明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


市川猿之助、母親の自殺幇助で逮捕だそうだが、自分が死ぬならともかく、両親を道連れにするなど理解出来ない。澤瀉屋は、初代が〝劇聖”九代目團十郎に無断で勧進帳の弁慶を演じ破門になった。顔を見てもいかにも利かん気な顔をしており二十年後に許され初代猿之助となる。二代、三代の猿之助を見ても九代目による破門からすべてが始まり、今に至っている気がする。 蘭渓道隆制作の参考にした肖像画の完成度の高さは当時の日本にはなかった物だろう。もちろん陰影は描かれていないが、立体になれば陰影を与えることも可能になったことになる。760年前の人物に、たまには陰影を与えてみるのも一興かもしれない。     前回の『寒山拾得展』では、怪獣好きの子供時代に戻るようで躊躇した『昇龍図』だが、そろそろと思わなくはないが、今時、2メートルの写真による昇龍図は私のモットー〝感心されるくらいなら呆れられた方がマシ”には充分だが、私が手掛けるからには、という手応えが見出せないでいる。



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無学祖元が蒙古兵に刃を向けられながら退散させた、という来日前のエピソードは、今のところ描かれたものは確認していない。円覚寺という特定の寺の開山のエピソードだからだろうか。蘭渓道隆は、残されたいくつかの像に、国立の機関が、X線を当てたり年代測定などしたようだが、生前に制作されたのは、国宝である肖像画だけかもしれない。だとすれば立体化も意味があるような気がする。 例によって、今こんな物を作ってあるのは私だけだろう、と夜中に一人想う時、えもいわれぬ快感が溢れてくる。特に七百数十年の間ともなれば格別である。これを七百数十年、必要とされなかった、と考えてしまうようでは、件の快楽とは無縁ということになる。〝需要など考えるな感じろ”という話である。この辺の心の待ちようは私の得意とするところである。

 



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