明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

個展  


5年も個展から遠ざかっていると、すっかり要領を忘れており、作ることばかりに集中して媒体への告知など全くできていない。考えてみると20代、初期のジャズ・ブルースシリーズの頃は、電気溶接で公団などの物干しを作りながら制作をし、なおかつDMを置いてもらいにジャズ喫茶など回ったのだから大変であった。伝わらなければ無いと一緒だが、来てもらわなければ観てもらえないのだから、ネットなど無い時代に必死だったのであろう。しかしネットが無い分、新聞に個展のタイトルが一行載っただけで、どこの馬の骨か判らずとも随分人が来てくれたように思う。逆に今はそういうことはないだろう。 本来、遊びに来た友人に「どう?」なんて調子で、他に発表などしないで済めばどんなに良いだろう、と考えるタイプなので、制作には向いていただろうが、発表には向いてないようである。

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一日  


神風連は結局『御神勅』『天照大御神』両方の幟旗をいれることにした。文字は後日入れることにして完成。切腹シーンである。もはやこれまで、と割腹している。深く切ったので腹圧によりハラワタが露出してしまっている。しかしそこは夜のシーンなので生々しさは回避された。昔の侍は馬上で割腹し、ハラワタをつかみ出して追っ手に投げつけた、などという話があるが、講談あたりの作り話であろう。腹膜を切ると激痛が始まるらしい。 次は『仮面の告白』からの3カットである。背景だけはとっくに出来ている。『仮面の告白』は今回のテーマからいえば宝庫といってよく、画としては少々無茶だが、無茶な画が作れるのは、私としてはとてもあり難いわけである。たった一言を捕まえて風呂敷をひろげた感はあるが、それが創作の面白さというものである。

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『奔馬』より神風連の乱の一場面の制作。急ピッチで進む。腹を切るには鎧を脱がなければならない。傍らに脱いだ鎧、幟、刀を配置すれば完成である。このラストサムライというべき神風連の侍は、具体的に誰の役どころ、ということもないが、先日書いたように着衣をはがし、フンドシ姿に戻すため、当然展示はない。となれば刀はわざわざ作らず、レプリカの刀を使うことにした。 昨年アダージョ廃刊を告げられた直後に、まず入手したのが『関の孫六』のレプリカであった。終刊号の表紙の制作をしながら、一息ついてはふりまわしていたのを想い出すが、ようやく出番が来た。幟は『御神勅』か『天照大御神』のどちらかを考えているが、雰囲気としては『御神勅』であろう。自分で書くことになろうが、私はいったい何故こんな物を?というひとときは、私に得もいわれぬ快感をもたらすのである。

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昨日はお酉様ということで、K本で久しぶりの顔を見た。お酉様参加も何年目になるのか判らないが、女将さんにはこれからも元気でお願いしたいところである。 といいながら家では惨殺された陸軍将校を制作中である。惨殺といっても流血量が多いだけで、三島には申し訳ないが、苦悶の表情は浮かべていない。むしろ気持ち良さそうに眠っている感じである。手には軍刀を持たせたいと思っているが、先日アクセサリーの工房をやっているHに十センチちょっとで日本刀らしき物を作れないか、ときいたら今忙しくて、ということであったが、本日電話があり、ちょっと時間が出来たから、といわれた。数時間後にメールの添付画像を見たら、柄に隠れて見えないところまで作ってあり、磨いた部分と磨き残した部分で表現したようだが、刃紋まで作ってある。あとはメッキに出すという。なんだ、ここまで作れるなら、三島といえば名刀『関の孫六』。刃紋は三本杉である。いずれこれでお願いしたいものである。

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一日  


ついに11月に入る。 『仮面の告白』から数作考えているが、その中の一つを作っていて、この死に方は別の作品のほうが相応しいように思えてきて、急遽帝國陸軍の制服を着せることにした。制服というからには皆同じかというと、将校クラスになるとお洒落に凝ったようで、それぞれ微妙に違っている。この人物は血だらけの某所玄関前で死んでもらうことになる。出血量のわりに服装の乱れが少ないが、それはこちらの趣味である。ジャズシリーズの頃、作者本人は棚に置いて、ネクタイを緩めてリラックスしているところを何度作ろうとしても駄目で、きちっとさせてしまった。今回は見えないところ、背中に大穴でも開いていることにしよう。この作品のテーマはひたすら出血量である。三島の趣味に反して全体的に出血量が少ないので、その点をこの作品に担当してもらうことにした。当初血みどろ絵的なことを考えていたのだが、私自体が血がそれほど美しいと思わないのでしかたがない。 同時に『奔馬』より神風連に取りかかる。予定では切腹をする明治9年の侍だが、撮影後、粘土制の衣装を剥がすことになるだろう。ということは裸で切腹の男が残ることになる。これを使って何か作るとすれば、『憂國』あるいは『愛の処刑』が考えられる。また何か加えるつもりか、と自分で呆れる。

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