明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



エンゼルスは球団新の大勝だし、ベランダの大覚禅師は良く乾いた。 人形制作を始めてからは、行き当たりばったり〝考えるな感じろ”でやって来たが、大掛かりなことをする訳ではなく、限られた道具で限られた材料ならば足腰立たなくなろうと続けられるだろう、と。そしてあの頃想定したことで、もっともその通りになったことは、堅気の人達やスポーツ選手が全盛期を過ぎて引退、廃業の年頃に、今作っている物が、人生上の最突端だと、今なおいっていることである。月一でクリニックに通おうと、急な階段は手摺りに捕まって上がろうと、自分の唾でむせてしまっても〝でも今日もあんな物が作れてる”とほくそ笑んでいる。実に幸せな渡世である。渡世の問題でなく、単に私がオメデタイという声は長年の修行の賜物で、私の耳には入らないような仕組みになっている。小学校の図書室でも、始業のチャイム聴こえてなかったけど。

 



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