明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

制作  



母の転院、さらに脱水症状で入院、と少々落ち着かず、二人の人物の身体部分になかなか取り掛かれない。頭部と違って身体部分は一気に進めるので集中を要する。なのでその間にチビチビと頭部の完成度は増した。 すでに手がけた実像が不確かな達磨大師、慧可禅師はともかく、臨済義玄、一休宗純、蘭渓道隆(大覚禅師)無学祖元(仏光国師)と、相変わらず行き当たりばったり、後で計画通り作りました、という顔をする予定である。ただあくまで作り甲斐が肝心である。 蘭渓道隆師は、立体像が数種残されているけれど、南宋より本人が携えて来て国宝となった肖像画がもっとも実像を伝えていると判断し立体化した。無学祖元師は、来日前のエピソードである、坐禅中に元寇に刀を向けられながら、退散させたエピソードである。作品化された気配がないので制作を決めたので、頂相彫刻の最高作とされた木像があるのに、あえて作ろうなんて意味がない。という訳で、単に酔狂で作っている訳ではない、というつもりだったが、逆効果だったかもしれない。七百数十年間初の酔狂となれば私は見たい。



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