明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



柱時計に入った夢野久作。狭いスペースで振り子を動かしているので初日はうまく動かなかったが、本日は快調に作動。 3日目くらいになると、ようやく客観的に作品、特に拡大プリントを観られるようになる。作家シリーズとしては開始当初の、何も考えずに誰それを作ろう、と浮かんでいたものが、そろそろなくなってきた。乱歩と並んで中学生時代にはまった谷崎潤一郎は、最初期の、ヌードに配しただけの作品以外、ほとんど制作していないから、具体的な作品について描いてみたい気がする。私が作ったのは中年から老年時代の谷崎なので、『春琴抄』の佐助をさせるわけにはいかない。となると『痴人の愛』『鍵』『瘋癲老人日記』のいずれかであろう。川端康成は作っておくべきだろう。などとと考える。プリントに関すると今日の段階では、拡大プリントが面白すぎて、普通のサイズが考えられない。 新聞の取材を受ける。刺青の入った三島を撮影されたが、果たしてあれが載るのか?5月6日の朗読ライブまでには掲載されるという。 昼過ぎに漫画家のうえやまとち夫妻が来場。奥さんとは陶芸学校の18歳の時の知り合いである。私がすっかり禿げた、という誤情報を聞かされてきたらしい。芳名帳に“クッキングパパ”と書いてもらう。 一箱古本市の発案者、南陀楼 綾繁さんと写真家の白石ちえこさん来場。白石さんには、私が密かに人形の佇まいに関して重要視しているところを指摘される。二人目である。 4時も過ぎ、来場者がほとんどいなくなったところに今拓也、岩崎宏美夫妻が来場。母の心配までしていただいたが、夜中に目を覚まして餅食ったりしていることはいえず。

 『特別展 深川の人形作家 石塚公昭の世界』

フェイスブック『石塚公昭の世界』

 『朗読、音楽、スライドで味わう 乱歩と鏡花』予約受付中

特別展『百年目に出会う 夏目漱石展』神奈川近代文学館 漱石像出品

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回 



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全盛期の72年に後楽園球場で観たエマーソン・レイク・アンド・パーマーのキース・エマーソンが亡くなった。来日時、機材が何トンというのが話題になった。当時のシンセサイザーは単音しか出なかったような気がするが、どうだったろう。キースは鍵盤にナイフを刺したり(鍵盤の間)逆さまに弾いたり、ギター等と違って自由の利かないキーボードプレイヤーがやれるだけのパフォーマンスを見せてくれた。また前座がオリジナルメンバーではなかったとはいえ、フリー(バンド名)だったから、同年のTレックス、翌年のハンブル・パイと並んで行っておいて良かったコンサートであった。そしてその頃、日本にブルースブームが起きる。街の普通のレコード屋にブルースが並んでいたから今では考えられない。その数年後。陶芸家を目指し自分の窯を作るべく溶接をして暮らしたが、その間に遊びで、焼く必要のない粘土で架空のブルースミュージシャンを作っていたら、個展をやることになり、窯が出来たときには人形を作る方が面白くなっていた。 そのまた昔、陶芸の学校に通っていた時、遊びで手捻りで、素焼きのブルースマンを作ったことがある。その第一作を未だに持ってくれている友人がいる。昔遊びに行った時、記念に撮影させてもらおうと思ってカメラを持って行ったが、あまりの出来に、撮る気になれなかった。

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深川の人形作家 石塚公昭の世界展

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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神奈川近代文学館より5月の漱石展のチラシが届く。おなじみのポートレイトが使用されていた。私が江戸東京博の漱石展のポスターを見て鼻筋の修正を疑った写真である。中学生の時、プラモデルの『メッサーシュミットMe262』をパテを使って日本海軍機『橘花』に改造しようとして失敗したのを思い出したくらいだが(わかりにくい)撮影者はたぶん野島康三の弟子で、腕は一流だったろう、しかし後世大きく引き伸ばされ、ポスターとなって町に張り出されるとは思ってもいなかったに違いない。 ところで昨日、大伸ばしする予定のカットをテストプリントしたところ、私の行った、ひどい修正跡が露見した。拙著の表紙にも使用した澁澤龍彦である。当時は写真の粒子について無頓着であり、パイプの煙を加工したついでに色々しでかしてしまっていた。普通であれば気がつかないが、巨大になったとき、その修正跡は赤面物であった。

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

関連イベント3月10日予約開始

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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深川江戸資料館の個展関連イベント5月6日の朗読ライブ。第1部の乱歩作品は、2006年に世田谷文学館でおこなった再演ということになる。その時は4作品を2部に分けたが、今回は2部の泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』と1時間づつ。合わせておよそ2時間を予定している。となると何をカットするかだが、手首を喪ったピアニストの話『指』は世田谷文学館を医院に見立て、ピアノの嶋津さんにピアニストを、医者を副館長、アルバイトの女の子に看護士役をやってもらった。その日限定の作品であったが、人形も出てこないし会場に合わない可能性もありカット。残る『屋根裏の散歩者』『白昼夢』『人間椅子』だが1時間をオーバーしてしまう。2作品にしてゆったりやるべきか、構成もお願いしている朗読の田中完さんとピアノの嶋津健一さんに相談したところ、約6分間分を構成し直し、3作品でいくことになった。3月10日より予約受付。

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

関連イベント

『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回 

 

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『深川江戸資料館』には今のところ、こんなところが出品可能と伝えてあるが、場所柄から、まだリストに入っていない徳川慶喜、坂本龍馬、九代目市川團十郎を出品して欲しいとのことである。となると、この辺りで一人くらい片付けておかないとやっかいなことになりそうである。坂本龍馬にする。どんなポーズをさせて良いか浮かばなかったので、馴染みのポーズにしたが、当時の長時間露光では写らなかったであろう、着物が風にたなびいているところにした。この人物をこう解釈した、というところを見せたいわけで、写真は撮ったその人の解釈も入っている場合もあるので、そのまま乗っかりたくはない。せめてスタジオ内の龍馬を軍艦の舳先か高台から太平洋を望ませたい。 不鮮明ながら龍馬の真正面の画像をネットで見た。スタジオのちょっと下から撮った顔と違い、顔の下半分が長く見えた。

朗読ライブ

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 30年通う行きつけの居酒屋『河本』は依然として休業状態で、わずかな超常連が様子を見に覗いているが、女将さんは寒いこともあり、たまに挨拶程度に顔を出すくらいでほとんど寝ている。暖かくなったら、と望みを抱いているのだが、はたして。その超常連にこのところ災難が続いている。昨年酔って自転車で転んで左肩を折った男が発端であった。すでに山で片脚ずつ計2回骨折し、ヘリコプターの世話にもなっている。ほとんど完治したと思われた先日。今度は別の人がつまづいて鼻骨を折って手術をした。と思ったら3人目。今度は自転車で一回転して肘を骨折という知らせ。3度あることは4度なければ良いのだが。一時当ブログの常連だった60過ぎの酔っぱらいがいて、朝っぱらから血を滴らせながら歩いていたり、鎖骨折ったり、救急車に乗せたりしていたのであまり驚かないが。 三島由起夫をロクロ台から切りはずし仕上げが進んだ。首の角度を修正。すでに自立している。後は細かな仕上げ、着彩の後、唐獅子牡丹を描いてもらうため「彫S』にゆだねるだけである。 背後の4人が持つ番傘をヤフオクにて落札。撮影用なので小穴が開いていてもかまわない。どこで調達すれば良いのか、というものが居ながらにして入手できるので助かる。太鼓(壊れていて鳴らない)日本髪のカツラその他、ずいぶん利用した。高倉健と池辺良の道行きの『昭和残侠伝』のイメージなので番傘は必要である。樋口一葉に持たせた番傘。粘土で作ったいい加減なもので、拡大にはどうかと思っていたのでこの際、本物と差し替えよう。

朗読ライブ

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河本の周辺には信号機が多い。夜外観を撮る場合、どうしても赤信号でシャッターを切ることになる。他の色では少々寒々しい。一方店内の場合、ガラスが信号各色に染まり、ステンドグラスのような発色で、なかなか綺麗に写る。こちらは店内の暖色系蛍光灯のせいか、青や緑が映える。なので時に信号が変わるのを待ってみたりして。醤油で煮しめたような昭和な店内に信号機によるカラフルなガラスは独特な効果を醸している。 深川図書館へ。暖房が効きすぎて暑くてしょうがない。しかたがないので、人が出入りして外気が入り、多少ましな一階のソファーで読む。来年個展を予定している深川江戸資料館へ。レクホールの展示している状態を見ようと思っていたら終わっていた。開けてもらって空の状態を見てみたが、記憶以上に広い。展示できる作品を全部、といってはみたものの。個展の会期中にある、スライドを上映しながらの朗読ライブ。そのホールも見せてもらった。230席。GWあたりは集客が難しいと聞く。今年の個展で身を持って感じたばかりである。告知も早めに始めよう。 先日水木しげるが亡くなった。子供の頃から好きであったがゲゲゲより『墓場の鬼太郎』である。世の中可愛いもので溢れている。特に女性は「美味しそう」と同じ調子で「可愛い々」と連呼しているが、せめて妖怪やお化けの類いくらい怖くて不気味なものとして存在していて欲しいものである。二部に予定している『貝の穴に河童の居る事』の朗読をしていただく女流義太夫の竹本越孝さんからは“悲しいほど可哀想で愛らしい河童に思いをかけてみます”といっていただいている。本来『フランケンシュタイン』や『ゴジラ』だって(愛らしいかはともかく)そんな物語だったはずである。

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一日  


河本では客が女将さんをいたわっているつもりで、女将さんに10歳児にさせられてしまう。もちろんアルコールも作用しているわけだが。 お酉様に出掛ける時、古い熊手からお目出度い飾りを外し、それが店内に増えていく。気がつくと妙なところに海老がいたりして。昨年の熊手は真ん中の列に小判をくわえた獅子。その下に金の俵。そして下から俵に向かって龜がいる。長寿の象徴である苔の尻尾を生やしている。それが緑色だったら良かったかもしれないが、紫色である。これが女将さん気持ちが悪いという。尻尾は外されることになった。それは先っちょを束ねて結わいてあるので、断髪されたチョンマゲのようである。 帰宅後、データを選んで現像、チェックするが、撮影者である私は当然写ってはいないが、輪の中に溶け込んでいるわけである。しかしすっかり酔いが醒めた私の目の前のモニターには、紫のチョンマゲを頭に乗せた70代。それを見て爆笑している50あたりから85歳まで。ほんとに私もこの中にいたのか? チョンマゲといえば元横綱北の湖が亡くなった。私がもっとも相撲に熱中していた頃の横綱である。両国中学出身だったと思うが、高校の同級生に、後輩がいて、学内でも番付が優先されるらしく、同じ相撲取りの先輩をパシリに使っていたらしい。ご主人が元力士のラーメン屋が近所に越してくるのだが、北の湖は力士関係者に信頼されており、大変人気があると聞いたことがある。

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先日撮影したモッコは毅然とした様子でこちらを見ている。モッコがこんな表情をすることは知らなかった。女将さんを常連は心配し、いたわっているつもりで実は女将さんに10歳の子供にさせられていたように、店にいる女将さんを早く部屋に帰ってこいと甘えていると思っていたモッコは、実は女将さんを心配し、守っているのでいるのではないか?その表情を見てそう思った。 始めてモッコを撮影した時、逃げることもなく、じっとレンズを見つめて答えてくれた。あんちゃんは「こんなの初めて」という。その時であったろう。私は河本を撮ることができる。と思ったのは。そういえば女将さんの部屋で、ベッドの上に腰かけたツーショットを撮った時、撮らせてはくれたがにらまれた。直後に大アクビしてたけど。

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女将さんが店内にいると、早く部屋に帰って来いと鳴くのが猫のモッコである。神経質な猫であるが、私がカメラをかまえ名前を呼ぶと、何故だかちゃんとレンズを見つめてくれる。 ミラーレスカメラに5、60年代のレンズを着け、絞り解放で撮ることも多い。当然ピントはマニュアルなのでピンぼけ写真も多い。私の場合、まだ老眼を感じたことがないが、乱視が進んでいるせいだろう。なのに眼鏡はただ紫外線をカットするだけの素通しである。飲酒の果てにしょっちゅう寝床で壊してしまうことと、乱視の度が左右異なるため、床が斜めに傾いて見え、身長も2メートルほどに感じてしまうからである。 モッコはかなりな年寄りらしいがモッコらしいカットはすでに撮ったと思っていたが、モッコ出てきた。の声を聞くとどれどれ、とつい見にいってしまう。そして昨日ピントがドンピシャというカットが3カット撮れた。モニターでチェックすると中の1カットでは、撮影者より位は上。という表情をしている。撮らせていただく都合上しかたないだろう。


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九段下の画廊でオイルプリントの個展をやった時のこと。何度か書いたし写真もアップしたが心霊写真を撮った。通りの向こうは靖国神社。地下では226事件の将校がビラを刷ったと聞いていた。それは尾を引きながら蠢き飛び回る白い煙状の物であった。フィルム式コンパクトカメラのフラッシュ撮影である。正体はともかく、フラッシュの一瞬にあれだけ動き回るのだから、人の目に見えなくて当然である。 前置きが長くなった。河本の女将さんは表情豊かでくるくるとよく変わる。それがまるで円生の高座での表情を追ったように見えたり、手振りを交えて民衆に訴えかける闘士のようであったり、大口あけて、これ以上ないような笑顔だったり。これこそ変化のスピードが速くて、帰宅後現像しては驚いている。知ってはいるお馴染みの表情のようでいて、他の常連が見ても新鮮であろう。また前述の心霊写真のように、変化するなかで、目でとらえきれない見たことのない顔もある。ほとんどのパターンを撮ったつもりでいて、また本日も、新たな表情を撮ってしまった。

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ブログを書いていて、筆がすべり過ぎて没に。 河本が休業したのは6月だったかろうか。だとすると、すぐ半年ということになる。女将さんはほぼ休業前と変わらないように見える。問題は煮込みである。河本の煮込みが◯大煮込みだ云々、といわれていること知ったのは最近のことだが、厨房担当の弟のあんちゃんの目の調子が悪く、包丁を扱い難く、煮込みを出すことが出来ないのである。 休業後の常連の対処の様子を書いていたら、たまたま先日、河本がなくなったら行くところがなくなってしまう、と常々いっている人から、あるアイデアを聞いた。ブログを書いていて、必ずそうなることが判っている時に限り、ちょっとしたことは先に書いてしまう時がある。さすがにアップするのは事を見届けてからにするが。 本日は書いているうちに、例のアイデアが実現したとして、と夢想しているうちに最後つい問題解決メデタシメデタシにしてしまった。勿論そんな出鱈目はアップしない。しかしまんざらない話ではないな。と削除せず、その通りになって再開が果たせたら『タウン誌深川』の原稿の足しにでもしようと取っておくことにした。

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河本は外観。店内。カウンター上のグラスや花、肴。女将さん。客。お酉様。それぞれフォルダに分けて整理してある。 客に関しては背景に配してPINとをはずしたりして、知っている人がこの中に?といわれれば知る人なら選べるだろうが、知らない人には判別できないようにしてある。1つには個人情報や肖像権云々もあるけれども、そんなことより、主役に目が行くようにしたい。常にピントが合っている人物はお将女さんである。(古いレンズにマニュアルなので、しばしばピントを外しているけれども) 人物像を作る時は頭部の制作にほとんどの時間をかける。身体に関しては勢いをもって一気に作る。これは目が顔に行くようにと、私なりに考えてのことである。 客がアイドルを囲んで楽しそうにしているのは、ブレていたりボケていても充分伝わる。その笑顔を見ていて、たんに休業の間に河本店内を記録しておくつもりから主旨がかわっていったのだった。 レンズに関しては、相変わらす3振も多いが使い方によってはホームランを打つのがたまらない。特に河本のような被写体には向いている。もっとも、細かいチェックをするわけではなく、ムラッときたりワクッときたら、それが私にとって良いレンズである。しかし、悪食の私がまったく旨味を見いだせないレンズが1つあった。 Meriter 2、9 50mm 良いのは小振りで軽いことくらいである。作った奴のツラが見たいとは思わないけれど。

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私が毎年参加する行事といえば、河本の女将さんを先頭にみんなで出掛ける富岡八幡のお酉様くらいである。八幡様は河本から何年か前から、

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河本の撮影には、主に旧東ドイツの、現在ではお目にかかれない描写のレンズを使っている。元は河童(私の作った)を撮るために入手したものだったが、小さな人形を背景に合成するにあたり、独特の描写が仇となり使えなかった。河本では合成の必要はないので遠慮なく使える。 各レンズは万能ではなく、一芸名人で、ある条件の時にのみ、突然爆走する。それは隣に座る人がカウンターに置いたカメラのモニターを見て違いが判るほどである。時に実景より美しい場合があり、それがたまらない。困ることといえば、突然一人が飛び出す(しかも個性的に)おかげでそれまで撮ってきたものを合わせるため、多くを修正することになる。実に面倒である。本来、飛び出した利かん坊を隊列に収めるべきであろうが、花の背景にオヤジ達が顔も判然としない状態でボヤけているだけなのに、なんだこの鮮やかさは。と結局古参のデータの方をそちらに合わせてしまう。ぼやきながらも、私のイメージする河本に近づいていく結果に。 こんなことを含め、方針も変わって来た。当初、休業の間に河本という昭和の残像のような、かつユニークな店を記録するつもりが、女将さんが元気になってくると、やはり女将さんの笑顔があってこそ。女将さんのカットが増えていき、さらに女将さんを心配し、いたわっているつもりの客の屈託のない笑顔を見ているうち、これはほとんどアイドルとファンの関係ではないか。というところにたどり着いた。きっかけは、河本について話していた良い歳したオヤジが酔っぱらって揉めたのだが、女性の常連が「みんな十歳なのよ。」仕事で子供を相手にしてるだけに実感がこもっている。そして連中を十歳にしているのは女将さんなのだ。以来そのつもりで撮っているのである。

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