加藤紘一 自民党元幹事長 死去
加藤氏の人生が、失敗した「加藤の乱」で要約されてしまうということは、厳しい言い方だが、政治家人生が「加藤の乱」で終わったことを示しているようなものである。
「加藤の乱」についていうと、結果論だが、宏池会内部に執行部と通じた人物が複数存在することを把握していれば、最初から失敗に終わることは目に見えていた。だが、もっと大事なことは、失敗に終わりそうなことが確実になったときの身の処し方である。こうした時に人間の本質が問われるからである。
私は、当時は、加藤氏には2つの選択肢があったと思う。
一つは、「志のある者は私と一緒に内閣不信任案に賛成票を投じよう。その後は、離党することも含め、行動をともにしよう。」と呼びかけるというものであり、もう一つは、宏池会を例えば谷垣氏に委ね(谷垣氏以下の議員は本会議を欠席する)、自分1人で賛成票を投じるというものである。
このようにすれば、たとえ敗れても、加藤氏の政治生命が絶たれるほどのダメージは残らなかっただろうと思う。
合掌。
加藤氏の人生が、失敗した「加藤の乱」で要約されてしまうということは、厳しい言い方だが、政治家人生が「加藤の乱」で終わったことを示しているようなものである。
「加藤の乱」についていうと、結果論だが、宏池会内部に執行部と通じた人物が複数存在することを把握していれば、最初から失敗に終わることは目に見えていた。だが、もっと大事なことは、失敗に終わりそうなことが確実になったときの身の処し方である。こうした時に人間の本質が問われるからである。
私は、当時は、加藤氏には2つの選択肢があったと思う。
一つは、「志のある者は私と一緒に内閣不信任案に賛成票を投じよう。その後は、離党することも含め、行動をともにしよう。」と呼びかけるというものであり、もう一つは、宏池会を例えば谷垣氏に委ね(谷垣氏以下の議員は本会議を欠席する)、自分1人で賛成票を投じるというものである。
このようにすれば、たとえ敗れても、加藤氏の政治生命が絶たれるほどのダメージは残らなかっただろうと思う。
合掌。