明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



女優の不倫騒動が騒がしいが、結婚の何が目出度いのか、心底理解出来ない私は、野坂昭如が週刊誌などで家族と一緒の写真が載るのが恥ずかしい、というのは実にまともな神経だと思ったものである。セックスが抱擁して接吻程度ならば、ラブシーンにロマンチックなメロディも良いだろうが、その実態は猿とやっていることは変わらない訳で、そう思うと涙を誘う悲恋物語もトドのつまりは、と滑稽感が拭えない。いや、その滑稽味こそが、と言われれば、特に反対はしないけれど。

こんな話の後に、念の為改行して続ける。来年は浄土宗の宗祖法然上人の開宗850年だそうだが、浄土宗の寺用に、上人を作る予定なのだが、臨済宗の迫真的な彫像、肖像画を見慣れていると、残される上人の解像度の低い肖像に、乗り切れないものがあった。かと言って私のような不信心者が、そこに、余計なニュアンスを加えるのも、と考えていたが、どうにも我慢が出来ない。私にも人を作るならここまでは、やりたいというラインがある。人間味が出る程度のリアル感を加えた上人像にしよう、と決めた。住職からは「シン法然上人を期待してます。」とメールが。



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鎌倉は円覚寺の開山、無学祖元師(仏光国師)明日乾燥に入れそうである。乾燥後に細かい部分を仕上げる。いつも言っているように、一度作ってしまえば、立体はどこからでも撮れる。真正面向いたバージョンを、とすぐに思い付いた。円覚寺創建寺、白鹿が祖元の元に集まって来た、と伝わっており、円覚寺の山号は瑞鹿山(ずいろくざん)となった。そこで真ん中で正面を向いた恩師を囲んで卒業生が記念写真を撮るかように、祖元師を白鹿の群れが囲んでいる。浮かぶのだけは早く、悩んだことはない。ただ、できるだけやんわりと浮かべるのがコツで、白鹿の配置まで浮かんでしまうと、焼きついてしまって、変更が効かなくなるのが厄介なのである。なのでアイデアスケッチなど絶対やらない。



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大谷リーグ最多の20号。お茶の間にテレビ一台の時代、こんなユニコーンがいたら迷惑であったろう。母は「どんなにお母さんは喜んでいるか」と高校野球で涙ぐんでいたから、横で、親不孝息子はいたたまれず。この調子だと、大谷の影響で、わざとボールをぶつけたり、名物の乱闘も、子供の前で恥ずかしい行為だ、なんてアメリカ人を躾けてしまうのではないか? 昔『ブーフーウー』いう三匹の子豚の着ぐるみ番組があり、お姉さんがバックから人形を取り出し、壁のクランクを回して始まる。あんなお姉さんが上の方でシナリオを書いているのではないか?というくらい何かに導かれている気がする今日この頃だが、引っ越しを機に8年ぶりにテレビを買った私のために、お姉さんがカバンからユニコーンを取り出したのではないか?それは良いとして、お姉さんも、もう少し本当らしいシナリオを書いてもらいたい。



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立体のメリットは作ってしまえば、どこからでも撮れることである。絵画だと参考写真を数度角度を変えるのも困難だろう。なので律儀なボクサーのように上目遣いで顎を上げようとしない宮沢賢治を下から撮ったり、が私のささやかな喜びである。曽我蛇足の臨済義玄を真正面から撮影して喜んでいたが、インスタのハッシュタグで臨済義玄が100未満なのを見ると、臨済宗開祖なのに、と不思議ではある。。通りかかりの方に購入していただいたが、正面向いた激しい表情を、玄関に飾る、と伺ったが、おそらく害虫一匹入って来ないだろう。 鎌倉は建長寺の開山蘭渓道隆()も私が作ったのは斜め45度の国宝の肖像画の立体化であるが、私が調べた範囲でいえば、この肖像画がもっとも本人の実像を伝えていると考えている。蛇足以前、ある僧が注文して描かせた創作の表情である臨済義玄とは、そこが違う。蘭渓道隆没後七百年、正面の顔は誰も見たことがないだろう、というのが、例によって喜びではある。



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無学祖元師の坐禅姿の制作をようやく開始する。ひたすらチビチビ作った頭部に比べ、身体部分は一気に制作する。これは40年前から変わらない。衣の皺等はリアルに作る気は昔からない。人物の表情がすべてであり、着衣は脇役であり、見事な表現?などして主役の邪魔をしてはならない。たまたま、禅宗の頂相彫刻も、頭部のリアルさに比べ、衣の部分は形式化された表現である。 宗より北条時宗に招かれ、元寇との戦いでの敵味方双方の犠牲者を祀るために創建された鎌倉は円覚寺の開山となった。その来日前、他の僧が元寇を怖れ避難する中、一人寺に残り坐禅をしているところに元寇が現れ剣を喉元に突きつけるが退散させる。これは名場面だ、と作ることにしたが、参考にした祖元像が、頂相彫刻の傑作とされている、と作りながら知ることになる。この場面を思いつかなければ手を出さなかったが、もう遅い。



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AIの登場で架空の街や風景の写真集などが登場するだろう。子供の頃読んだ探検記その他によりイメージした世界以上の光景など実際にある訳がない、と思って来た私としては楽しみである。と言いながら見ないけど。 長らく頭の中のイメージを取り出して来たつもりでいたが、作った人物に、この世に在るかのように陰影を与えて来ただけだった、と反省した。水彩紙にブラシで油性絵の具を叩いてプリントするオイルプリントを、某写真誌の編集者に「今はコンピューターで出来ますから。」と言い放たれた私は、今度は「今はAIで出来ますから。」と言われるところだったが、タッチの差で、写真的リアリズムから足を洗っていたのは幸いである。もっとも、某写真誌の方が、AIがグランプリを取るのを見ることなく無くなったけれど。

 



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AIによる女性のデジタル写真集が、時期早朝だと発売中止になったらしい。実在する誰それに似ている、等様々問題があったらしい。本物とはここが違う、などの意見もあったようだが、まだ出来て間がない。リアルという意味なら、そんな違和感はすぐにクリアするだろう。AIの登場によって、リアルとは何か、まこととは何か、それをはっきり持っているかどうかを問われることになるだろう。写真機を使ったから、こういう技法を使ったから、というだけでは、不十分かもしれない。 まことを写すという意味の写真に抗い続け、その一つのオイルプリントで、目に明かりが灯らない来廊者に制作方を説明をし続けたことがトラウマになっている。そして私のまことを追求した結果、陰影のない非写真的リアリズムとなり、どう制作したか、誰にも尋ねられないめでたさは、私にしか判らないかもしれない。



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美容学校のバーベキューで火力が足りない、と教員が消毒用アルコールを振りかけ、生徒が焼け死んだそうである。危ないことは子供のうちに一通り済ませておくべきである。機関車の車輪が触れるような所で遊んだ葛飾区は某所の子供達は、忍者の真似して線路に耳を付けたり、五寸釘をひかせて手裏剣作ったりしたので(磁石になったならないで幼馴染と意見が分かれる)絶対に鉄道事故では死なない。昔、結婚祝いのサプライズで嫁さんが友人と海岸に落とし穴を作って夫婦で埋まって亡くなったが、トンネルを掘っていて、友達が上半身埋まったことがある。二人で引っ張り出したが、穴の方から引っ張られる感触の恐ろしさは忘れられない。肥溜めは表面が乾いて草が生えていようと騙されてはいけない。一方、ザリガニ、蛙などに酷いことをし過ぎて、蝦蟇仙人が肩に乗せてるガマガエルに本物を使うことが出来ず、粘土で作るハメになったけれど。



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喝!の表情が面白いと作ってしまった臨済義玄。それが今になって、肝心な人物だったと知った。反省は後になってするものだし、言葉、文字では伝わらない、と発達した禅宗芸術。一休禅師の弟子である蛇足の義玄像に触発されたのだから、何某か私は受け取ってはいる。ということで、自分の都合に良く解釈する私である。個展会場では、初めから知ってて作ったという顔をしていれば良い。 次号の『タウン誌深川』には、二十歳過ぎまで自分のことは自分が一番知っており、私の考えで生きて行くのだ、と信じていたが、それが大スベリし〝考えるな感じろ”に至った話を書いたのだが、昨日のブログタイトルは〝作る意味など考えるだけ無駄”だった。坐禅しなくても、四十年ただ作っていれば、この程度の心境には至るものだなと。 葛飾北斎はあと十年あれば、と死んで行ったが、そんな先のことをイメージするから悔しがることになる。私は昨日、今日思い付いたことだけをしよう。



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小四の時に読んだ大人向け『一休禅師』。そこに載っていた曽我蛇足作の一休の肖像画を元に一休を作った、その流れで蛇足が描いた喝!の凄まじい形相の臨済義玄に魅かれ臨済義玄まで作ってしまった。 外側にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想、なのは草木同様自然物なら、肝心な物はあらかじめ備わっていると思うからだが、制作資料の中に禅では〝仏は外ではなく自分の中に在る”というのを目にして、私がこういうモチーフに至ったのは必然だったと考えたが、友人が書こうとしている論文にかかわる、とかでそれはどんな資料?と聞くので図録を伝えると、元々臨済義玄の『臨済録』に在るらしいという。臨済録は入手したが、読む前に像が完成してしまい、次の作品に取り掛かかってしまった。考えるな感じろでやっていると、こんなことが良く起きる。時に先週名前を初めて知った人を作っていたりするが、昨日書いたブーフーウーのお姉さんが絵図を描いているようで、必ず辻褄が合うことになる。作る意味、などという無駄なことさえ考えなければほぼ100パーセントである。

 



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これは以前書いたかもしれない。幼い頃NHKで『ブーフーウー』という三匹の子豚の着ぐるみ芝居をやっていて、それはお姉さんがバックから人形を取り出して、クランクを回すと始まる。〝考えるな感じろ”でやっていると、肝心な所を目指したかのように導かれるので、あのお姉さんのような存在が、絵図を描いては、クランクを回しているのではないか?という気さえする。しかしこんな話は、当ブログか、友人との酒飲み話しでするくらいで、個展会場では、熟考の末に制作してます。という顔をしている。〝何だか判らないけど、こんな事になっちゃった”と来廊者にいう訳にはいかない。次号の『タウン誌深川』にもそんな話を書いたが、それもこれも、二十歳過ぎ頃までは、自分の事は良く知っている。私の考え通り行くのだ。と信じきっていて大スベリを経験したからこそ今がある。そして今日も、やはりお姉さんが絵図を描いてはクランクを回しているらしい思えることがあった。



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制作  



母の転院、さらに脱水症状で入院、と少々落ち着かず、二人の人物の身体部分になかなか取り掛かれない。頭部と違って身体部分は一気に進めるので集中を要する。なのでその間にチビチビと頭部の完成度は増した。 すでに手がけた実像が不確かな達磨大師、慧可禅師はともかく、臨済義玄、一休宗純、蘭渓道隆(大覚禅師)無学祖元(仏光国師)と、相変わらず行き当たりばったり、後で計画通り作りました、という顔をする予定である。ただあくまで作り甲斐が肝心である。 蘭渓道隆師は、立体像が数種残されているけれど、南宋より本人が携えて来て国宝となった肖像画がもっとも実像を伝えていると判断し立体化した。無学祖元師は、来日前のエピソードである、坐禅中に元寇に刀を向けられながら、退散させたエピソードである。作品化された気配がないので制作を決めたので、頂相彫刻の最高作とされた木像があるのに、あえて作ろうなんて意味がない。という訳で、単に酔狂で作っている訳ではない、というつもりだったが、逆効果だったかもしれない。七百数十年間初の酔狂となれば私は見たい。



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最近コオロギ食が騒がれているが、昆虫食というと忘れられない物がある。岐阜の山の製陶工場に勤めていた時、3時の休憩時に、下請けの窯屋さんが上手く炊けた、と蜂を飴色に煮た物を小皿に持って来た。それは缶詰で蜂の子として売っているような物ではなく、3センチ以上あるような、大きなスズメバチが、そのままの形で成虫、サナギ、幼虫であった。びっくりしたが、工場長は東京の若者が食べる訳ないだろう、という顔して勧めるのでつまんでみたのだが、噛み心地はそれぞれだが、まさにロイヤルゼリーをイメージさせる濃厚さなのであった。これは美味い。とパクパクやっていると、慌てた工場長が「若いもんには精が付き過ぎて毒だ。」なんていって取り上げられたから、出来も良かったのだろう。スズメバチ駆除の番組で、殺虫剤を使わない業者を観ると、あの味を思い出し、住民のため、なんて顔してるが、本当は楽しみで堪らないのだろう、なんて思いながら観ている。



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藤井聡太七冠達成。悔しいのは将棋のルールを知らないので、その凄さが理解出来ないことである。昔チェスは一瞬覚えたが勝てないので辞めた。親戚の小学生にオセロを挑まれても、負けるのが嫌で対戦を拒否した私である。おかげで博打には向いておらずパチンコも一度もやったことはない。なので自分が負けを認めなければ負けにならない、なんて渡世でしか生きられないだろう。 中学の時に、自分が考えたゲームなら負けることはない。と考えたことがあるが、王座は30分しか持たなかった。 創作行為においても、自分でゲームを考案し、一人喜んでいる状態かもしれない。だがしかし、王座を独占するためには、誰も参戦しようと思わないゲームを、と30分しか持たなかった経験を生かしている所に進歩が感じられる。

 



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夏目漱石は、写真師にアバタとワシ鼻を修正させたが、先日殺された女性のニュースで映る顔も、近影が入手出来ない場合は良く卒業アルバムの写真が使われるが、自分で加工したのだろう、明らかな加工写真がそのまま使われているのが気になった。 私がまことを写すという意味の写真という言葉に、何故これほど抗い嫌悪し続けて来たのか。改めて考えてみると、幼い頃から頭に浮かんだイメージはどこへ消えていくのか?と不思議で、結果、それを取り出し、やっぱり在った、と確認することが私の創作行為となっている。江戸川乱歩いうところの〝現世は夢 夜の夢こそまこと”である私のまことはここに在る、と眉間にレンズを当てる念写が理想、と言い募って来た。一方写真という言葉が、外側の世界に在るまことを、それを撮る物である、というイメージに、違和感を感じるからであろう。 またついでにいえば私の偏見であろうが、カメラを持ちシュートする男の男性性に対し苦手意識が拭えず、好きな写真家は女性が多い。



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