明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



上半身だけの室生犀星は7月の展示には出品しないと思うが、いずれどこかで展示するにしても、今のままだと胸元を大きく開け、だらしなく、犀星が呆けているようである。展示用には胸元から顔を出す金魚がないとならない。金魚の透明感をどうする。ところが今時は、透明感が出る粘土が百円ショップにもあるというではないか。世間の女の子等は、それでキャンディ、などスウィーツを作るらしい。そう言えば、私が使用する粘土メーカー『バジコ』にお邪魔した際にそんな事が流行っていて教室まであると聞いたのを思い出した。 私は人形制作開始したのもここの粘土だった。85年にパジコ主催の第一回『人形達展』が銀座プランタンであり、当時架空のジャズ、ブルースマンの人形を作っており招待作家として出品したが、今は会社も大きくなったが、社長もまだ若く、作品搬入も車でやってくれ、その車中「石塚さんの使ってる粘土小学生用ですよ?」 何しろ小学校の図工の先生の所に遊びに行き「最近こんな粘土が出てるぞ。」と聞いて始めたからであった。勿論慌ててプロ用?粘土に換え今に至る。

旧HP

『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



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撮影用の上半身、しかも前面しか作っていない犀星だが、遠近感をデフォルメして作るつもりが、気が付いたら、普通に作っていた。あれ、背中を付け足せば、半身像として展示出来るな、と背中を付け足した。 昔、架空のジャズミュージシャンを作っていた頃、前ばかり夢中になりすぎて完成に近くなり、慌てて後ろを作り足すなんて事を良くしでかした。この〝芸当〟のため、こんな事をしてしまう、これも、先日のブログではないが、ギターのネックは左手で持つんだ。前ばかり作らないで、後ろもたまには見ろ、なんて〝余計な〟事をいう兄貴がいないせいである。褒められた物ではないけれど。 〝男は後ろを振り返るな〟という父親の言うことを素直に聞いて、死んでしまったのが東京オリンピック、マラソン銅メダルの円谷幸吉である。二位で競技場に入って来たのに声援でヒートリーが迫っているのに気付かず抜かれて三位に。テレビの前で「後ろ、後ろ!」と教えてやったのに。 そしてメキシコオリンピックを前に怪我とプレッシャーで自殺。私のヒーローも一転。川端康成が美しいと評した食べた物ばかり連ねた遺書も私には無気味なだけである。後ろと言っても人生上の事とトラック上の事は別であり、比喩表現という物がある事くらい自衛隊体育学校で教えてやれば良かった。

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『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



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