明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



来年一月、近所の古石場文化センターで恒例のシネマフェスティバルがある。1月8日(金)~11日(月)の4日間、人形作品を3体(予定)展示する。サイトには今のところ石塚公昭人形展、となっているが、大袈裟なので修正してもらう。いつかは、人形展を期待されてもと、おかげで沢山出品することになってしまった。 小津安二郎生誕の地にあるということで映画に力を入れているセンターなので、小津像をということなのだが、一度展示しているので、他にしまい込んですっかり忘れていた、アダージョ創刊第2号で制作した向田邦子を展示することにした。これは関係者と、撮影を目撃した人しか見ていない作品である。  背景にあわせて作った作品は、背景が無ければ成り立たないので、そのままでは展示が出来ないことが多い。向田は、昨日書いた、片手に人形、片手にカメラの手持ち撮影で、比較的ちゃんと作っていたが、鷲づかみにする足の部分は、間違いなく写らないので、作っていなかった。合成を使わない表紙としては、アダージョでは最初で最後になった作品である。亡くなって間がない向田を、六本木の街に立たせるのはいいとして、過去の人物を、画になりにくい都営地下鉄駅の周辺に、ただ持っていっても、表紙として成り立たないと気付いてしまった号でもある。  3体目は、せっかくならアダージョの配布中にということで、作ったばかりの人物を展示することに決めた。

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完成  


名残惜しいが完成してしまう。デザイナーにデータを送信し、田村写真に色見本を作りに行く。ずっと使っているフィルムスキャナーの精度に問題があり、印刷するとその欠点が強く現れるようである。どうしても最後に修正が必用になる。デジタルデータを合成するという最近の方法だと、フィルムで撮る意味があまりない。今回デジカメを部品を撮るため使ったが、やはり便利である。急な思いつきに対処してくれるし。いよいよ考えなくてはならないだろう。 しかし一方合成はせず、人形を左手に握り、右手にカメラを持って街を行く、かつての手法も捨てがたく、機会さえあれば、とは思うのだが、あまりにもカッコが悪く、誰かに横にいてもらい、横のこの人に依頼され、しかたなくやっているという事情があるんです。という演技プランを立てないと恥ずかしくてやってられないし、これからは、いいたいことを詰め込むために、人形のサイズが一回り大きくなる可能性があり、そうなると人形を持った左手を、国定忠治の刀のようにささげ持ち、遠近感を按配しながら撮影する方法は、体力的にきついだろう。だいたい最近肩のあたりに違和感があり、これが例の痛みか、などど感じている昨今、なおさらである。いずれにしても来年に向けて、考えなければいけないことは沢山ある。

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