明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝、曇天なので、中国風石橋を撮りに行こう、とカメラの充電。このまま、一回切りの充電で、個展作品を完成してしまう訳には行かないだろう、と思いながら2回目の充電をした。なんでフイルム代その他かかったあの頃に思い付かないで、デジタルの時代に、こんなシャッターを切る必要のない手法をやっているのだ。もっとも、その場で結果の判るデジタルだからこそ、ではある。結局陽が出て来たり出なかったりて撮影は止める。   この充電しながら思った事が、のちに影響したようである。 昨日、上手く行くかどうか、と思っていたら達磨大師が面壁9年、坐禅の挙句に手足が腐ってダルマとなったしまう。その岩窟の制作、当初、房総の洞穴を撮って、と思っていたのが自分で作ることに決めてしまった。頭の中では、30年前、高橋幸宏さんのアルバム『EGO』(東芝EMI)のジャケットで、で石膏を削って岩肌に見立てた経験を思い出したのだが、あれだけ時間をかけ達磨大師と慧可禅師を作ったのに、一晩で洞窟内岩壁が撮影まで完成してしまった。そこで充電時の気持ちが。    昨晩のデータを見直し岩壁をもう一度作り直し、まったく良くなった。



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背景でも、滝があったり奇岩がそそり立つ『虎渓三笑図』より、単なる洞窟である『慧可断臂図』をまずやってみた。元々雪舟の断臂図を見て刺激されたのだが、雪舟も中国に似たような構図の、腕こそ切断していないが、洞窟内の達磨大師に向かい、大師は背を向けているのは同様で、二人が真横に並行に並んでいるのも一緒である。しかし立体として作っている私は、二人登場させていながら真横に並行に並んでいる、なんていうのは耐えられない。あくまで達磨大師に教えを乞い、覚悟を示すために己の左腕を切り落とした慧可を手前に前を向かせ、達磨にはその覚悟に気付いてもらい振り向かせた。これはジャズシリーズの時代から、たまに取り入れて来たマックス・ローチの『ウイ・インシスト』のレコードジャケットの影響である。『貝の穴に河童の居る事』の裏表紙でも、河童に振り向かせている。 達磨大師は、ちょっと平らになった岩の上に座っているように、なんとか見えるのではないか。



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〝考えるな感じろ”その心持ちといえば、人間ダウジングロッドと化し、ユラユラと水脈を探索する。そんな感じだろう。遠藤周作は〝何かやらなければならない時、他のことをせずにいられない人を怠け者という”といっていた。確かに大事なことは一切してこなかったかもしれない、その代わり何かを作って来た。つまり寝ていた訳ではないので、結果としては大して違いはないだろう。ということにしている。二十代までは、自分のことは自分が決める、と思っていたが、ことごとく外して来ると、よほどのバカでない限り、気がつく訳である。考えたって何も上手く行かないし、思ったところにたどり着けない。そこでダウジングロッドに任せていると、水脈が向こうからやって来る。 その挙句が寒山拾得ということになろうが、なんで寒山拾得だったのか?必ず聞かれるが、さっぱりわからなくなっている。まぁいいや、ということで。



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布袋尊ようやく完成。どうせ目出度いモチーフなら、と背景を金箔貼り風にしてみた。 西洋画や写真に、浮世絵やかつての日本画の自由さを取り入れたい、と阻害しているのは陰影が原因だと、第一作目の三遊亭圓朝から、もう5年にはなるだろう。当初、私の人形の作風と相まって日本画調になったので、かつてのビクトリアリズムが全盛期の印象派の影響を受けていたことで、日本画調のビクトリアリズムと称していたが、今回のモチーフから、異変?を感じていた。作品によっては日本画調ではあるが、どうも趣が変わって来た。何が変わったのか、ずっと考えていたのだが、先ほど原因が判った。同じことをやっている連中がいるならまだしも、超が付くごく個人的技術面の話なのでしないでおく。 以前書いたが、無意識のうちに変わって来たことに気が付き、なんでだろう?と分析するうち、行く道に変化が生ずる。こうして四十年間の私のお馴染みのパターンである。



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臨済義玄本日2カット目完成。顔が怖いので、昨日完成した布袋尊の能天気な顔があってかえって良かった。これでいよいよ背景の準備もしていきたい。長年使っていた欅のちゃぶ台の脚を取り外し、スチール製の折り畳みの脚を着けて、テーブルにしようと、そのままになっていた物を組み立て、その上と、作業テーブルの上に、岩窟やら山水風景を作りたい。そう思っていたらBSの再放送で、中国の奇岩風景をやっていた。観ていると、今からでも房総の風景を撮った方が、とも思うが、達磨大師が座禅するテーブル状の岩とか、作ってはみたい。 昔、あらゆる物をパーツとして撮り、いずれ足腰が立たなくなった時のために、と本気で貯めていた時があった。ここでもし山水風景を上手く作れだなら、もうレンズは外側には向けず、眉間だけで良い、などと調子に乗ってしまう可能性がある。今年日中国交回復50年だそうである。奇しくも今回の個展は日本人は一休和尚ただ一人である。



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最後の単体作品『布袋尊』の仕上げ。『寒山拾得』といえば風狂である。そのつながりとして『一休禅師』そして日本でいう七福神の中で、唯一実在した布袋尊も風狂僧である。どうせ目出度いなら、背景も金箔貼り風にしたいところである。これが完成すれば、単体の人物としては最後の撮影で、琴高仙人を鯉に乗せれば単体の人物は全て撮影完了となる。残るは『虎渓三笑図』の石橋、背景の部品としての松の木を撮影すれば、『虎渓三笑図』用の中国の山水風景と『慧可断臂図』の岩窟内と入り口あたり、また寒山拾得や、蝦蟇、鉄拐仙人の背景にも一部を流用したい。水墨の人物画などで良くある、背景に岩壁や松の木が顔を出してるアレである。 会場には中から選抜して拡大プリントも展示することになった。と書いていて、今回唯一の日本人、一休禅師に、曽我蛇足の原画にない鼻毛を加えたのを思い出した。



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『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』以来、ふげん社へ。様々な意味のある偶然を呼び込むには〝考えるな感じろ”でないと、呼び込まないことは経験上知っているのだが、三島展の飯沢耕太郎さんとのトークショーの時に次に何を?の声に、寒山拾得と口走ってしまった。その時は、いずれ、ぐらいしかイメージもなく、ほとんどデマカセのようなものであったが、直後にふげん社が、寒山拾得の拾得が、普賢菩薩の化身だ、という所から来ている、と伺い、急遽今年の個展が決まった。こういう偶然は、良いも悪いもなく、必ず乗ることに決めている。 作家シリーズも、モチーフとして、三島由紀夫以上に歯応えのある作家はいないし。しいていえば、中学の授業中にも読んでいた谷崎潤一郎が残っていたが、四つん這いの谷崎に、馬乗りになってもらうことを某女性に断られ瘋癲老人になり損ねている。 それはともかく。私のデビュー40周年『寒山拾得展』(仮)は10月13日(木)〜11月6日(日)と決まった。


 



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最初は曽我蛇足描く〝喝”の激烈な表情だけで作り始めてしまった臨済宗開祖臨済義玄だが、途中でためらったものの出来てしまえば、いまさらジタバタしても仕方がない。一休和尚を作ろうと、一休と交流のある曽我蛇足を調べていて目が合ってしまった。その肖像は、中国のある寺の注文により描かれた激烈な〝喝”の表情が伝わり蛇足が描いた、ということだろう。私が知っているのは、二代め蛇足の、さらに険悪?な表情の義玄像である。もう一つ、長谷川等伯の作を知っているが、本当に等伯?というくらい等伯作品の中では出来が良くない。その間、10年禅寺で坐禅の経験者にずっと怒鳴られ続けた話を聞いた。  様々な作品を見ていると、写しなら写しでも、特に私の知っている義玄像3種にしても、違う所に個性が出ている。私にしてもカラーであるし、立体です作った利点を、と正面像も撮ってみた。日本画得意の斜め45度より、どうせどやされる?なら目が合った方が効果的かと。



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『慧可断臂図』は雪の積もる場面なのだが、雪舟作は背景が洞窟内なのでよくわからない。なので慧可は座禅中の達磨大師の聖域である洞窟内には入らずとした。雪舟の時代、これがどれだけ知られたエピソードかは判らないが、もう少し説明したく、腕を切断した剣を雪に突き立て雪上に血を滴らせたい。雪上の血といえば。 最初の出版『乱歩 夜の夢こそまこと』(絶版)で『盲獣』を制作した。盲目の殺人鬼が連続バラバラ殺人を犯す、という話だが、乱歩がそう書いているのだ、と女の切断された脚を風船で浅草寺上空を飛ばしたり、ハムの包み紙の中から切断された手首。雪の中から足が。そう思った時、既に東京に雪はなく、ネットの情報をもとに、切断された足役の女性を伴い、電車の中から線路脇の雪を探しながら、たどり着いたのが閑散とした温泉町。早速雪を求め、除雪され、積まれた道路脇の塊に足を突っ込んでもらい、ペットボトルの血糊を振り撒き撮影した。思えば馬鹿馬鹿しいことばかりである。

 

 

 

 

 



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一日  


昨日からちょっと部屋を片付けた。撮影が終わった連中が溜まって来たので、首を引っこ抜いて段ボール箱へ。今までもそうだったが、今回は特に、こんな場面で、こんな人物がこんなポーズをしている。と制作している。写らない所は冷酷なくらい作らない。でなければ、被写体制作と撮影の二刀流で個展など何年かかるか判らない。しかしだからこそ、撮影時に迷うことは何もないので、毎日のように撮影が完了している。ああ撮ろう、こっちからこう撮ろうなど一切ないからである。逆にいえば、二刀流だからこそ順調だといえる、二人で打ち合わせの必要はなく、意見の相違もない。ルールブックは一冊である。 それと、近日中に淡水魚である鯉の死体にポーズを付けて撮影することを考えると、多少は片付けたい、とさすがに思った。しかし慣れないことをするとダメージが甚だしく、寝てばかりいて、このブログも翌日書いている。  『慧可断臂図』は自分で腕を切り落としておいて、痛くて泣きそうなのか?という雪舟作と違い、覚悟の表情をさせ、また、達磨大師は背中を向けて無視しているが、その覚悟の念に、振り向かせた。構図は大分変わる予定。



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スムースに制作が進行し、万が一余裕が出来れば、没にした『四睡図』を手掛けられる可能性も出てくる。それには寝転ぶ虎が撮影出来ないとならない。幼い頃読んだキップリングの『ジャングルブック』に猛獣が人間の眼を恐がるという描写があり、それを真に受け上野動物園で虎やライオンに睨めっこを挑んだ頃は、猛獣はもっとグウタラしていた記憶がある。今の上野動物園は、虎には良いだろうが物陰が多くてなかなか思ったようには撮れないので、もし撮るとしたら多摩動物園にする。問題は、まず虎を用意しなければ、他の3人のポーズか決めにくいことであろう。最悪、粘土のつもりで一度バラバラにして無理やり寝転がせることも考えておきたい。いずれにしても、それ以外の作品の目処が立っていることが前提である。そのために、まずは鯉、石橋、松の木を撮っておかなければならないだろう。



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一休和尚は『一休禅師』を読んだ小学四年生の頭に浮かんだイメージ、寒山拾得からの風狂繋がりということもあり、最近の代表作にしたいと思いながら作って来た。〝門松は〜”がモチーフで、当初門松を配そうと考えていたが、室町時代の門松は現在とは大分違うようだが詳細が不明だし、説明的で野暮くさいと思っていたところ、竹竿の先のしゃれこうべにカラスがまとわりついているところが浮かんだ。すると偶然、初鴉が正月の季語だと知った。  カラスを撮りに行ったのだが、曇天の日を選んだせいか一匹も撮れず。 昨日、背景制作に備えて部屋を片付けようと思ったのだが、思ったとほぼ同時に10年前『貝の穴に河童の居る事』の制作時に撮った鴉のデータがあるかもしれない、と探したらあった。当初『一休和尚酔臥図』にも鴉を考えていたが、くどいので、しゃれこうべの一休だけにした。 昔から部屋を片付けようと、頭の隅に、ちょっと浮かべただけで作品が完成する。これを日々続ければ、個展にこぎつけられる、という仕組みである。



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ここ数年、眼鏡を作ろうとしたら、裸眼との差がない。眼科で見てもらったが、眼鏡で視力はもう出ないらしい。乱視が酷くなり、しかも左右が随分違う。モニターを見ながらの撮影が苦手で、ファインダーを覗かないとダメ、とつい最近まで言っていた。なのでスマホ写真が下手くそである。 今の手法は切り抜き前提なので、人形の向きさえちゃんとてしていれば、モニター内の構図は関係ない。今回初めてモニターのみで撮影している。私の視力に手法が間に合わせたかのようである。脳が補正しているのか、文字は裸眼で読めるし、(左右、片方だと無理)人形も作れる。 先日、イチローの「合理的になるには無駄なことをたくさんしないとだめ」に納得した。私には無駄に関しては、人が後退りするほどの貯蓄がある。後はただ合理的に進むだろう。 竹竿にシャレコウベ掲げて立っている一休禅師は、シャレコウベにカラスがまとわり付き、タイトルを正月の季語である『初鴉』としたい。『貝の穴に河童の居る事』の時に撮ったカラスのデータが出てきて完成。



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生体  


『虎渓三笑』の最後の1人、陶淵明おおよそ完成。残るは今回の難問、背景の山水風景である。人物としては布袋尊を残すが、表情がやる気を萎えさせるだけで、特に問題はない。一区切り。『琴高仙人』の鯉を捌くための出刃包丁を注文。鯉は生体を購入し、締めて血抜きして撮影、すぐに調理するしかないようである。エアコンを効かし、鯉にポーズをつけ数カット撮影し、すぐに調理と行きたい。 最初に前日生き締めされた蛸を撮影し、大蛸にして勝鬨橋を襲わせたが、グズグズ撮影していたら、いやーな気分になって来て、刺身で食う気も失せ、茹でて冷凍にして、さらに時間がかかった。まして今回は淡水魚である。養殖物にしたい。 他に外にレンズを向けなければならないのは、鯉、カラス、石橋、松の木か。

 



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先月中に全員を撮影する、という目標は、寒山拾得の文殊、普賢菩薩を撮り直したこと、布袋尊の表情にやる気を削がれた、などの理由で、布袋尊、陶淵明は撮れなかったが、私にしてはよくやった方だろう。『虎溪三笑』という一つのことに夢中になり、禁則を破って笑う男達を作り、その轍を踏んではならない、とデスクトップにラインナップを貼り、毎日眺めていた成果である。今回の個展で初個展より40周年である。しかし初のシリーズだし、様々勝手が違い、ペース配分だけは気を付けなければならなかった。予定していた寒山拾得、虎と豊干が眠る『四睡図』はおそらく別の機会になるだろう。 寝床に本を撒いて寝心地を悪くし、睡眠時間を短くする方法は、さすがに四十周年を迎える無呼吸症候群者のすることではないだろう。おそらく朝までには虎溪三笑の最後の一人、陶淵明が完成するだろう。



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