明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作りたい物は、常にサメの歯のように後ろに並んで順番を待っている。それは何か食べたくなる時、頭で考えなくとも、鼻の奥にイメージが湧くのと一緒である。幼い頃頭に浮かんだイメージは何処へ消えて行ってしまうのか?次に思ったのはそのイメージは何処から来るのか。気の利いた大人でもいれば、「食べたい物は頭で考えなくとも自然に浮かぶだろ?あれと一緒」。とかいってくれたかもしれない。 一昨日テレビで始めて知った『見性成仏』(けんしょうじようぶつ)という言葉。(本来もっている自分の本性・仏心を見きわめて悟ること。すべての人が本来的に仏であることが体感としてつかみうることをいう。▽仏教語。特に禅宗の語。「見性」は自己の本性を見きわめること。gooより) 私は結局、私の正体がずっと知りたかったのであろう。ここへ来て現在のモチーフに至ったのも偶然ではないだろう。

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無呼吸症候群用スリープメイト一日目。朝、一瞬目が覚め、違和感についスイッチを止めマスクを外してしまった。おかげで二度寝してしまう。しかし午後寝ないでいられたのは久しぶりである。マスクを外さずにいたら、結果はもっと良かったろう。 ふげん社で、二年後に個展を、とお話しをいただいた時、もしや、と計算したら初個展から40周年であった。寒山拾得で、といったものの、さしたるヴィジョンがあるわけでなし、口からでまかせに近いくらいの話であり、しばらく金魚を眺め暮らそう、というのはブログを御覧の方はご存知の通りである。それが足を踏み外す?かのように寒山拾得を放って置いて、禅モチーフに向って行ってしまった。禅に興味があった訳でもないのに。さらに王様が私を石の塔に閉じ込め、ここで好きなことだけやっておれ、と命じたかのようなコロナの状況。また石塚式ピクトリアリズムなければ写真作品にしようがない。これらすべて偶然とは思えない。こういう場合、東洋の魔女の回転レシーブの如く、絶対に逃さず拾うことになる。これは良い悪いの問題ではなく、これが私の渡世だ、としかいいようがないのである。

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風に流され、予定の着地点からずれる、などということはよくあることで、当ブログなど、書き始めから横道にそれ、違うことを書いて終わる、などは茶飯事である。来年の個展に向け制作中であるが『寒山拾得展』が適切といえるのだろうか?昔は中国土産の定番として寒山寺の拓本の寒山拾得は掛け軸として旧家の床の間にぶら下がっていたようで、森鴎外邸にもあったようである。そんな時代ならまだしも。何のことやら判らないだろう。 まだ何も作っていない物を含め、今の所予定しているのは『寒山拾得図』『豊干禅師像』『虎渓三笑図』『一休宗純像』『臨済義玄像』『琴高仙人図』『蝦蟇仙人図』『鉄拐仙人図』『慧可断臂図』さらに私が『龍虎図』を作ることを果たして我慢出来るだろうか? いずれにしても、今年の正月、まだ金魚を眺めながら、何かが降りて来るのただ待っていた私に、このラインナップを突きつけても、半分以上何をいっているのか判らないだろう。

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それにしても、金魚を眺め暮らす、というのはナイスアイデアであった。下手な頭さえ使わず空っぽにしていれば、勝手に、あれやれこれを作れと降って来る。ぼーっと眺めていると30分などすぐ過ぎてしまう。 自然物である人間が作る高層ビルと、自然物である蟻が作る蟻塚は本来同じ物であろう。しかし人間は、余計な頭を使い過ぎると原発など作ってしまう。 寒山と拾得は文殊菩薩と普賢菩薩の化身ということになっている。現在廃止措置中だという高速増殖炉の原型炉を「もんじゅ」、新型転換炉の原型炉を「ふげん」という。目眩ましとしては、悪い意味で実に秀逸なネーミングである。宗教界からクレームは出なかったのだろうか?と検索したら。地元の「永平寺が命名に関わった説もあり、西田正法事務局長(56)は『菩薩の知恵を借りて無事故を願ったのなら浅はかな考えだった。仏教者として世間にざんげすることから始めたい』」と語りました。(2011年10月26日 読売新聞)
喝!!!


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人間も草木と同様自然物、草木が持っている程度の物はそなわっているはずであり、その声さえ聞いていれば良いのではないか。下手な頭を使って考えたことはことごとく外し、へそ下三寸より湧き出る命令に従った方が、その時何でこんなことをしているのか理解出来なくても、必ず辻褄が合い、結果が良いことに、早々に気付いたことは幸いであった。”考えるな感じろ“である。幼い頃は、何処かの王様に石の塔に幽閉され、ここで一生好きなことをしておれ、なんて夢見たような私は、レンズを外側に向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想、なんていっていた時点で、現在のモチーフに至るのは必然だったのではないか。元々無神論者で不信心者であつたから、寒山拾得も、ずっと、単に物語として面白いから惹かれている、と思い込んでいたので、宗教的な部分に至ることは避けるつもりでいたのに、金魚を眺めていれば必ず棚からぼた餅が降って来ると、思ってそうしていたら、あらぬ方向に向かっている。(あくまで撮影のために金魚を飼っている、と思い込んでいる人が存外いる)金魚を眺めるという“手法”は、思った通りの効果を私にもたらせた。金魚を眺めるしか策がなかったのは、つい最近のことである。 10年以上続けたジャズ、ブルースシリーズから突然作家シリーズに転向した時は、嗚呼これは戦前生まれの日本人なのだ、と澁澤龍彦の脚を何度も切断したのを思い出す。



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先日、爪は伸び、髪はボサボサの寒山拾得になぜ髭がないのか。星の数ほど描かれて来たのに。理由がなければおかしい。 寒山拾得について多く語られるように、私もその不可解な笑みだけを問題、また重要視してきたが、二面性どころか、人間のあらゆる矛盾が人間の形で表現されて来たのが寒山拾得ではないのか。 つまり笑顔のようで笑顔でなく、老人のようで老人でない。また愚者のようで愚者でない。間違いない。もっともそれに気が付いたところで、私の寒山と拾得がそう変わるとは思えず、座り心地の良い座布団とそうではない座布団の上に座って作った程度の違いしか出ないかもしれないけれど、結果は必ず違って来るだろう。そして個展会場では、例によって初めから知っていてそう作りました、という顔をする予定である。

 

 

 

 



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少々やらなければならないことがあり、朝目が覚めて、すぐに手にしないように寒山と拾得の首をタンスの上に置いて寝る。目を覚ますとまず手を伸ばし、制作中の何かを手にしてしまうと、もう一日はそれで決まってしまう。目が覚め、寝ぼけながら手にしなければ、他のことが出来る、はずであったが、結局、我慢できずに寒山と拾得の首を手にしてしまった。 最初寒山と拾得は、兄弟でも何でもないので、違う顔であったが、多くの作品のように、同じような顔がケラケラ寄り添っていた方が面白いと思い、二人似たような張り付いた笑顔に変えた。 映画『シャイニング』に双子の姉妹が出てくるが、テレビの解説、水野晴郎だったかが、アメリカ人は、ダイアン・アーバスの双子の姉妹の写真が思い出されて、あのシーンは恐く感じる、みたいなことをいっていたのを思い出す。 似た顔にして良かった。朝タンスの上の寒山拾得を手にしたからだ。おかげでその分、やれなかったことがある訳だけれども。



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寒山と拾得の頭部が出来たということは、通常なら、次は拾得の持つ箒を作る。目測で作るのだが、ジャズ、ブルースシリーズ時代、ギターのサイズを何度か間違えた。ただでさえ面倒で、やっと作って親指弾きを楽しみにしていたウエス・モンゴメリーは、しかたなく、大き過ぎたギターは後ろの壁に立て掛けるハメとなった。なのに懲りずに何でも目測である。箒の材料はすでに目星を付けてある。予定では荒く枝を括っただけのような物にしたい。そういえば金魚の水槽の中にも、ミニチュアの箒を入れておいたが、気が付いたらブラシの部分が金魚に食われていた。 寒山と拾得のヘアスタイルは、老人ホームのザンギリ頭が参考になる。あまりに酷く、植木屋の小僧がアルバイトで切ってるんじやないか、と母の髪は私が切るようにしていたが、待ちきれない母は、自分で切ってしまうのだが、すっかり上手になってしまった。



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対策  


寒山拾得は、笑っているようで笑っていない、笑っていないようで笑っている。見りゃ判るだろ、といえばそれまでだが、どちらか判然としない表情は気持ちの良い物ではない。そこには人間の、または物事の二面性を象徴しているのではないか。これは一休禅師の“目出度くもあり目出度くもなし”に思い至らなければ、未だにボンヤリ水槽の金魚を眺めていただろう。 寒山と拾得、どちらが寒山で拾得か、なんとか決まった。ここまで来れば、すでにおおよそ完成している計10個の頭部の精度を上げながら、虎をどうするか考えることにする。1猫を虎に変える。猫が思ったようにポーズしてくれない。2粘土で作る。最低二種は作らなければならず、気が進まず。3動物園の虎を撮影し使う。(エドガー・アラン・ポーのモルグ街の殺人でオランウータンで経験済み)立ち姿、寝姿、共に撮れそうだが、この場合、龍を作って龍虎図が出来ない。作らなければ済むのだが。



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クラスターが発性した母の居るホームから連絡があり、必要ある人は入院を済ませたということだろう。発症者はもう居ないということであった。アクリル越しの面会が可能になるという。母は発症しないまま元気だそうである。アメリカ在住の妹に知らせると、妹はワクチンを打たないという。  詳細な部分を残し寒山と拾得の頭部、どちらが寒山で拾得かは決まっていないが、おおよそ頭部出来る。方向性が決まってからはスムーズだったので、表情違いを作ることも考えたが、仙人ではないものの、妖精に近いキャラクターである。その表情は張り付いたように常に変わらず、の方が良いだろう。ただし、写真作品は数点制作する予定である。髪は人形用の髪を貼り付け、場面に応じて動きを出したい。 これで残る問題は虎であるが、おいおい考えることにする。

 



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寒山拾得については寒山詩の序文に痩せている、と書かれているのに何故殆どが肥満体として描かれているのか?謎はもう一つある。禅僧にはどうでも良いことかもしれないが、作ろうという私には大事である。寒山拾得の風体は乞食坊主調で、爪も伸びたまま。髪もボサボサ、なのに星の数ほど描かれた寒山拾得は、髭が描かれているのは見た覚えがない。仙人も含めて、この類の登場人物は長命、或いは世俗を離れた隠遁者を象徴するためか、髭を生やしていることが多い。何か理由があるとしか思えない。 そんなこともあり、制作中の寒山もしくは拾得は、今の所、青年または少年のようである。この笑顔のようで笑顔でない不気味さは、何処か藤子不二雄Aの漫画の登場人物を連想させる。ひょっとして、と検索してみたら、果たして藤子不二雄Aは、曹洞宗49代目住職の息子として、富山県氷見市の光禅寺という古刹に生まれる、とあった。ビンゴ!寒山拾得図を幼い頃から目にしていたに違いなく、人間の二面性、あの笑顔に影響を受けていたのは間違いない、と私は思うのであった。



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ようやく寒山拾得に取り掛かり、これが寒山になるか拾得になるかは判らないが、一つの頭部が取りあえず形になり方向性は決まった。随分長い間、取り掛かれず、ただ金魚を眺めていたが私には判っていた。ここで頭を悩ませ、粘土をひねっても、解決策は見出せず、粘土の無駄になる。こういう時こそ頭を空にすべきで、金魚を眺めていたほうが良い。   そうこうして、気が付いたら一休宗純の首を作っていたが、それを作ったから門松や、の“目出度くもあり目出度くもなし”に至り、寒山と拾得の笑みが”可笑しくもあり可笑しくもなし“だ、と思い当たり、ようやく着手出来た。 そして“笑顔であり笑顔でなし”の顔輝派たろうとする私は、表情に、顔輝派が使ったことのない調味料をちょこっと加えた。 ところでテレビで『キングオブモンスターズ』を見る。ゴジラ、キングギドラの造形、その他気に入らず最後まで見ていられなかったが、少々考えることあり。



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寒山拾得に惹かれたそもそもは、岸田劉生も麗子像に取り入れた不気味なアルカイックスマイルである。そう思って様々な寒山拾得図を眺めてみると、実は殆どユーモラスな二人組であって、例の笑顔はほんの極一部であり、中国の顔輝の14世紀作由来のようである。それもあくまで伝とされているけれど。そして直接影響を受けた顔輝派ともいうべき寒山拾得図は、私自身は他に極一部どころか15世紀と17世紀各一点しか知らないのである。昨年、寒山拾得展を決めた時点では正直いってそこまでとは知らなかった。 それが寒山拾得の制作に、なかなか取りかかれない理由の一つでもあった。しかし、たまたまた臨済宗の一休禅師を作ることになり、それは小学生の時に”門松や、冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし“に、いたく感心したことを思い出したのが、横道にそれるように作り始めた理由だった。そう思ってみたら、寒山拾得の笑顔も、“笑顔であり笑顔でなし”だな、と思ったのはつい先日ブログに書いた時である。ついでに陶芸家を目指した十代の時に、河井寛次郎の”鳥が選んだ枝、鳥を待っていた枝“に感心したことも思い出した。それでようやく、これまで作った架空の登場人物とは違い、あくまで顔輝作調で行くことが決まった。


 



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蝦蟇蛙を作ったとなれば、豊干禅師の乗る虎をどうするか考えないとならない。数年前、猫を撮影し、虎を見たことがなかった絵師の描いた虎の味を出そうと考えたが、マタタビの助けを借りても思ったような様子を撮るのは至難の技である。特に寒山と拾得と豊干と虎が仲良く寝る『四睡図』などは、動物園でぐうたらしている虎を撮った方が良いかもしれない。 そろそろ寒山と拾得の頭部に取りかかかりたい。多くの寒山と拾得のように、ただ無邪気な唐子調ではなく、謎の笑みが不可欠であろう。笑っていて笑っていない。目出度くもあり目出度くもなし。あれに私は、引き込まれたのだろう。一つ決めたら、すべてそうあらねばならぬという、案外融通のきかない所のある私であるが、今取り組んでいるモチーフは、それではおそらく上手く行かない。 寒山拾得展を予定しているのに、突然脱線し関係のない『虎渓三笑図』に走った。これがおそらく功を奏した。あれで先ず、私の”寒山拾得でなければならぬ“が壊れたからである。欲動のまま作るに限る。



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昨年ふげん社での『没後50年三島由紀夫へのオマージュ展椿説男の死』は5月7日が初日であった。あの時の私に一年後、臨済義玄を作ってるぞ、といっても誰だそれ?というだろうが、臨済という名にピンと来て、『寒山拾得』始めたのか?というかも知れない。いつかはやるとは思っていたが、飯沢耕太郎さんとのトークショーの最後に、あれは社長の声だったか次は何を?に寒山拾得といってしまった。実は次、というより近い将来、くらいの心持ちであったが、あそこで言ったからこそ、ふげん社のふげんは、拾得が実は普賢菩薩の化身というところから名付けたと知り、二年後の個展も決まった。 私も昔であったら、すぐに寒山を作り始め、プレッシャーに追い詰められていっただろう。それが金魚を眺め、主役である寒山と拾得は未だ始めていない。さすがに自分の扱い方を学んだ結果だな、と思う訳だが、あまり余裕をかましていてもいけない.高校の夏休みに当てずっぽうで想像した“人生も夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に夏休みは終わる“がリアルに感じられつつある今日この頃である。臨済義玄の首制作の後、やたら眠く寝てばかりいる。



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