、兄弟の母満江は曽我太郎祐信に二人の幼児を連れて再嫁。そのために二人は「河津」から「曽我」と改姓した。工藤とは絶縁状態だから、顔を知らない。敵は工藤と思うものの、厳密には犯人として確定していない上に顔も知らなければ、敵の討ちようがないだろう。人と人とのめぐり合い---対面はそれ自体が運命的なものであるが、この場合は敵討ちのために必要欠くべからざるものだったのである。」(p156~157)

 つまり、「対面」は、面割(犯人性の認定)と自白(犯罪事実の認定)という、有罪判決を下すためには必須の事実認定プロセスを劇化したものなのである。
 対して、工藤も、「こいつらに討たれてやろう」という覚悟を抱くのが面白いところで、いかにも命は差し上げましょう」と述べた幡随院長兵衛によく似ている(5月のポトラッチ・カウント(2))。
 工藤は、河津暗殺の代償として、つまり疑似ポトラッチとして、自分の命を捧げることを決意したのである。
 もう一つ面白いところは、兄弟が、養父の祐信が紛失していた源氏の重宝「友切丸」を手にするところ。
 これは言うまでもなく苗字と並ぶイエの表章であり、これを使用することによって曽我家への報恩も適うこととなる。
 以上のとおり、「寿曽我対面」は、工藤によるポトラッチ(一種の自殺)が計画されているものの、まだ何も起こっていないため、ポトラッチ・ポイントはゼロ。




 



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