明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



全国から集められた写真を下に作られた『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年で坪内逍遥はタイトルに反して舞台の團十郎は実際はこんな物ではない團十郎は写真に撮られるのが下手だ、とぼやいている。私も最初は拍子抜けした。間接的に12代目に、当時の写真の長時間露光では難しかったのでは、とアドバイスをいただいた。写真嫌いであることなど様々な理由で舞台本番の迫力はとらえられていないのであろう。ただ舞台の扮装で記念写真を撮影したが如しである。しかし、荒事の團十郎を作るということから“冷静に”なってみると、高村光太郎のいう、力の入っていないという事ではちゃんと写っているといえるのではないか。実際現役時代の打團十郎を見ているであろう、先達の團十郎三体は、坪内逍遥同様こんなものではない、という頭で作ったのではないか?確かに高村光太郎ではないが、私にも少なくとも写真とは違うように見える。光太郎に『團十郎の首』というエッセイを書かせてしまう何かが團十郎の首にはあるのだろう。1作目を作ったときはこのエッセイを読んではいたが気にならず、観てはいないがこうだったのではないか、と想像で作ったが、時間も経ち、改めて光太郎の『團十郎の首』によって頭を冷やし、私にはこう見える、という團十郎の首になった。頭は薄いが壮年期、つまり先発3体に比べ、私の団十郎はかなり若い。後は普段着か、柄を描かないですむ舞台衣装にするかである。私の多くの作品がそうであるようにただ立っているだけにすなるだろうが、足の構え、首の角度で、ちょっとニュアンスを出したいところである。

HP

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小学生のユーチューブ講座で学び、ようやく乱歩3本のうちの2本をアップした。本日は『貝の穴に河童が居る事』前半部分である。 スライドは画像を順番どおり事前にパソコンに入れておかなければならなかったが、当日の朝、大幅な変更が出て、どたばたと並べ替えたが十分とはいかなかった。こういったものはタイミングによって面白くもつまらなくもなる。舞台の脇で私がスライドを切り替えたが、下手糞なハードルの選手のように歩幅の調整でアタフタした。この作品は河童の人間に対する復讐譚であるが、じっくり始まり中盤進み、最後に急な展開で河童の機嫌が直り郷に帰っていく。越孝さんのクライマっクスのたたみかけは義太夫ならではである。宝塚でも弁士でも少女マンガでも女性の描く中年男や老人には違和感があるが、竹本越孝さんの柳田國男演ずる?ところの翁が巣晴らしく、となれば女性だけに姫神様、少年といっても良い河童の三郎の演じ分けは見事である。そこに人間椅子で佳子役を演じてもらった鶴澤寛也さんのパーカッシブな三味線が絡む。作者の鏡花に観て貰いたいような画期的な演目になったのではないかと思う。いつか機会があればちゃんとリハーサルをして再演を試みたい。本日は私の失敗そのままの前半のみとなるが、後半は御祭り事の話の場面で祭礼鈴などと一緒に男根が出てくる、書籍では遠慮しすぎと印刷の都合でなんだか判らなかったが、加工前の画像と間違えてしまった。しかもその間の画像が無いため3メートルほどの男根が長時間さらされる結果となってしまったのでちょっと短くしたい。よって本日は河童が人間に腕を折られ、鎮守の森の姫神様に仇討ちを願い出るところまでである。

貝の穴に河童の居る事 (前半)


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搬入  


銀座は距離的には近いので助かる。寸前まで色を塗っていてタクシ一で向かう、今回のグル一プ展は一点は“キャバレ一”というテ一マが与えられている。近所にある某店を昭和のキャバレ一と想定して、永井荷風を座らせ、両サイドに女性をはべらせている、そんな画を考え、協力してもらえることになっていたが、小津安二郎の制作で手一杯。今回は断念し旧作を。 小津を設置。煙草を持たせるのを忘れる。下にムシロを敷きたいが、青々としていて、少し汚したい。これも初日に。2階がキャバレー関連の作品で、3階がそれ以外、ということだそうだが、ゆっくり観たいので観ないようにして帰宅。 長年通った店を放り出された連中の“落ち武者会”(仮称)へ。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


HP 



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三島由紀夫のペ一ジを作り替えている。少々手直した作品があるし、未発表の作品もある。三島に関しては『男の死』以外やりたいことはないのでまとめておきたい。 少し慣れて来たこともあるし、初めてHPを作った当時のようにマニュアル本を壁に向かって叩き付けたようには腹は立たない。なぜなら後から考えたら、すべて私が悪かったからである。それはしかたがない。PCを入手して一年経つか経たないかであり、要る物と要らない物の区別が付かず、PCから色々削除していて動かなくなったりしていた。 それにしてもつくづく不思議なのは写真やカメラ、デジタルなど、興味がないどころか嫌っていたことに限って重要な物に転じている。精神科医の友人がいっていた“嫌っていることには必ず自分の要素がある”ということなのであろうか。なので私はこうだ、などと自分のことは判っている、みたいな顔をしないことにしている。一寸先は判らない。しかし写真の素人なのに、突然廃れていたオイルプリントの制作に熱中する、なんてことはもう止めてくれよ。と自分に。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』

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和蠟燭も良いが植物油に灯心よる灯りがまた風情がある。撮影用にいくつか骨董市やヤフオクで灯火器を入手してみたが、いずれも素朴で単純な物である。未だに茶事に使われているようであるから、作家物もあるだろうが、多くは蠟燭が贅沢であった庶民が使っていた物であるから、陶芸作家などという存在が登場する以前の物が多いだろう。これなら私にも作れるような気がする。 私はもともと陶芸作家を目指していたがロクロをやったのは学生時代の二年だけで、その後二年間岐阜と茨城で陶芸には携わっていたが、岐阜は量産工場でロクロなどなかったし、茨城は下働き専門であった。その後は東京で自分の窯を持つべく溶接で物干を作っていたが器には関心がなくなっていた。地元には陶芸をやっている先輩がいたが、遊びに行っても、冗談でさえロクロどころか陶土に触れることもなかった。 それが、そういえば近所に陶芸教室があったな、と調べてみたりして。しかし何が迷惑といって、趣味で陶芸をやっているから使って、と手渡されることである。それが判っている分私はマシであろう。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』

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『三遊亭圓朝全集』(別巻)図録・資料集 角川書店(1976)は届いてすぐに包装紙を引き破いて読んだが、残念ながら肝心の圓朝像に関しては得るものはなかった。ただし資料として圓朝を作る人間には必携であろう。(私以外に誰がいる) 九代目團十郎を作った時のように、じわじわと、その偉さが染みてきている。 九代目は五代目尾上菊五郎とともに明治天皇に歌舞伎を披露し、その二年後には圓朝が口演をする。御維新以降、そんな物わかりゃしない田舎役人が演劇演芸、なんでも改良運動である。 明治23年に英国の軽気球乗りスペンサーが来日し興業をおこなう。大変な人出だったらしい。菊五郎はそれを観て舞台化しようと考える。英語のセリフも使いたい。そこで相談するのが伊藤博文。さらに菊五郎が圓朝を演じた。猫背の雰囲気まで出ていたという。 圓朝が猫背なのは正面からしか撮っていない写真では判らない。撮影した写真師もおおかた「師匠背筋伸ばして。」とかいったのであろう。判るのは斜めから描いた鏑木清方の画だけである。清方はその猫背の感じを表現したかったので、この角度を画にしたのは間違いない。伝えられる圓朝の“品格”も写真からは伝わってこない。

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昨年の6月に女将さんが熱中症で倒れ、以来休業している木場の居酒屋『河本』であるが、冷凍保存されていたわずかばかりの煮込みを解凍。超常連で消費することになった。一般客に出せるものではないが捨てられるのは惜しい。ちまたでは◯大煮込みと称されているそうだし、吉田類さんの煮込みランキングにも入っている。私にしては30年に渡りなじんだ味である。 現在『タウン誌深川』で木場の居酒屋K本として駄文を連載しており、厨房担当の女将さんの弟の“あんちゃん”に煮込みの作り方を聞いてみたことがある。「ただ味噌を入れるだけ」とそっけない返事。“親父におそわったまま”だそうである。レシピを聞いて再現できる類いのものでない。河本のホッピーや酎ハイを家で飲もうと、同じキンミヤ焼酎、ホッピーや炭酸を冷やし、同じジョッキやグラスで飲んでも何故か同じ味にはならない。私以外にも試した人は同じことをいう。店の雰囲気?と目をつぶっても無駄である。ホッピーや酎ハイでこの有様であるから煮込みに関しては言わずもがなであろう。これをもって河本の煮込みは消滅ということになった。女将さんはとっくに元気をとりもどしているが、姉弟いずれもご高齢である。一縷の望みといえば、あんちゃんの「仕入れ先に何回電話しても出ない」という言葉である。出ていれば仕入れるつもりがあったのではないか? 一年ぶりの煮込みは若干しょっぱかったが、皿の煮込みが一つ減る度これが最後か、とついシャッターを切った。

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私が想定した着物の着方は普通はありえないようだが、わずかながら日本画の表現にあった。和服のことについて教えてもらっている呉服屋勤めの女性に「妾宅の女性に見えてきます」というと「むしろお妾でなきゃそんな着方しないはず笑」とのお返事。 江戸庶民のある状態はどういう有様なのか、と江戸時代の風俗について図書館で調べていると、つくづく良い時代である。先日の世間のドタバタのせいもあり、よけいそう思うのかもしれないが。 欲しがらないしがんばらないし人と比べないし腹八分だし。家は開けっ放しだし銭湯は混浴だし、火事が多いから持たないし。永井荷風が江戸の風景を求めてぼやきながら歩いた気持ちが良く判る。さぞかし下駄が減ったことであろう。“天気がよし、夢でもよし、いつでもよし、どちらでもよし、もうよし、なんでもかでもずっとよしよし” この時代にタイムスリップしたら絶対帰エらねえ。

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『』



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“まだらの紐”を使っての撮影の件だが、大の紐嫌いのK本の女将さんに知られたらまずい。うなぎは勿論、とにかく長くてニョロニョロが一切駄目である。先日、拙著に掲載している、永井荷風の遺品のこうもり傘。ページをめくったとたん、傘の持ち手の影が“紐”に見えたらしく、女将さん慌てていた。 今回の朗読ライブ『貝の穴に河童の居る事』では時間の都合でカットしたが、鎮守の森の姫神様が、人間共を紐に命じて脚にからませ、連れ戻すこともできるのだ。というシーンは、娘の脚に紐が絡まったカットがあった。出版時にK本の常連に協力いただき、ご近所限定の出版記念会を開いていただいた。その時はこのカットは出てきたわけだが、来てくれた女将さんがどんな反応だったかいまだ聞いていない。 本日はジェームス・ブラウンの映画を観に行くつもりであったが、『タウン誌深川』で大人し気に写っているが、飲むと声がでかくなる男が田舎から来ていた。映画は行かず結局ハシゴ3軒。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第6回



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『タウン誌深川』の“常連席にて日が暮れる”連載第6回は、おしゃべりは女性の専売特許ではないことをK本で知った、という話である。いいたいことをしゃべってばかりのピッチャータイプと、聞く側に回ることが多いキャッチャータイプがいる。写真はどれを使おう、とK本で撮った中からテーマに合っているカットを選んだ。このことは入稿前に一度書いたような気がする。挿絵としては充分役目を果たしているのだが、手前に静かに飲んでいる男、内容からすればキャッチャーに見えるだろう。その向こうに手振りを交えて話している人がいるからなおさらである。しかしその実態は、飲まなければ静かなのに飲む程に声がでかくなる癖のあるピッチャーであった。K本はいかにも音を吸収する凸凹とした雑物に満ちているが、近所の壁面がステンレス板に覆われた立ち飲み屋などでは反響してうるさくてしょうがない。この男がトイレに立つと、店内の空気がホッとするのが判り、それを店の人にいうと、知らない客までドッと笑った。 何がいいたいかというと、写真はタイトルやキャプションで、いくらでも違った物になる。ということである。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第6回



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ヤフオクで入札したり、ネットで調べごとをしているとすぐ夜が開けてしまう。かと思うとまだ明るいと思っていたら結構な時刻だったり寝不足が続いている。昨日K本に顔を出すと、愛猫モッコを亡くして落ち込んでいるはずの女将さんが出て来た。話しているうちそろそろがんばりますか。との言葉を聞く。店に顔を出すとはやく部屋に戻っておくれ、と泣いていたモッコがいなくなったことと無関係ではないだろう。そして本日、早くから顔を出していた常連客から、すでに女将さんが店に出ている、とのメール。丁度ライカR用のアダプターが届いたのでズミクロンF2をα7に着けて出かける。もともと写真嫌いで写真を撮るのを許さなかったK本だが、撮影許可をもらって撮影を始めたのが丁度一年前である。休業状態がこれほど長く続くとは思わず、客がいない間に店内を撮影させてもらおうと思ったが、いつの間にか女将さんの表情を撮るのが主となった。やはり女将さんあってこそである。そして今日はホッピー、炭酸、すべて栓を抜いてもらい、焼酎を注いでもらった。何ヶ月ぶりであろうか。皆興奮気味である。耳が遠いことを除けば、その動きは全盛時と変わらない。この一年何事もなかったかのようである。 しかし煮込みの復活は無さそうだし、ツマミといえば豆腐半丁、あとは持ち込みで、片付けから勘定までやらねばならず、これでは営業再開とはいかない。よって毎日通って来た超常連と、その連れて来た客のみ、となっている。

タウン誌深川のK本についての連載も6回目がそろそろ配布である。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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図書館で着物の着付けや帯、用語辞典など違和感を漂わせながら並べている。家庭科が2であった私がなんでこんなことを、と思わないではないが。昔個展会場で、私の作ったピアノの鍵盤の数を女の子に数えられてしまったことは書いたが、せめて鍵盤の数くらい調べておこう、というわけである。それにしても約束事が多く、チンプンカンプンである。ところが以前被写体となってくれた女性が呉服屋に勤めていることを思い出した。深川江戸資料館の個展でも和服で来てくれた。そこでさっそくメールにて質問。現在の常識では無理があるようだが、なにしろ伊東深水がそう描いている。であればOKである。私は三島由紀夫に対するオマージュ男の死、として様々描いたが、それには未発表ではあるが、三島本人が魚屋になって魚をぶちまけ腹に出刃包丁を刺して死んでいる。ということまで演じて撮影させた、という事実が後ろ盾となっている。 ヤフオクで落札した物が届く。なんだか重い。開けると想像していたのと良い意味で違っている物がでてきた。明治に入ればすでにこんな物を使っている人は少なかったであろう。出品者もいっていたが、江戸期の物である可能性は高い。そこまで古い必要はなかったが、受け継いだ物を大切にする、新製品嫌いの女。ということにしよう。 図書館のトイレで手を洗っていてアイデイア浮かぶ。私の場合、どうしようかああしようかやっていて思いつく、ということはほとんどない。だいたい棚からボタ餅のように降ってくる。こんな時、いかにも思いついた、という顔をすると人にいわれたことがあるが、前に鏡があったので確認した。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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撮影用の小物はほとんど一度使えば捨ててしまう。音の出ない太鼓というが破れていなければ音は出るもんだろう、と思ったら本当に出なかった。ウサギが太鼓叩いて大喜び。これでおしまい。先日はやまって捨ててしまって後悔したのは番傘である。三島の背後の四人の着流しと質屋から出て来た樋口一葉に使ったから、まあ活躍してくれた部類であろう。穴が空いていて安かったし。 いずれ出番があるだろう、としまってあるのが、櫛や笄などの和装用小物である。鏡花でも谷崎でも同じ物というのも変なので、少しづつ集めておいた。しかし集めておこう、といかないのは着物である。『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)では、河本劇団?のメンバーの奥さんが着物をお持ちで、コーデイネートまで引き受けていただいたので助かったが、今でも思い出しては冷や汗ものなのは、制作が決まった時点で、その点についてまったく考えていなかったことである。前もって考えていたら、そのことがネックになり実現しなかったろうから、結果としてはそれで良かった。小5くらいの私だったら、私が思いついた時点で歴史が変わり、在りもしなかった着物が奥さんのところに出現などと考えただろう。 昨日も、ヤフオクで落札した物が届いた。これがあったらムード満点であろう、と思いついた物だが、骨董店で購入したらいくらするのか、と思うと出品者には申し訳ないような気がして厚く感謝しておいた。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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私の作る人形は関節でポーズが替えられるわけではないので、あるポーズが必要なら、その度作らなければならない。その場合は頭部一つにポーズを変えた身体を作るが、『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)の主人公河童の三郎は、泣いたり笑ったり一人でジタバタするするので、4種の身体と5、6パターンの頭部を用意した。それは短編とはいえ一つの作品をビジュアル化するには必要であった。それでも足らず、人間の出演者に動いてもらって、人形の不自由さを補ってもらう必要がある。そこで日頃飽きるほど眺めている河本の常連客から役者を選抜させていただいたが、この役者の評判が良い。河本の常連には、内容はともかく、見た目に使えそうな役者がまだまだ揃っているが、谷崎作品など手がけようとすると問題は女性である。多少の露出は必要になるし、そろそろ探さないとならない。

朗読ライブで最もどよめいたといわれるカット。河童が人間どもをこうやって懲らしめてくれ、と姫神様に懇願するが、人手不足で実現しなかった場面である。大魚は鏡花の指名通りイシナギを使用している。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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K本  


久々に粘土を注文し、うっとおしかった髪を切る。本当はこれを書いた時点で髪は切っていないが、こう書いておけば、K本に行くまでには切らなければならない。 現在、毎日通える超常連だけが顔を出している状態で、片付けから勘定まで自分たちで済ませていて、とても他の客を受け入れられる状態ではない。出てくるのは豆腐半分の冷や奴のみである。K本の皆さん御高齢で、以前のように営業再開することはなさそうである。昨年6月以来冷凍したままの煮込みもどうなることか。 私には女将さんの顔を見られないK本は考えられない。現在の状態は、10人ほどの地下壕での残党の寄り合いの如きものである。風通しが良く、人の出入りがあるのが本来酒場というものであろう。電灯も当たらず、使われる事のない店の奥が最近、増々霞んで見えるのであった。

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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回



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