明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



連休に備え、食料、粘土準備万端。部屋に閉じ籠もり、仙人など作り、社会人にはあるまじき生活を送ろうと企んでいたところ母の居るホームにクラスターが発生。職員含め七十人超、約三分の一だそうである。おかげでケアマネジャーはたった一人だそうで、電話の対応もアタフタしている。母も陽性となった。受け入れ病院もないままだが、幸い今の所平熱で無症状だそうである。昨年末に脚の炎症で入院し大晦日に退院したが、元旦に病院からクラスターが発生したと連絡があった。90過ぎて、まだ自力で歩く気でいて、その病院のリハビリが気に入って、勝手に退院を引き延ばしてそんなことになった。私の諦めの悪さは、間違いなく母譲りであろう。今回も悪運の強さを発揮してくれるのでは、と期待しているのだが。戦中も隅田川の近くで壊滅状態の中、聖路加病院の極近くだったおかげで、爆撃を免れている。良くも悪くも母のパーソナリティには戦中うずたかい戦死者の山を目にしている事が影響していることは間違いない。私に、少なくとも社会人のフリぐらい出来るよう、苦労したのだと最近つくづく思うのだが、ここに至ればもう良いだろう。仙人作っていても母は全く驚かないだろう。母だけは私の正体を知っている。その点父は、プロレスが唯一の共通話題だったが、猪木派の父は私が実は馬場派だった事も知らずに死んでいった。



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