明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



2時頃青木画廊へ。昨日はオープニングパーティーを早々に抜け出しトラックドライバー3人と飲んでいたが、その間、作家の方々は今回のテーマにちなみ、キャバレー白いバラにいったそうである。 本日は二時過ぎに出かけ、青木さん、市川伸彦さんと楽しく盛り上がった。来年青木で個展を、ということであるが、考えなければならない。 間に合えば、という話だが15日からの深川江戸資料館の『歌舞伎展』に向けて九代目市川團十郎を作っている。睨みがお家の芸で、目玉の大きい九代目には、睨んでいる状態の写真がない。国立劇場で十二代目を撮影している方ならご存知かと質問してみたら、十二代目に電話で聞いてもらってしまった。長時間露光の時代、睨みは長時間保持は難しかったんだろう、とのお答え。完成の暁には写真を十二代目にお送りしよう、と思ったが、知れば知るほど奥が深い世界にビビッてぐずぐずしている間に亡くなられ、未だに後悔している。 何度か書いているが、明治以降、日本人から失われた種類の顔が耳鼻も含めた長面である。九代目も飛び切り長い。おそらく現代ならすれ違いざま振りかえられるだろうほどである。歌舞伎座にある朝倉文夫作の胸像はどうも短く見えてしまうのだが。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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搬入  


銀座は距離的には近いので助かる。寸前まで色を塗っていてタクシ一で向かう、今回のグル一プ展は一点は“キャバレ一”というテ一マが与えられている。近所にある某店を昭和のキャバレ一と想定して、永井荷風を座らせ、両サイドに女性をはべらせている、そんな画を考え、協力してもらえることになっていたが、小津安二郎の制作で手一杯。今回は断念し旧作を。 小津を設置。煙草を持たせるのを忘れる。下にムシロを敷きたいが、青々としていて、少し汚したい。これも初日に。2階がキャバレー関連の作品で、3階がそれ以外、ということだそうだが、ゆっくり観たいので観ないようにして帰宅。 長年通った店を放り出された連中の“落ち武者会”(仮称)へ。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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小津は地べたにムシロを敷いて、その上に座布団、という写真を見た気がする。そこでイグサで作られた小さな畳を下に敷くことにしたのだが、青々としすぎている。放っておけば古畳になるのだろうが、コーヒーを塗っていくらか古びさせた。それと小津に持たせるタバコを持って青木画廊に行く。幻想系画廊としてみると小津は違和感がある。そういう意味では2階に展示してある写真作品のエドガー・ポーであろう。今回の“キャバレー”というテーマには旧作の永井荷風は合っていた。ストリップ劇場のつもりであったが、グランドキャバレーといえばそう見える。一度帰宅する。 深川江戸資料館の『歌舞伎展』に貸し出す予定の掛け軸、色紙の類を引っ張り出す。そこでこれは何代目〇〇とそれぞれ書いておいた資料が、駄目になったPCの中だったことに気づく。これは少々厄介なことになった。 夕方、オープニングパーティーがあるので再び青木に向かう。眼展参加は二度目である。面識のある方もいたが、スコープを出品されている桑原弘明さんは初めて。作品を覗いたが凄い細かさである。私の展示でなければ画廊など縁がないような知人達にも、是非覗くようにいってある。自己紹介でキャバレーは行ったことがない、という作家が何人もおられたが、私は一度行ったことがある。それが画廊の並びにある『白いバラ』である。 今日は二往復したし、人見知りにはパーティーはしんどい。そこそこで帰り、地元の店に行くと、いつものトラックドライバー。連中もいつも観に来てくれる。日曜日の明日は二時ごろまでには在廊予定にしている。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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オイルプリントを写真も素人なのに始めた時は、写真家になって発表するつもりもなく、であるから早くやめなくては、とハラハラしながらやっていた。なんとか画になってきたころ、ただやってみたかっただけだから止めたのだが、結果的に後に個展までやるようになり、頭でなんでやっているのか判らないことでも、やりたくなったらやるべきだ、と思うようになった。本来人間も草や木と同じ自然物。厄介なのは上にくっついている頭である。しかし、そうはいっても突然熱にうかされたようになっても。なにしろ一生は短い。またあんなことがあったら、と思っていたら、その後ないので内心ホッとしている。 数年ごとに、それまで制作して来た作品の中から選んでオイルプリント化ができれば一番良いのだが。完成目前の小津安二郎を前に思う。自分で人物像を制作し、デジタル作業の後にオイルプリント化する。地球上で今こんなことをしているのは私だけだろう。と夜中に一人ほくそ笑む快感は何ものにも換え難い。一人荒野に立つことが肝心で、良い悪いは私には関係がない。 以前、鯨肉をブロックで入手し、知り合いで集まって様々に調理して飲み会をやった。一人ドジョウ汁を持って来た人がいて、今地球上で胃袋に鯨とドジョウが入っているのは我々だけではないか?そんなことでも愉快になる。ちょっと怪しい時は、“この時刻に”なんて付け加えてほくそ笑むのである。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品だが、小津は出来ていないのでアラン・ポ一を。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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ここ数日ブログをさぼっているが、もちろん修羅場というわけである。結局小津の帽子は、ふにゃふにゃ帽になった。現場の小津、というとどうしてもこれになる。しかし前作は着脱可能にした分大変であったが、今回は粘土をなすり付けるように直接帽子を被せたのでピッタリ感は出たろう。座り込んでいる小津、突っ立っている人物ばかり作って来たので少々手間取っている。今日中に着彩に入れるだろう。小津はグレ一のバリエ一ションなので着彩はあまり考えないですむ。 昔やはり展覧会の前に架空のジャズミュ一ジシャンに色を塗っていた。私としては冒険したつもりの配色であったが、想像上の人物だし、と確かFM TOKYO、油井正一さんの『アスペクト・イン・ジャズ』を聴いていた。そうしたら、それは田舎から出て来た、ということだったか、ギタリストのチャ一リ一・クリスチャンが空港に降り立った時の服装の配色がたまたま語られたが、ほとんどチンドン屋で、モノクロ写真でしか観たことがないので呆れてしまった。本当のことは案外使い物にならないものだ、と思ったのを憶えている。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品だが、小津は出来ていないのでアラン・ポ一を。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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